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思いと行動力で、選手を、チームを支える【DNSな人々その④~栄養士・田中初紀】

栄養に関する正しい知識、そして「人を進化させる」というDNSのブランドコンセプトを、スポーツの現場で選手達に伝えていく。そんな大切な役割を担う栄養サポートスタッフの一人が、入社5年目の田中初紀です。

皆さんは「いわきFC」をご存じでしょうか。東日本大震災からの復興のシンボルを目指し2016年に誕生し、現在はJFL(J3の一つ下のカテゴリー。4部相当)で戦うサッカークラブ。「日本のフィジカルスタンダードを変える」というコンセプトを打ち出し、徹底的なウエイトトレーニングで身体を鍛える異色のチームです。

DNSはいわきFCをチーム創設当初からサポートしており、田中は2018年から、選手達の栄養管理を行ってきました。

そんな彼女のこれまでとこれからを紹介しましょう。

スポーツが好きで食事が好き。食事でスポーツに関わりたい。

東京生まれの東京育ちで、大のスポーツ好き。そんな彼女がスポーツ栄養の道を志したのは、健康運動指導士だったお父さんの影響でした。

小学4年生の時、父が学会に参加して帰ってきて『興味あったら読んでごらん』と研究発表の資料を渡されたんです。『スポーツドリンクのアイソトニックとハイポトニックの使い分け』のような内容だったのですが、子ども心にすごく興味深かった。その発表をされていたのが東京農大の先生で「これ面白い! この大学に行って勉強する!」と宣言したのがスタート。そこから、ひたすら東京農大だけを目指しました。

一度決めたら邁進。その一途さと行動力で、彼女は実際に東京農業大学に入学します。応用生物科学部栄養科学科で食品栄養学を専攻し、少林寺拳法部でも活躍しました。

少林寺拳法は姉の影響で小学1年生の時に始めました。小学2~3年生の時に都大会で入賞したら楽しくなっちゃって「次は1位を取りたいね」「次は全国大会行きたいね」「世界大会行きたいね」とのめり込んでいきました。

学生時代は立会評価法(防具をつけて突きと蹴りの攻防を行う)と演武の両方で活躍。全日本大会で上位に入る活躍をしました。

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卒業を控えて将来の道を考えた時、頭にあったのは「スポーツが好きで食事が好き。食事でスポーツに関わりたい」という思いでした。そしてある出会いが、彼女を今へと導きます。

就職活動の一環として、当時DNSを展開していた株式会社ドームを社会見学することになりました。その時に出会ったのが、当時ドームに所属していた公認スポーツ栄養士の斉藤裕子さんでした。

※斉藤さんは現在ジャイアンツに帯同。DNSのオウンドメディア「Desire To Evolution」で連載「GIANTS NUTRITION」を執筆しています。

斉藤さんのお話を聞いて「純粋にかっこいい! キラキラしている! 一緒に働きたい!」となりました。斉藤さんはチームサポートに加え、各地へ飛び栄養講習会など、スポーツ栄養に関わるさまざまな活動をされていました。私は自分に何ができるかを考える前に「斉藤さんの仕事に関われたらいいなあ」という気持ちでした。

そんな思いから、就職活動はドーム一択。大学選びに次ぐ一途さで2017年に入社し、憧れの斉藤さんとの仕事がスタート。東大のアメリカンフットボール部やいわきFCなどの担当先について行き、チームをどのようにサポートするのかを見て、学んでいきました。

決して否定はしない。

2018年から斉藤さんから仕事を引き継ぎ、いわきFCのサポートを担当することになりました。月に1~2度いわきに出向き、選手達がどんなものを食べ、どんなコンディションで練習や試合に臨んでいるかを見続けました。

当時、いわきFCの選手達はほぼ全員、チームの練習グラウンドに隣接するアンダーアーマーの倉庫で働きながらサッカーをするセミプロ。練習を終えると、職場のカフェでチームが提供するメニューを食べます。

いわきFCは身体作りを重視するチーム。栄養バランスの取れた食事を摂り、ハードなトレーニングをします。ところが選手達の身体が思ったほど大きくならず、血液検査のデータも芳しくありません。なぜ? と疑問に思い、選手達の食事の場に出向いて詳しく調べてみました。すると…。

こちらは、出しているものはすべて食べていると思っていました。ところが現場に行ってみると、残食もあるとわかりました。選手も「食べました」と嘘をついていたり…。そこで「ちゃんと食べましょう」と指導をするわけですが、自分でも食べてみて「1食だけならおいしく食べられるけど、1日3食毎日だと、しんどいかな…」という複雑な気持ちでした。

その後、フードサービスの会社が切り替わり、田中は新しい会社の栄養士さんと一緒に、献立の基準を作っていきました。どの食材をどれぐらいの量使うのかを決め、肉の脂身の多い部分をカットすること、試合前のメニューについての取り決めなど、細かいところまで指定。栄養価を整えた上で、何が好きか、どんな味つけにするかなどは選手の声を聞き「全部食べられる」という食事の基礎を第一目標として、サポートしていきました。

いわきに行った時は、必ず全選手と話すようにしました。選手が食事をするカフェに行き「最近どう?」「食べやすいメニュー、食べにくいメニューはある?」「家ではどんなものを食べている?」といったことを聞き、食事の仕方についてアドバイス。選手の意見をできるだけ反映できるように、フードサービス会社とのミーティングを重ねました。

チームには真面目な選手が多い一方、食事に対する意識はまちまち。意識の高い選手もいれば「今日はコンビニでケーキを買って帰ろうかな」なんて言う選手もいました。私はそれに対して、試合前の理想の食事の話をした上で「今が食べるべき時か考えてね」とは言いますが、ダメとは決して言いませんでした。私があれはダメこれはダメと言い過ぎると、否定しかされないので、隠れてやるようになりますよね。私は選手達から情報を得ても、基本、他のスタッフに伝えたりはしません。信頼してもらえないと、選手達の本当の思いを知ることができないからです。

