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英語の問題? それ以前の問題?

シネムが「Kaneda-san の言うことがわからないのよ(困)」と言った。
ああ、やはり懸念していたことが起こったか、と私は思った。
Kaneda-san とは日本支社の社員で、シネムが統括するプロジェクトで日本側の窓口となる担当者である。


事の始まりはひと月前に遡る。Kanedaさんは出張でここジュネーブの本社を訪れた。
私もシネムも Kanedaさんとは初対面だった。
Kanedaさんは 30代半ばの元気で明るい好男子に見えた。

Kanedaさんは、東京からジュネーブに出張するのに、2泊3日という不可解な日程で来た。
「遠いところをお越しいただきまして。週末はこちらで過ごされますか?」
と私が言うと、彼は屈託のない笑顔で言った。
「娘の学童のお迎えがありまして、木曜には帰らないといけないんですよ」
「へぇ^^お嬢さんはおいくつですか?」
「小2です。この子です」
と、彼はスマートフォンを私に見せた。
かわいらしい女の子がパパ(=Kanedaさん)とダンスしている動画だ。TikTok に投稿したものだと言う。
そのときは、イマドキの良きパパさんね、と微笑ましく感じたが、私の中のセンサーは、こいつアホや注意報を発していた。

Kanedaさんのジュネーブ出張中(わずか 2日ほどだったが)にわかったこと。
①英語が話せない(ベルリッツには通っているとのこと)
②「わかりません」と言わない

①も大問題だが、もっと深刻なのは②のほうだと思った。
Kanedaさんは、このプロジェクトに関して新人同然である。
そもそも、この会社のこともよくわかっていない。
なので、シネムも私も、できるだけ初歩的に説明する。

シネムは、彼の英語力をイマイチ把握できていないが、幼児レベルに落として話した。彼女らしい気遣いだ。
しかし、それでも彼は 10%も理解できていない、と私はみてとった。
ミーテイング中、私は何度も日本語で「わかりますか?」と彼に尋ねた。
彼は「はい!わかります!大丈夫です!」と満面笑みで言った。

イヤな予感がしたが、どうすることもできなかった。
「大丈夫です!」と自信満々に言う人間に、「大丈夫じゃないと思います」と私は言えなかった。


それから 1ヵ月、このプロジェクトのことはシネムに任せてきた。
シネムと Kanedaさんの間に入る、という選択肢もあったが、私はそれを選択しなかった。まずは、両者に問題を全身で感じてもらうほうがいいと思った。Kanedaさんと関わりたくなかったのもある。

案の定、シネムはを上げた。
気づくのが遅いよ、と思ったが、それは彼女にとってこのテの日本人が初見だったことと、彼女のポジティブな性格のせいである。

この 1ヵ月の間、日本支社側のタスクが一個も進捗しなかった、とシネムはため息をついた。
そりゃそうだろう。窓口担当者が何もわかっていないんだから。
さすがにシネムがかわいそうに思えた。
同時に、VP (Vice President) としてこの程度の障壁は乗り越えてもらいたいとも思う。

シネムの悩みは、例えばこんなこと。
「Kaneda-san が『営業部門と確認した (confirmed) 』と言ったから、それで結論は?と訊いたら、『営業部門からの返事を待っている』って言うの。え?どっちなの?って混乱したわ。ずっとこんな会話ばかりしているから、1つの情報を得るのに 1時間かかってる

日本人あるあるだな。

私「日本語にkakuninという言葉があって、彼はそれを “confirm” と言ってるんだと思う」
シネム「kakunin... それは confirm とは違うってこと?」
私「だいぶ違う。kakuninは、意味が広すぎてほとんど無意味になってしまってる、日本の会社員の口癖みたいなもので、その意味は check だったり enquire だったり、単に contact だったりもする」
シネム「confirm という意味は?」
私「ない」
シネム「どうすれば彼の言ってることが理解できる?」
私「彼が “confirm” と言ったら、Do you mean kakunin or go-i ? って訊いたらどうかな」
シネム「”go-i” って何?」
私「agree って意味」

