私の中のひなビタ♪は、青春と共に消えた

19/07/18 追記:タイトルを修正。

今でも忘れることができない。

私とひなビタ♪との出会いは、2013年8月13日、T県某駅前ゲームセンターの中。

まず、ひなビタ♪について軽く触れておこう。

一応、ニコニコ大百科のリンクも掲載するが、要は

・Facebookや音声ドラマで物語が進み

・そこで作られた楽曲が実際に音ゲーに収録される

ということを繰り返すことで構成されていたコンテンツである。

今では、ひなビタ♪の舞台である倉野川市と、そのモデルとなった鳥取県倉吉市と架空の姉妹都市提携を結ぶほどに影響力を持つようになった。

さて、私の話に戻ろう。

あの日は、親しい友人と3人でT県へ電車で遊びに行った日。

私が住んでいたところはとても田舎で、高い建物なんか市役所くらいなものだから、少し離れたところに行かなければビルすらも見られない。

中学に入学して、初めて少し遠くへ出かけた体験だった。

当時の私達の娯楽と言えば、ゲームセンター、アニメ、…とか、とにかくレパートリーが少なかった。

初めて友だちとボーリングをした、アニメイトに行った…

それから、駅前のゲーセンに行って、太鼓の達人で遊んだのを覚えている。

当時、万戈イム-一ノ十2000(成仏2000)という高難易度楽曲を解禁するために、それを持っている人とあそぶ必要があったのだが、偶然にそれを持つ人を見つけ、勇気を出して声をかけ、知らない人と一緒に遊んだ記憶は今でも鮮明だ。

しかしそれ以上に覚えているのは、初めてjubeatに触れたこと。

jubeatというのは、コナミのBEMANIという音ゲーブランドの一種である。

当時、そもそも太鼓の達人以外の音ゲーなんて知る余地もなかったのだが、その時初めて目にしたあの四角い筐体は、不思議でどうにも魅力的だった。

その時、周囲には後に触れることになるポップンミュージックの筐体や、beatmaniaの筐体もあったはずなのだが、どういうわけかjubeatだった。目に留まったのは。

まさかこの時は、それに向こう数年束縛されるなど思いもしていないのだが。

新しいことを始めるのには何事にも勇気がいるものだけど、その時も例外ではなかった。

筐体前を何周かウロウロした。

他の人のプレイを眺めたりした。

いくら中学生とはいえ、軽く不審者じみていたかもしれない。

プレイの待ちがなくなって、周囲に誰もいなくなったのを確認してから、意を決してプレイすることにした。

今でこそ新しい機種を始めるのになんの抵抗もないが、当時はそれほど緊張したのである。

プレイした曲目はたしか、Only my railgunとか、Sisters noiseとか。

私達3人は、その頃とある科学の超電磁砲を履修していたというわけである。

が、一曲だけ版権ではない曲が混じっていた。

「めうめうぺったんたん!!」だ。

なぜ選曲したかというと、ジャケの見た目である。

それから、どう考えても電波な曲調。

その時は何かのアニメのキャラソンか何かかとしか思っていなかったのだが。

これはまさに、ひなビタ♪の曲だったのである。

音ゲーの曲はあまりに多いから、プレイするたびに一期一会などと当時は理解していなかったが、この時もそうだったようで。

ひなビタ♪を知るきっかけ、ひいてはBEMANIシリーズに誘われたのはまさにこの時だったのである。

さて、ここからjubeatにハマるまではほんの一瞬だった。

友人ら二人はどちらかと言うとREFLEC BEATの方に惹かれたらしく、たびたびそれを遊んでいたが、私がjubeatで遊んでいる頻度はそれよりも多かった。

というのも、当時はまだ中学生。

ゲームセンターに保護者の同伴なしに入るのは禁止されていたのである。

だから私は、外へ買い物へ出かけるついでに親にゲーセンに行くように頼み、毎週のようにゲーセンに通ったのだった。

まあ後に一人や何人かで地元のゲーセンに行くようになり、先生に見つかったりもするのだが。

当時はとにかく、太鼓の達人以外の音ゲーというものが新鮮で新鮮で仕方がなく、様々な機種にドハマリするようになったのである。

さて、現実世界の方はというと。

中学1年生、これは私が問題児に延々といじめられていた時期。

はっきり言って精神的な苦痛が絶えない時期だった。

ひなビタ♪の方の時系列はというと、シーズン2…デュエット曲が出始めた頃。

私は精神的な癒やしを求めて逃げ惑っていた。

行き着いたのは、ひなビタ♪のアノネ!である。

アノネ!とは、日向美ビタースイーツのメンバーが、音楽用語について解説する…という趣旨のコーナー。

おおよそ週に一度更新されていた。

端的に言ってしまえば、キーボードの山形まり花が天然発言で時折なんやかんやとセクハラじみたことをしていたりするのを眺めるのが好きだったというただそれだけの話である。

