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『あかり。』 #13 葉山で午前3時・相米慎二監督の思い出譚

神奈川県 葉山。現地午前3時集合。
今だったら怒られそうな集合時間だ。しかし、そのとき制作部が切ったスケジュールはそうなっていた。
僕ら社員スタッフは、会社に泊まりこんでスタンバイする。
ロケバスに乗り込みロケ現場に向かうが、着いたところであたりは真っ暗でなにも見えやしない。住宅地だから声も出せない。

なんでこんな時間なのかといえば、カメラマンのTさん(北海道ロケのあの怖くて腕の立つ高名な人)が、早朝の光で撮ると言ったからだ。
夜が明け、早朝の光が斜めにクルマに射す。それが狙い目だと。クルマの撮影は早朝がお決まりで、<斜光>で撮ることがスタンダードだ。

駐車場というか、空き地に基地を作り、そこにわらわらとスタッフがやってくる。静かに、静かに。まるで、敵地を襲う戦闘部隊のように。

僕たちは無線を使って、連絡を取り合う。撮影部、特機部、照明部、美術部、衣装、ヘアメイク……。次々に持ち場に散っていく。劇車は、所定の位置に持っていく。
俳優部は、竹中直人さんと山口智子さんだ。おっつけマネージャーの運転で現れる。

監督は……なかなか来なかった。

相米監督は携帯を持たない人だったから、連絡の取りようがない。
「監督は?」
「あ。もうすぐです」
僕は嘘をつく。

夜が明けてしまうギリギリ前に、監督がタクシーでやってきた。
明らかにだるそうである(当たり前か)。

その日は梅雨も明けて、快晴の予報だった。
CMは、自宅に新車が納車される瞬間を描く微笑ましい内容のものだったが
撮影は大変だった。
ステディカムやショットメイカーなどの特機(特殊機材)が使われたからで、そういうのをTさんは好んだ。
スタッフは増えるし、撮影は大掛かりになるし、制作部の負担は倍増する。

相米監督は、クレーン撮影の名手というか、(長回しするためにはクレーンが必要だったのだろうけど)、特に機材のことは意に介さない。
相変わらず、役者しか見ない。

役者の二人は、当然、中井貴一さんと藤谷美和子さんのバージョンを意識しているし、(北海道ロケのお蔵入り作品については、大人だから触れなかったが)やる気満々であった。

役者がカメラを回す前から内面が跳ねている……それは演出する側にとって、どれほどやりやすいことだろう。
そういう機微を監督はすくいあげるのが、とても上手だった。
役者の内面のどこを刺激すれば、どうなるのかがわかっているのだ。

羨ましい。そう思った。

すごいなあ。そう思った。

人が人を撮る。
監督が役者を演出する。

誰でも監督することはできる。
まあ、だから世の中に監督と呼ばれる職業のひとは、星の数ほどいるわけだが……星になれるひとは限られたひとだけなのだと、そばにいて思った。

クルマの走りのシーンになると、
「村本くん、撮ってきて」
と言われ、はりきって(Tさん主導なのだが)撮った。
葉山の住宅街を巨大なショットメイカーが上下しながら、劇車を追う。
2秒あるかどうかのカットに贅沢な話だ。

でも、それがCMだった。

クルマの走りは、商品カット同様、大切なものだ。そのカットがあるからクライアントは高い製作費を出してくれる。

「いいのが撮れました」
ベースに戻って、監督に報告すると、何度かうなずいて
「ご苦労さん」
と言った。
陽が高かった。早朝の日差しは終わっていた。役者を撮るのに時間がたっぷりかかったからだ。Tさんの思惑通りに、ものごとは進まなかったのだ。
それでも、美しい映像を撮るTさんは、やはり超一流のカメラマンなのだった。

たしか、もう一本のティザーは終業した後のボーリング場を借り切って行われた。
エキストラの動きはいくつかのレーンをボーリングを楽しくしてもらっていればいい。少し気が楽だった。両脇のピンが倒れる音が邪魔だったから、全部ガーターを投げてもらっていた。

山口智子さんと竹中直人さんは、なんていうのだろう……生き生きしていた記憶がある。
人生のよき面を演じるのに相応しいふたりだった。

こうして歳を重ねてみると、人生には晴れの日ばかりではないことが実感としてわかる。しかし、広告の世界で描かれるシーンは、大抵の場合『晴れ』だ。

相米監督の映画の読後感を見た人ならわかると思うが(というか未見のひとは、ぜひ見てもらいたい)、映画のなかに人生の柔らかい肯定感がある。主人公たちの成長がある。

オフィスシロウズの佐々木史郎プロデューサーに、後に直々に教えてもらったのだけれど、『映画とは(脚本とは)、主人公がA地点からB地点へと辿り着かなくてはいけない。その距離が大きければ大きいほどいい』と。
それは、物理的な距離だけではなくて、精神的な距離も含めてなのだと思う。

相米慎二監督は、そういう映画を撮ってきていた。

だから、人生の晴れの日を描くだけのCMにも、あれだけの含みを持たせることができたのだと思うのだ。




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