映画「プリシラ」を観たんです
4月だと言うのに、夏風邪のような様相の風邪を引き…外出を控えていたんですが、今回はどうにか観劇スケジュールの合間で治りそうです。イカッタイカッタ。
って事で、先ずは公開から少し経った
映画「プリシラ」
をやっと観てきました。
映画「エルヴィス」を堪能したもので、唯一人の妻であったプリシラ・プレスリーの自伝を観なければねぇってな具合です。
その上、あの「マリー・アントワネット」で
ピンクピンク&ガーリーガーリー
を前面に出して存分にワタクシを楽しませてくれた
ソフィア・コッポラ監督
の最新作です。
彼女が作る
ファッショニスタ=プリシラ・プレスリーの世界
を見たいじゃないですか…。
↑今回はCHANELがエンドクレジットに入っておりました。ウェディングドレスがCHANELのものらしいです。
ワタクシのプリシラ・プレスリーの印象って、まあ、既にエルヴィスも亡くなってて、かつ彼女も離婚した後なのですが、兎に角、
派手で浪費家そうなセレブオバサン
なわけです。
さすが、
あの派手派手エルヴィスが選んだ女性
って思ってたのですが、
映画の中ではちょっと違うわけで…。
何しろプリシラがエルヴィスと出会ったのは14歳。9年生って言っていましたが、中学3年生です。
そして、その時エルヴィスは24歳。
物語は出会いから離婚までの14年間を描いています。
まだまだ、ワタクシの見て知るオバサン感には至っておりませんでした。
この作品はプリシラ・プレスリーが彼の死後に書いた自伝を原作にして、
彼女は今回、製作総指揮=executive producerも務めています。
脚本と演出は、ソフィア・コッポラが担っているけれど、
プリシラ・プレスリーの意向はかなり入っていたのでしょうね。
と言うのも、
この作品は全てプリシラが見てきた聞いてきた感じた事<だけ>で構成されているからなんです。
そこには、エルヴィスの声も、彼女の両親(父親は母の再婚後の義父)の声も、友人たちの声も、スタッフの声さえも含まれていない。
あるとしても、それは彼女が聞いた言葉であり、感じたものだけなのです。
今思い出したんですが、出演している人たちの顔はもちろん映されているんですが、どこかはっきりしてないってのもそれでかもしれない。
プリシラが印象深く思った人=怒ってくる義父、優しく受け止めてくれる義祖母は印象に残るけれど、他の大勢は印象に残らない映り方をしていたかも。
ワタクシが、この作品が素晴らしいと思った点は、そこでした。
ソフィア・コッポラ自身もインタビューでこう話しています。
「14歳の頃から成長していく過程が、本人の目にどう映っていたのか。彼女自身の視点から創造的な方法で捉えたかった」↓
ソフィア・コッポラ監督は
プリシラが見たであろう視点で、
誰もいない大きな豪邸の居間を映すことで、彼女の孤独を描き、
学校でもいつもひとりきりの彼女を描き、
エルヴィス・プレスリーという大スターが実は人気を気にし、常に取り巻きたちとパーティをしたり、ツアーに行ったり、撮影に行ってしまい、彼女といる時はほとんど薬で寝てしまう姿を描きます。
そこに
ふたりだけの生活が見えてこない。
本当にラブラブ?と疑問に思ってしまうほど。
彼はまるで彼女を自分の理想の妻=亡くなった母のように育てようとしていて、一緒に成長しようとは思っていないように見える。
このエルヴィス像もまた、プリシラの視点によるもの。
実際の姿は、映画では誰も語っていないのでわからないままなのです。
他の映画だったら、周りの人々の視点でプリシラのことと同時にエルヴィスのこと語られるのかもしれない。
しかし、
ソフィア・コッポラ監督は描かない。
原作者であり、製作総指揮であるプリシラの意向もあるかもですが、
ココまでプリシラの視点だけで描きあげたって、
ある意味、すごくないですか?
ワタクシは途中でそのことに気づいて、ワクワクしました。
やっぱり
天才=変態
です。
* ワタクシが映画監督に使う変態は褒め言葉であります。
徹底させてます。
どの時点でココまで徹底的に他を排除しようと決めたのだろうか?とても気になりました。
そして、最後に日本ではホイットニー・ヒューストンのカバーで有名な“I will always love you”のオリジナル版=ドリー・パートン↑で終えるって言うのが、何とも演歌調なのも、ソフィアらしいのかな?
因みに、本作は第80回ベネチア国際映画祭に出品されて、ケイリー・スピーニーが最優秀女優賞を受賞したそうです。
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