見出し画像

徒然

つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくったところで一体どうなるというのか。
果たしてそれはわたしの血となるか?肉となるか?はたまた髪飾りにでもなるのだろうか?

日々を過ごし他愛もないものを見つめ、時に目をレンズに、フィルターに、メモ帳に変えて日常をとっ捕まえようと躍起になっている。
追えば追うほど逃げていくものだ、日常なんてそんな当たり前のこと。

はて、当たり前って何だったかな。


***


休日になると居ても立っても居られなくて、カメラと財布とスマホ、それから車の鍵だけ持って玄関を飛び出す。
今日はどこへ行こう何をしようとか、そんなものはだいたい後付け。

取り急ぎ愛車に乗り込んで音楽をかければ(さらに言えば大好きなスピッツばかりかければ)、もうそこは要塞、わたしの動く城。

ご迷惑にはならない程度でボリュームを上げて、ボーカルに負けないようにとわたしも歌う。
ウィンカーを出す右手はやけに軽快、ぺこっとレバーを跳ね上げる。
勢いあまって一瞬パッシング、ごめんなさいと思いつつなんだか面白くなってしまって、へへ、と気持ち悪い笑みがこぼれてきたりする。

楽しい、楽しい。ああ愉快だ、という言い方がしっくりくるような気もする。


***


これは生活あるいは日常からの逃亡。

朝うだうだ言いながら起きて、会社に行って、うだうだ言いながら仕事して帰って、適当に寝る。仕事の日は生活の仕方がだいたい決まっているから楽だ。

怠惰な人間なので、働きたくないといつも言っているけれど、ただただ同じ生活を送る日常はそれはそれで楽なのだ。

だからこそ、"何もない休日"という日常の過ごし方がわからなくて、外へ外へと飛び出して逃げる。


***


でも、わたし、これでいいのかな。
生きるって"何もない休日"を上手くきちんと丁寧に過ごしていくことだったりしないかな。

生活から、日常から少し逃げた先にはまた新しい日常があって、自分にとって非日常だったものはやがて日常と成り果てる。

何もない休日から逃げる、逃げる先は非日常の中、でもそれがいつしか日常となって、果たしてその先に何があるというのか。

わたしが当たり前に生きることなど、果たしてこの先あるのでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございます!ぜひお友達になってください!!