懸命なサポートによって、以前よりもずっとおいしい食事を提供できるようになりました。選手達の意識も向上し、食事を残すこともなくなりました。毎食しっかり食べるようになった選手達の体つきは変わり、チームは東北社会人リーグ1部への昇格を勝ち取りました。

行かなければわからないことが、たくさんあった。

翌年、いわきFCは練習グランドの横に「いわきFCアスリートステーション」という施設を作り、サッカー日本代表専属シェフ・西芳照さんが手がける食事を選手達に提供することになりました。

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田中はその立ち上げに関わるため、いわきに駐在することになりました。サッカー日本代表に帯同している西シェフと一緒に、おいしくてパフォーマンスを上げる食事を提供するための施設を立ち上げる。西シェフの考え方や仕事ぶりを勉強できる大きなチャンス。興味がわかないはずがありません。

そして、チームに深く関われるなら、選手のことをとことん知りたいと思いました。そこで、朝のスタッフミーティングからチームの活動に参加。練習中はグラウンドに出て、ボール拾いをすることもありました。せっかくいるのだから、上から見ているんじゃなく、やりたかったんです。

午前の練習が終わると、昼食を出す前にメニューをチェック。テーブルをセッティングし、選手を迎えます。そして食事中は選手とコミュニケーションを取り、味つけはどうか、食べにくいものはないか、といったことをチェック。食べ終わると、選手達の声をシェフにフィードバックします。

その後は午後の練習に出て夕食。夕食は時間の余裕があるので。ゆっくりといろいろな話ができます。同年代ゆえ、選手の話し相手になることもよくありました。

「ケガをしちゃって、何をどんな風に食べたらいいのか」「試合になかなか出られなくて」といった愚痴に始まり「寝ても疲れが取れないんだけど…」「最近彼女と別れちゃって」みたいな悩み相談もありました。でも、私は基本聞くスタイル。特にサッカーのことには、決して口を出さないと決めていました。チームにはサッカー、トレーニング、それぞれにプロがいますから。そしてチームに帯同したことで、選手・スタッフがどんな思いで日々サッカーと向き合っているのか肌で感じ取ることができました。その場に立っていなかったらわからなかったことも多く、たくさんの発見がありましたね。

また、実際の調理を担当するシェフとの意見調整が難しかったと語ります。

シェフの想いは、選手たちに少しでもおいしいものを届けたい、というもの。もちろん私もそこは同じですが、栄養価やパフォーマンスへの影響も考えなくてはいけない。例えば試合前の食材で、脂身の多い豚バラを使うのか、脂身の少ない豚モモを使うのか、といったことですね。小さなことですが、それらのすり合わせが大切で、シェフの考えと私の考えの折り合いをつけなくてはいけない。それと調理法も工夫しました。特に試合前、揚げ物はなるべく避けたいので、スチコンを使った揚げない唐揚げやコロッケを提案してみたりと、身体に負担をかけずにおいしいものを食べてもらうため、いろいろと試しました。食事は選手の大きな楽しみなので、選手の喜ぶものを栄養面でもクリアさせて、と難しかったです。

他にも「せっかく食事の場に毎日いるのだから、選手達がもっと栄養に詳しくなるように手助けしたい」と考え、選手達の興味関心を引くために、食事のたびにボードに栄養素のことなどを手書きで説明をするなど、細かいところまで目を行き届かせました。

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そのおかげで栄養素と身体への影響に関心を持つ選手が徐々に増え、彼らのアスリートとしての意識は向上していきました。そしてこの年、いわきFCは東北社会人リーグ、そして全国地域サッカーチャンピオンズリーグを勝ち抜き、優勝。全国リーグ・JFLへの昇格を勝ち取りました。

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田中の丁寧なサポートがチームの偉業達成を支えたことは、この年のチームに関わった人すべてがよく知るところです。

外からサポートしている時にはわからなかった選手やスタッフの思いを知った上で、勝利の喜びを分かち合う。いわきで過ごした1年は、とても思い出深いものになりました。

またいつか、あの熱を体感したい。

2020年に東京に戻り、夏から産休に入りました。そして出産を経て、この春に復帰。今は9カ月になる愛娘の子育てに奮闘しつつ、主にリモートで仕事に取り組んでいます。

いつかまたチームに帯同したい。もう一度、あの熱を体感したいですね。でも子どももかわいいので、難しいところです。今、離乳食作りが楽しくて仕方ないんですよ。お米からスタートして、食べられるものが少しずつ増えています。実は自分でも離乳食を少し食べてみて、わかったことがあるんです。味つけはほとんどしないので、食材ってこんなにおいしかったんだ、と再認識しました。以前は選手の食事の時、白飯が進むように調味料を使った味つけありきで考えていたのですが、もっと食材のおいしさを生かす方法があるはずだと実感しています。

そして、少林寺拳法もまだ続けていきたいと語ります。

今は農大のコーチをしていて、大会前などにオンラインで指導したり、出向くこともあります。落ち着いたら自分でもやりたいです。私まだ、世界大会に行ったことがなくて…。行かないと現役を引退できません(笑)。育児が落ち着いたらまた練習したいですし、子どもも一緒にできたらいいなあと。やりたいことだらけで大変ですが、忙しいって幸せですね。

今後もできる範囲でいわきFCのサポートを続けつつ、新たにマーケティング分野にもチャレンジしていくそうです。まだまだキャリアは始まったばかりですが、きっとこれからも持ち前の一途な行動力で、仕事と育児に奮闘していくことでしょう。

田中のこれからの活躍にご期待下さい!


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