でん

24歳。感情的な女。頭の中がぐちゃぐちゃになりがち。 誰かに見張られていないと何もでき…

でん

24歳。感情的な女。頭の中がぐちゃぐちゃになりがち。 誰かに見張られていないと何もできないので、人の目の入るところで文を書いて整理しようと深夜に思い立ち、今に至る。 まだ下手くそですが、よろしければ。

最近の記事

勝負

家族によく言われること 「負けるな」 「強くなれ」 「歯を食いしばれ」 私は何に勝つために生きているの? 私の人生って、何なの? 仕事辞めたらいけませんか? 家業を継がねばなりませんか? そうでなければ、私はダメな子ですか? それを望んでいない私は、あなたたちの言う「負け組」なのでしょうね。 白旗。

    • 仕事辞めたい

      仕事を辞めたい 子どもとの関わりは当たり前のようにうまく行かず、毎日、私のような担任で申し訳ないと思っている。 周りを見なければ、気持ちを受け止めねば、という夢を毎日見ては、朝の3時に目が覚め、ウトウトしているうちに7時になり、鉛のように重たい体を持ち上げて支度をしている。 腰痛も酷くなり、洗顔すら苦痛だ。 ただ子どもとの関わりが苦手なら潔く転職出来るのだが、割り振られた事務作業すらままならないのが現実。 こんな簡単なことすら焦ってできないのかと落胆しながら、這いずる

      • 「劣」な個性

         私という人間はさまざまな要素で構成されている。「女」「低身長」「標準体型」「意外と足が短い」という外見や、「明るい」「喜怒哀楽が激しい」「ねちっこい」という内面、これら全て、個性という言葉でまとめることができる。  さて、なぜ私はここで自己紹介まがいのことをしているのかというと、「私はこの個性を優劣の『劣』に置きたがる」という話をしたいからである。  要するに、隣の芝生は青いという話がしたい。私は短気なので、のんびりした人が羨ましいし、私は低身長なので手足の長い高身長な

        • あぶら

           「若いうちにトンカツを食っとけ」という言葉をよく聞いた。大人たちは何を言っているかわからないし、トンカツについているキャベツはカサ増しの草であった。  24歳。まだまだ育ち盛りだと思っている。同級生たちは「おばさんだから」「おじさんになった」と自虐をし始めたが、私は絶対にしない。若いからである。トンカツも余裕で食えるし、いまだにキャベツは邪魔である。  しかし、牛の脂が食えなくなった。  ひとくち食らうと胃はたちまち地球の5倍の重力を帯びたように重たくなり、喉まわりは

          「劣等感」とワルツを踊りたい

           中学生という多感な時期を、私は国立の中学校で過ごした。これは単なる学歴の自慢ではなく、むしろ黒歴史として扱ってほしい。  国立の中学校には、やはり頭の良い生徒が進学する。単なる学力的な頭の良さではなく、物事の捉え方や、感性の鋭さ、効率の良さ、コツを掴む上手さなど、いわゆるカリスマ性を持った奴が多く、それ故に劣等感を感じやすい環境でもあった。そして私は紛れもなく後者であり、この時から人生を、劣等感と共に歩むことになる。  さて、思春期前期を私は、「アイデンティティの形成し

          「劣等感」とワルツを踊りたい

          消えたい

           私は「死にたい」ではなく、「消えたい」時がある。この世からポンッと弾けて「私」という存在が初めからなかったようになってほしい。  そしたら、何も未練がない。  そしたら、私は自由になる。

          消えたい

           可愛い顔に憧れることは悪いことだろうか。  細い体を目指すことは悪いことだろうか。  好きな服や物が少し高いのは高尚だろうか。  可愛い見た目のカフェや、高い宿泊料のホテルは似つかわしくないだろうか。  あらゆるものが混沌と存在する世の中、私は俗なものが非常に好きである。手に入らないものももちろんあるため、諦めながら、楽しむのである。  しかし、楽しみながら、同時に聞こえてくる心の声がある。「似合わない」「無駄遣い」「高飛車」「身の程を弁えろ」  いつになったら、こ

          春休み

           3月。大学院の修了が決まった。つまり、今この時期は「人生最後の春休み」である。人より2年も社会に出るのが遅くなったという感覚をいまだに持つ私にとって、長期期間の休みは恥ずかしいものであったが、今は違う。「人生最後」という枕詞がつくと途端に名残惜しく、無駄に生きてはならぬと思う。ブラッシュアップライフでも言っていたが、本当にそうだと思う。  さて、人生最後の春休み、何をしよう。  …何も思いつかない。そう、やりたい事、行きたい所、何一つ思いつかないのだ。一人旅やサウナなど

          春休み

          忘れ物

           私は忘れ物が多い。24歳になってもいまだに忘れ物が多く、諦めはついているものの、やはり忘れ物をするたびに落胆する。今日も、眼科の待ち時間に本でも読もうと思っていたのに、診察券を探すことに気を取られ、大きなトートバッグの中はスマホと財布と鍵だけになってしまった。  忘れた本に思いを馳せながら、今までどんな忘れ物をしたか、診察待ちの時間で考えていた。強烈な忘れ物があったので、1つ紹介したい。  中学2年生、私の中学校生活で一番楽しかったこの時期、私は友人Sと、友人Mと帰るの

          それは「ととのう」

           初めてひとりで温泉に行った。本当はサウナというものに挑戦してみたかったのだが、強情な私は重い腰をそこまで上げることができず、まずはひとりで温泉に行ってみることにしたのである。  結果として、温泉に入り、外の冷たい空気を浴び、ということをしたため、サウナまではいかずとも、緩やかな寒暖差を楽しむことができた。  しかし、今回はこれを言いたかったのではない。浮かれた私のSNSの投稿でオチをつけようと思う。 「温泉でキマってきた!」

          それは「ととのう」

          短気

           私は非常に短気である。前を歩く人が遅くて、電車のホームの列で抜かされて、使っていたパソコンがフリーズして、怒る、怒る、怒る。私は毎日、何かしらで怒り、そしてそんな自分に落胆するのである。  今まではこれでよかったのだ。なんだかんだ、この感情ジェットコースターに振り回されながら24年を生きてこれたのだから。しかし、今回ばかりは違う。いつものようにぷんすこと腹を立てていたら、「生きづらそう」と言われたのだ。  生きづらそう、だと?  確かにこんなにも他人に腹を立てていたら心