「劣」な個性

 私という人間はさまざまな要素で構成されている。「女」「低身長」「標準体型」「意外と足が短い」という外見や、「明るい」「喜怒哀楽が激しい」「ねちっこい」という内面、これら全て、個性という言葉でまとめることができる。

 さて、なぜ私はここで自己紹介まがいのことをしているのかというと、「私はこの個性を優劣の『劣』に置きたがる」という話をしたいからである。

 要するに、隣の芝生は青いという話がしたい。私は短気なので、のんびりした人が羨ましいし、私は低身長なので手足の長い高身長な方に憧れる。ネガティブなのでポジティブになりたいし、他人を気にすることなく堂々と生きてみたい。

 そう考えていくと、だんだん、「なんで私はこんなにも出来の悪い人間なのだろう」と落ち込んできてしまう。あれもこれも、周りの人間は当たり前に持っているのに、私ときたらどれも「劣」。私の個性の何もかもが不良品に見えてきてしまうのである。

 いや、わかっているのだ。

 別にせっかちが悪いわけでもないし、喜怒哀楽が激しいことが欠点な訳がない。ネガティブにだって良さはあるし、低身長は「可愛い」の的である(これは偏見)。つまりは個性というものは長所にも短所にも転ぶため、一概に良し悪しが決まるものではないのだ。

 そして、こんなことを考えるのは、他人を気にしすぎるからだということもわかっている。自分は自分、他人は他人、他所が育てた芝生など違って当たり前なのである。

 でも、私は「劣」なのだ。

 そんな思考も、「劣」なのだ。

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