家に帰るなりパソコンをチェックし、ひなビタ♪のポータルサイトを開く、とそんなことを毎日のように繰り返して、更新があれば喜び、あるはずの曜日に更新がなければ悲しむ…と一喜一憂していたのが懐かしい。

Facebookの存在に気づいてからは、もうひなビタ♪が大好きになった。

事実、中学在籍中にはひなビタ♪以外のコンテンツをほぼ履修していない。

ゾッコンだったのだ。

家庭の事情で年に一度は東京に行っていたのだが、その時ゲーマーズに行くことをどれほど楽しみにしていたことか。

ひなビタ♪グッズはゲーマーズにしか置いていなかったのだ。挙げ句通販もしていないときたから、田舎民は発狂もの。

しかし幸い年に一度は東京に行けたから、その時にあるだけのお金でグッズを買ったものだ。

CDもちゃんと買ったし、自分ができる範囲でオタク的活動はしていたつもりである。

中学2年生は、beatmaniaとポップンを初めた頃だったか。

中2の夏休みに、ポップン強化合宿などとうたって、一人でゲーセンに行き続けたのを覚えている。

使用キャラは霜月凛。

彼女がひなビタ♪で一番好きだったのだ。

ひなビタ♪楽曲はもちろんのこと、死ぬほど音ゲーをしたなぁ…と当時は思っていた。この時まさか大学に入ってからゲーセン30連勤なんて馬鹿なことをするなど知るはずもないのだが。

この頃は純粋にコンテンツが好きで、キャラが好きで、ただそれだけ。

Facebookも更新されたら追って、アノネ!の更新を心待ちにして。

なんの不自由もなかったはずなのに。

ふとしたきっかけで、何もかも一変する。

音ゲーをするのは好きだったけれど、どうにも孤独だったのが中3の頃。

というのも、あまりにもガチになりすぎて、周りの人はついていけない、家と言って知り合いもいない…という状況に陥っていたのである。

普通、音ゲーは誰か知り合いがいたほうがモチベーションが上がるもので。

中3まで一切の情報を他人と共有せずに音ゲーをしていたから、約2~3年間は完全に孤独に音ゲーをしていたので、そういう人は結構珍しいと、自分では思っている。

そんな私に転機が訪れる。

Twitterでの交流の拡大だ。

なんと不思議なことに、当時もツイッターをしていたにもかかわらず、音ゲーで直接的に交流をしていた人は全くいなかった。

が、しかし、きっかけは全く覚えていないのだが、中3の頃に、音ゲーでの繋がり、フォロワーが一気に増えた。

これは私にとって喜ばしいことであった。

音ゲーの話ができる人は貴重、というより、現実世界では当時皆無だったので、ネットでできるだけでも本当にありがたいことだったのだ。

この頃、私はあるものに出会う。

なりきり垢だ。

…正直、この文章で何を言わんとしているのか、この時点でお察しになる方も多いと思う。それでも全てを私は書かねばならない。

なりきりという文化は、ツイッター誕生以前からも存在していた。

ある特定のキャラになりきり、ロールプレイをするのである。

チャットなどで行われていたはずだが、ツイッターの誕生により、アカウントという形でキャラを固定することが可能になったために容易になったのである(だろうと考えている)。

ひなビタ♪においてもそういう垢は複数存在していた。

私は田舎に住んでいたために、グッズを買うこともできず、かといってゲーセンに行こうにも、中学生なのでゲーセンに頻繁に赴くこともできず。

フラストレーションが溜まっていたのだ。

オタク活動ができないことに、それから日常生活に。

中3ともなると、高校受験だと学校が気合を入れる。

なにか刺激を求めていたのかもしれない。

その結果かはわからないが、私(と、あるフォロワーの一人)は、なりきり垢を作って、交流することにした。

先程も述べたが、私が好きだったのは霜月凛というキャラ。

しかし彼女、文学に非常に精通している上、厨二病の成分まで入ってしまっているために、言動がいちいち難解。

当時の私に(というか今もだが)、そんなキャラのロールができるわけがない。

そして更に都合の悪いことには、ひなビタ♪にはキャラが7人程度しかおらず、誰もがなりきり垢を作れば当然キャラ被りするのである。

そうすると生まれるのが、同キャラ同士の交流。

私のフォロワーも霜月凛の愛好家だったために、同キャラCPという状態になってしまった。

こうなってしまえばもうおしまい。

同キャラ同士の大乱交の開始である。

せめてダイレクトメッセージだけでヤればいいものを、表立ってまでやってしまうものだから本当に滑稽。

どうなるかは明白だった。

軽く炎上した。

今考えれば当たり前のことで、

・キャラにそぐわないわいせつなやり取り

・幼稚過ぎる発言

・中の人(背後)が出てくる

等々、燃える条件が揃っていたのである。(画像略)

