感想書きとしての矜持

まずは告知から

「響木アオというアイドルについて」というテーマで記事を募集している友人がいます(宣伝)

……見ての通り、私の友人(たぶん友人)が非公式に応援企画をやるそうなので、ひとまず拡散します。

短くまとめると【好きなものの魅力を熱く語って盛り上げよう!】という主旨で、改めて言うとどの公式とも無縁な、非公式な個人の企画である

私は偶然ここへ来て、宣伝して、います

◆裏でのやり取りが一切ない◆


……それはそれとして。

感想書きとしての矜持

Vtuberに限らずいろんな界隈で、感想文しか書かない(その多くは『書けない』のだ)人というのは、なんだかんだ言って肩身が狭いように感じる。普通ファンアートと言ったときに思い浮かばれるのはイラストや漫画、二次創作SSや音楽ばかりで、感想しか書かない人間は『口ばっかり』だの『お客様』だのと見くびられ、時に公式にさえ見下される。(届木ウカ不絶許)

そうやってぞんざいな扱いを受ける中で、人はいつの間にか感想をマジレスしなくなる……。作品を面白いと思っても、それが何故面白いのか、欠点があるならそれは何か、どうすればもっと面白くなるか、そういった内容を頭で考え、言葉に認める勇気を失くすのだ。……私自身、たぶんそうだった。


この界隈は……

話は少し飛ぶけど、Vtuberの界隈は特にこれが顕著じゃないか?
原因は幾つか考えられる。最初期から作品としての立場から逃げて、「生身の人間が中にいるから」という口実に甘えた先輩方のせいでもあるし(届木ウカ不絶許)、イラストしか想定していないようなタグを制定して、実際にイラストばかりRTする今の人たちの責任でもある。言うまでもなくそれに屈して(或いは"騙されて")言葉で語ることをしなくなったファンの側にも問題はあるだろう。(……とりあえず全人類焼き滅ぼすか?)

手短に自分語りをすると、亜さのここ亜のアカウントが生まれた経緯も、ちゃんと語れる人間が誰もいないことへの怒りが8割を占めていた。
(アカウントを作った4月時点、本当に私以外は誰一人として作品としてVtuberの感想を書く人間がいなかったと記憶している。)


そんな中で、敢えて文章が主体のnoteという場所で企画を開くことには、単なる響木アオの応援以上の意義がある。

残念ながら私が参加するかは未定なのだが(なにせ響木アオの動画を"まだ"見ていないから、『響木アオさんのファンであること』という応募資格を満たしていないのだ)、同じ感想書きとして、なんとしてもこの企画は応援したい。

ゆがみんさん、絶対成功させてくれよな。

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