ブルデューの理論そのものに接近したい向きには全くオススメできない:『ブルデュー 闘う知識人 (講談社選書メチエ)』

■内輪ネタばかり
 著者は「その人の生と理論とは切り離せない」と主張し、昔ながらの入門書スタイルでブルデューの生い立ちと人となりを延々と語り始める。それも最初のうちはまだよいのだが、次第に話はフランスの複雑な教育制度に入り込んでいき、耳慣れない固有名詞の連続で読者を混乱させる。例えば、ブルデューがエコル・ノルマルに入学するくだりでは、誰それは入学できなかっただの、誰それは同じエコル・ノルマルでもランクが低いだのといった調子である。
 その後、研究者としてのキャリアを歩み始めると、その傾向に拍車がかかる。話は次第に学者どうしの派閥と政争になっていく。とくに疲れたのが、師事したのち決裂したレイモン・アロンについての記述である。著者はわざわざアロンの『回想録』を紐解き、数頁にもわたって引用する。早い話が、「アロンの時代の社会学はまだ経験科学として未発達で、ブルデューからそうなった」というだけのことなのに、アロンのブルデューへの当てこすりをいちいち取り上げながら、アロンの「心情」を憶測して個人攻撃を始める。
 アロンによるとブルデューは「支配欲に取り憑かれたカルト集団首領」「大学界の陰謀のエキスパート」「自分の地位をおびやかしそうな者たちを容赦しない男」だそうである。これに対して著者は「学者であれば当然のことである」とブルデューの代わりに開き直ってみせる。その当否やら是非やらはともかく、大半の読者にとっては心底どうでもよいことである。
 
■デリダに対する執拗で陰険な人格否定
 本書は、冒頭からいきなり、「ジャック・デリダの来日講演は1/3しか席が埋まらなかったけど、ブルデューのときは満席だった」というデリダ攻撃で始まる。ブルデューの来日講演が盛況を博したことを伝えるのに、デリダを引き合いに出す必然性はまったくない。自分はこの思想家に何の思い入れもないが、以降もとにかく彼に対する批判の域を超えた醜い「中傷」が溢れており、こうも悪意を剥き出しにされると不快で仕方ない。いったい何の本を読んでいるんだか分かりゃしない。
 もちろん、著者がかくもデリダを敵視するのは、ブルデューとデリダの間に対立があったからだ。ハイデガー解釈をめぐる論争はよく知られている。ならば、その対立の中身を詳しく解説するべきだろうに、本書はそこには踏み込まないのでさっぱり分からない。おそらく著者がハイデガーもデリダも理解していないからだろうが。本書によると、デリダがブルデューの概念を「ハイデガー以前だ」と批判したそうだが、もちろんその意味するところも本書の記述からは皆目分からない。これに対して著者は、ブルデューは社会科学者だからハイデガーを読む義務はないと弁護する。しかし、ハイデガーについて本を書いたブルデューにその弁護は成り立たないだろう。
 
 著者はとにかくブルデューと敵対した人間が許せないようであり、読んでいてその愛が重い。何といってもブルデューに抱擁されて「わたしはその瞬間、自分の人生はまったく無駄というわけではなかったのだ、意味があったのだ、と思った」そうだから、相当なものである。
 
■ブルデュー理論の概説は60頁程度
 そんな調子で第4章にたどりつくと、「社会学者ブルデュー」と題されている。ようやく重い腰を上げてブルデュー理論そのものを説明してくれるのかと思いきや、ブルデューの社会科学へのスタンスを説明しているだけだった。しかも、ここでも「ブルデューを含めフランス知識人の文章は難解なのは何故か」という関係ない話に最初の10頁を費やしている。
 そのため、読者がブルデュー理論に入門できるのは最後の第5章のみ、全286頁のうち60頁分ということになる。そのなかで、「ハビトゥス」「資本」「界」といった基本概念に各節が割かれているのだが、正直いってかなり理解に苦労した。著者が「難解だ」と指摘するブルデューの文章をかなり長く引用するうえ、著者自身の説明もそこまで分かりやすくはない。途中で、有り体にいえば「ハビトゥス=生まれと育ち」と言われるのだが、実際のところそれ以上のニュアンスを読み取ることが自分にはできなかった。
 
 したがって、ほとんど理解の覚束ない状態での印象になるのだが、ブルデュー理論は近代国家・近代社会の枠組みにかなり依存しているように思われた。事実、本書でも最終節は「6 メタ界としての国家」と題されていることからも明らかだろう。とりわけ、もともと階級分化の激しいフランスの事情に格別適合した理論のように感じる。市場の論理があらゆる「界」に貫徹していく新自由主義の時代においては、その枠組み自体がどこまで維持されるのだろうか。古い言葉でいえば、文化という「上部構造」に話が集中していることは、ブルデュー理論(というか「社会学」?)の弱みではないのか。
 何にせよ、ブルデューの人生や敵対関係ではなく、彼の理論それ自体に入門したければ、本書は避けるのが吉である。

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