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酒と肴と男と女

ゆうです。
あたしは、都内某市にある居酒屋でバイトしています。
大将と奥さん、従業員はあたしともう一人だけという小さなお店です。
カウンター 8席と 4人用のテーブル席が 2つ。
お客さんはほぼ常連さんばかりですね。
あたしの通う大学から歩ける距離にあって、大学の先生や職員さんもときどきいらっしゃいます。
学生は来ない。
チェーン店の居酒屋と違って、小料理屋っぽい店構えだから、敷居が高いんだろうね。お値段はかなり良心的なんだけど。

きのう、久しぶりにマミが来店してさ。
マミはひとりでふらっと来て、小鉢の一品ものをアテに冷酒を飲んでるような人なんだけど・・・
お店に入ってきたマミを見て、あたしは目を疑った。
敷島さんを連れてたんだ。

先月、あたしの師匠(社会学教授)が強引にセッティングした合コン(じつは大学の課題)に参加させられた学部生ですよ。

あんたらいつの間に?
とはあたしは思わない。
敷島さんはマミに興味をもったかもしれないけど、マミは彼を子供扱いしてたからね。

「いらっしゃいませ~」
と言いながら、あたしはマミに目で訊いた。

「連れてけって言われてさ~」
からからとマミは笑った。

まだ外が明るい 6時前のことで、お店は空いている。
ふたりは、あたしの正面のカウンターに腰掛けた。

「この前はどうも」
敷島さんはあいかわらず寡黙に言った。

「なに飲む?」
わざと馴れ馴れしく言ってみた。

「ゆうさんのおすすめのお酒はありますか?」
ふふっ。
「じゃあこれかな」
愛知の銘酒だ。
「九平次な」
とマミが言う。
「ゆうちゃんは愛知の出身なんだよ」
「そうでしたか。俺はずっと東京です」
そう言った敷島さんはどこかさみしげだった。

「なんかテキトーにみつくろってよ」
マミはいつもの調子で言った。
あたしは敷島さんのほうを見て、
「嫌いなものはある?」
「いえ。なんでも食べます」
「そう。若い人が好きそうなものはないけどね」

とりあえず、升に入れたグラスに酒をなみなみと注いだ。
それをマミも敷島さんもうまそうに飲む。

マミの好きそうな小鉢を出した。
じゅんさいの酢の物。
筍とふきの煮物。
まるでおばあちゃんの料理だ。

「これ、ゆうさんが作ったんすか?」
「まさか(笑)おかみさんだよ」
と、あたしは奥さんのほうを見た。

「おいしいです」
と敷島さん。
「あたりまえだ」
とマミ。

ふたりともぐいぐい飲む。
マミは、2杯飲みほしたところで、
「ごめん、次の約束があるんだわ」
と言って一枚のお札を置いた。
「足りなかったら、ゆうちゃんに出してもらって」

敷島さんは、お札を見てア然としている。
「マミはもってんの。とっときな」

大将と奥さんに「ごちそうさま!」と言ってマミがお店を出た。

まだ 6時半。ヒマな時間帯だ。
ひとり残された敷島さんの話し相手に自然となる。

「4年生になったんだよね。就活はしたの?」
「就職する気ないんすよね」
「ああそっか。〇〇教授の弟子になりたいって言ってたっけ」

3杯目の酒を注いでから、新しい小鉢を出してみた。
「こういうの好きかな」
「なんですかこれ?」
「このわた。ナマコの腸だよ」
「・・・・・・ほぉ。これはいい」
ふふっ。ナマイキな。
「このお店のお客さんはマミが最年少だったけど、敷島さんが記録を塗りかえたね」
「やっぱり場違いでしたか?」
「10年はやいかな」

「ゆうちゃんも一緒に飲んだら?」
と奥さんが言った。
そうだね。飲もうか。

それから敷島さんといろんな話をした。
案の定、彼も問題を抱えていた。
彼は、極度の人嫌いらしい。
とくに嫌な経験をしたとかではない。
わけもなく、とにかく人とかかわることが億劫なんだそうだ。

そういうことか、とあたしは思った。
敷島さんは、あたしに同族の匂いを感じたんだろうね。
その勘は合ってる。
だから社会学なんてドラッグにハマったんでしょ。

敷島さんのこと、「あいつはモテるな」ってマミが言ってた。
敷島さんはそれをわかったうえで、モテる自分を否定してる。
自分を好いてくれる女は、自分をまるで理解していないから。

あたしもそんな葛藤を抱えながら三十路になっちゃった。
敷島さんより少し遅かったけど、誰ともかかわりたくない時期があって、今もそれを引きずってる。
でも、それでいいんだって思えるところまで来た。
価値観の違う人とかかわるのって苦痛でしかないもの。

「敷島さんはとくに変わってるわけじゃないと思うな」
「そうすかね」
「波長が合う人なんてめったにいない。誰だってそうだよ」
「普通の人はそれでもうまく付き合ってるように見えます」
「きっと我慢するのがうまいんだろうね」
「俺は我慢が足りないんすかね」
「それも個性だよ」
「ゆうさんも我慢しない人かなと思いました」
「就職してから適応障害みたいになってさ。それ以来、無理して人とかかわるのをやめたんだよね」
「達観してますね。俺はまだそこまで割り切れてないかな」

大将がお造りを小皿で渡してきた。
これは大盤振る舞いだね。

敷島さんはそれを口に入れ、ゆっくり味わってから飲み込んだ。
「なんだこれ。めちゃめちゃうまい」
「のどぐろ。辛口のお酒と合うでしょ」
「やっぱり俺には 10年はやかったすね」

もう何杯目かわからない酒を注いだ。
敷島さんはまったく変わらない。
自分をあまり見せない人ってのは、わかりやすい奴になりたくないんだろうなあ。
なのに、理解されたいなんて希求してる。

「じつは、少しだけ就活したんすよ」
「合わなかったんでしょ」
「コミュ力がないとダメみたいですね」
「歳の離れたお姉さんとは会話できるのにね」

敷島さんは下を向いた。何か考えているようだ。

「俺と、友達になってもらえませんか?」
「またお店においで。今度は自分のお金で」

ごめんね。
あたしは、あなたを救うことはできない。
だってそうでしょ。
同病相憐れむみたいな関係になってもしょうがないよ。
あなたもあたしもドラッグに逃げてるじゃん。社会学と酒。
それは悪いことではない。
誰だって逃げたいんだよ。
ただ、逃げる人と逃げない人がいる。
あなたは、逃げない人を見つけなさい。