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『あかり。』(第2部) #56 俳優巡礼・相米慎二監督の思い出譚

後年、寺田農さんと白川和子さんを老夫婦にしてシリーズCMを撮ったことがある。本当は一本で終わる予定だったが、寺田さんのことをクライアントの会長が偉く気に入ってしまい、シリーズが続いた。
なぜか寺田さんと相米監督と一緒に会ったことはない。

「あいつはひでえんだ。なんにも説明しないからさ。俺が通訳やってたんだよ」と寺田さんは懐かしそうに言った。
「ソウマイ!……あいつ、ほんとにね。ひどいやつ」と白川さんはニコニコしながら言った。
かつて、監督が一緒に仕事をした俳優さんを撮る。
僕にしてみれば、俳優巡礼みたいな気分だった。

実は演出などほとんどしなかった。
「実は……相米監督についていた時期があるんです」
と言うだけで、彼らはいい芝居をしてくれた。
ずるいと言えばそうなのだが、凡百の安っぽい演出の言葉を並べるより、余程効果的なのである。

相米監督に関わった奴に下手は打てない、といったところだろうか。
二人はいつもアイデアを用意し、細かい小道具もその場で見繕い、芝居に取り込む。
僕らは、それを撮るだけでよかった。

寺田農さんと相米監督の交流は、有名な逸話がたくさんあるので、そちらに譲るが、僕が肌で感じていたのは、二人とも酒好き、女好き、そしてインテリだったこと。
寺田さんは今でもいつも不思議な珍しい本をたくさん読み、その知識を面白おかしく話してくれる。誰といても話のレベルを合わせてくれて座持ちがいい。そういうところも監督と似ていた。

https://www.jprime.jp/articles/-/26513

だから、クライアントの会長など、寺田さんが普段会う財界人と違う角度の話のできる知識人だから面白くてたまらなかったのだろう。

おかげでシリーズは二年も続いた。

シリーズが終わって、別の<タレントCM>になった時、寺田さんから電話が入った。
「おい、ムラモト、今流れてるの、あれはなんだ? 俺たちのやってきたことはなんだったんだ?」
少々お怒りである。
と、言われても僕も一緒にお役御免になっているのだから、そんなこと言われても困る。
「すいません。ごもっともです」
僕は電話口で意味もなく謝った。

しかし「俺たちのやってきたことはなんだったんだ?」と言う寺田さんが、とても昔の語り口調でかっこよかった。

間違っても僕など口にできないフレーズである。

きっと、そんな共犯幻想を監督ともずっと抱いてきたのだろう。
だから出番の大小に関わらず、相米映画に出演していたのだ。
いい遊び相手?

カメラを挟んで囲碁をするように、フィルムを回す二人の姿を見たかった気がする。
すっかり年老いた二人が、どんな遊び方をするのか、興味深いではないか。

監督の遊び相手は、枚挙にいとまがなかった。

監督は意外だが手帳を持っていて、見せてもらったことはないのだが、それはある種の電話帳みたいなものであった。
スケジュールが書いてあるわけではない。

思いつくと、公衆電話から誰かに電話して、会う約束をして、遊ぶ。
なぜかその辺はやたら豆な人だった。

秋の始まりに監督から、ゴルフクラブ一式が届いたことがある。
「そろそろ、ムラモト君もやっていい頃だろう」
「いや僕は……」
「なんでよ。(佐藤)浩市がくれたやつあるから、やるよ」
「それは、いただけませんよ」
「いいんだよ」
などとやりとりがあり、我が家にゴルフクラブが届いた。

やるしかないのか……。

ゴルフ・ベンツ・ロレックスには手を出すまいと固く決めていたのが、脆くも崩れた。

密かにレッスンに通い、監督とコースに出ることになった。

後でわかるが、確実に運転手要員だった。家まで朝迎えに行き、送り届ける、ほぼ酒を飲まない僕にはうってつけの任務だ。

その最初のラウンドで僕は大失態を犯す。

ラウンド中は下手だからコースを走り回り、散々な目に会い、しかも握られて負けて、容赦ない洗礼を浴び、疲れ切って車に乗った。

西荻窪で飯を食うことになり、E社のHさんと2台に別れ高速に乗った。
監督は隣で寝ている。
カーステレオからはSTINGが流れていた。
帰り道は渋滞でノロノロ運転が続いた。

あろうことか、僕はいつしか居眠り運転をして、玉突き事故を起こした。
前2台は外車であった。

路肩に車を寄せ、ぶつけた相手にひたすら謝る。
その間、監督は仕方ねえなあ……とばかりに、後続車の車を捌いてくれていた。
相米監督に車捌きをさせたのは、後にも先にも僕くらいだろう。

その後、保険屋や警察にきてもらい、JAFに車は運ばれて行った。

Uターンして戻ってきてくれたE社のHプロデューサーの車で、僕たちは西荻に帰った。
監督の行きつけの居酒屋で労われ、僕はひたすら謝罪を繰り返し、散々なゴルフデビューは終わった。

損害は保険で全てカバーできたが、総額300万円を越えたと保険屋に言われた。まあまあの事故であった。

相米監督を交通事故に遭わせた負い目はその後も続いたが、監督は僕を責めることはなかった。
保険屋が監督にお見舞金や首の治療費(軽い鞭打ち)をスムースに払ってくれたのは助かった。
監督はその金で、嬉しそうに酒を飲んでくれた。


結局、僕は一年足らずで、ゴルフをやめてしまった。
人には向き不向きがある。





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