シネムがノートに

“go-i” ― agree
“kakunin” ― makes no sense

と書いた。

「言語の問題だけなのかな・・・」
と、シネムは考え込むような顔をした。
問題の核心にシネムが気づきつつあることを私は認めた。


英語ができないことが問題なのではない。英語力は仕事を通していくらでも改善できる。
わかっていないのに「わかります」、できないのに「できます」と言ってしまう習性こそ救いようがないのだ。
Kanedaさんは虚勢を張っているわけではないと思う。
わかっていないけどわかったフリをする人間は、まだ救いようがある。
Kanedaさんの場合は、自分がわかっていないことがわかっていないのだ。
本人は「わかっている」と本気で思っているのだ。
そんな人間に、「いいえ、あなたは全くわかっていません」と説得するのは不可能じゃないか?

こういう人間の頭の中はどうなっているのか。
おそらく、超大雑把な絵しかないのだろう。ディテール無視。普通の人間が 12色の色鉛筆を使っているところ、彼は 3色しか使っていない。想像力というものが致命的に欠けている。
あるタスクが与えられたとき、そのタスクを遂行するために知っておかなければならないことは何か、彼は一個も思いつかないのだろう。だから質問もゼロなのだ。
そういうとき普通の人間は、軽いパニック状態になるものだ。「何から手をつければいいのかわからない。どうしよう(泣)」と体内のセンサーが反応する。そんなときは、「全然わかりませーん!」と泣き叫べばいいと思う。そうしたら周りが全力で助けようとするだろう。
Kanedaさんにはそのセンサーがないらしい。自身の危機に気づけない人間へは救いの手を差し伸べようがない。

日本支社に対して「担当者を替えよ」とは言いたくない。
Kanedaさんでなんとかするしかない。
願わくは、彼には仕事など辞めて、かわいらしいお嬢さんのお世話に専念していただきたいものだが。


2013年以来、私は日本の会社員とまともに仕事をした経験がない。
海外で働く日本人とはときどき関わってきたが、純ドメの日本人会社員と仕事で関わるのは久しぶりである。

日本に勤務していた頃の元同僚たちは有能だ。彼ら彼女らは今、彼のような人間を部下にもっているのだろうか。
「ゆとり世代」という言葉を聞いたことがあるが、他人事ヒトゴトだと思っていた。Kanedaさんがそれに当てはまるのかどうかもよくわからない。

Kaneda-san 問題の深刻さに気づいたシネムは、どう対処するかな。
きっと、私とは異なる、シネム流のマネジメントを見つけるのだと思う。
新任 VP であるシネムの相談役として、私は 3ヵ条を定めた。 

1) 必要最小限の助言をする
2) 細かいことは気にしない
3) 「やめる」決断のススメ

1) 日本人である私にしかできない助言はしよう。しかし、それ以上の余計なアドバイスはしない。
2) Kanedaさんの根本を改善するのはあきらめる。Kanedaさん経由で埒があかない場合は、日本サイドの当事者と直接話してもいい。
3) このプロジェクトをやめるわけにはいかぬが、Kanedaさんとの定例会議はやめよう。時間とメンタルの無駄遣いだ。


Dear Sinem,

あなたは、こんなところでつまずくような人ではない。
重大なプロジェクトを任され、それが思うように進まない状況に苛立つ気持ちはよくわかる。
トルコでキャリアを積み、スイスの本社で揉まれ、今のポジションに辿り着くまで、あなたはいくつもの修羅場をくぐり抜けてきたはずだ。
日本の会社員に戸惑うのは初めての経験だろうが、これは今のあなたが乗り越えるべきチャレンジだ。あなたにはそれができる、と私は思っている。
あなたには、次のステップがある。
知ってのとおり、当社に女性の Ex-com はいない。
当社で一人目の Ms. Ex-com 誕生を私は目撃したいのです。

Best regards,
Your Consigliere