しかし当時の私はこれに遺憾の意を表明してしまう。

本当に幼かったと思う。

しかし、まことに不可解な出来事だったのである。

なぜこんな細々とやっているのに、外部の目に留まったのであろう…?と。

ツイッターというツールの性質を考えれば、わざわざ調べなくとも、偶然目に留まってしまう可能性は十二分にある。

だが、原因と思わしきものはもう一つ。

私が絡んでいた人の中に、所謂ヲチスレの中でよく話題に上がる人物が入っていたのである。

ヲチはウォッチのこと、つまりはツイッターの監視スレ。

民度は最悪、手当たり次第ツイッターで痛そうなやつを探しては晒して叩きあうという無茶苦茶なスレだった。

久々に覗いてみたら、荒らしが大量発生してどうやら自然消滅したようであるが。

先程の、そのヲチスレでよく話題に上がる人物というのはまとめると

・特定CPへの異常な執着

・旧字を多用するなどの痛く見える言動

・公式や公式展開へのヘイト

・原作を逸脱したなりきり

等の特徴を持っていた…悪い大人の目に留まれば晒されないわけもなく。

その人からの繋がりで、私も同じく目をつけられたのかもしれない。

確証はない。

ここで断定してしまうのは、あの人に責任をなすりつけることになってしまうから、それは避けたいと思う。

若気の至りだったのだ。

幼かった私が全面的に悪いのであって、誰かのせいにするべきではない。

しかし当時の私は本当に愚かで、ヲチスレで晒されている人物だとわかるや否や、その人との交流を避け、しばらく後になりきり垢の運用も停止した。

しばらくは、恥ずかしいという感情が続いた。

自分がしていたことが、周りから見たらどういうことだったのかということにその時ようやく気づいたのである。

その後に、恨みを感じるようになった。

私が一歩間違えばヲチスレに晒されてしまうような状況に陥っていた、それは他人のせいだと、そう信じていたのだ。

(事実私の知り合いは何人か晒されていたのも相まって。)

自らの過ちだと認めたくなかった。

そういう意味でも、本当に幼かったのだなぁ、と今なら思える。

さて、この頃ひなビタ♪の展開はというと。

たしか、シーズン3で大団円…かと思いきや、シーズン4が始まって、ソロ曲の2周目(neko*neko等)が始まってからしばらくの頃。

この時私は何を思っていたかというと、シーズン4を全くの蛇足だと断定し、シーズン3の大団円でよかったではないか!などということをいつも口にしていたのである。

neko*nekoはにゃんだふるの焼き増しだとか、そんな文句ばかり。

更にはひなビタ♪での交流で結婚した人をいちいち揶揄するようなツイートをして、逆にその本人に晒された挙げ句逆上するとか。

私の幼稚さは、なりきり垢を運用していたときよりも、むしろこのときに最高潮だったように思える。

自己嫌悪と他人への恨みが相まってめちゃくちゃになっていたのかもしれないが。

全く最悪の行為だと言う他にない。

自分のことをまるで棚に上げて、公式やら他人やらを攻撃することに余念がなかったのだ。

よく考えれば、この行為の数々はヲチスレで晒されていたあの人の行為と何ら変わりはない。

そんな単純なことにすら私は気がつけなかった。

それでも、霜月凛の「フラッター現象の顛末と単一指向性の感情論」が発表されるまではFacebookを追っていたはずであるのだが。

ある時、パタリ、と興味が失せた。

だんだんとだったかもしれない。

突然だったかもしれない。

私とひなビタ♪の距離は、明らかに離れていった。

私の感覚では、向こうが離れていったような。

私の方が距離を置いたのかもしれないけれど。

なんとなく、遠くへ行ってしまった気がした。

当時は、コンテンツの規模が拡大したからだと思っていた。

ひなビタ♪は人気をじわじわと伸ばし、活動の規模も大きくなり始めていたのがちょうどこの頃。

自分を古参だと勝手に思い込んで、大きくなったら離れるなどというオタクは世の中に数知れずいるとは思うが、私もその一人だった。

これは推測でしかないのだが…ひなビタ♪と疎遠になった原因は実際には違ったと思う。

きっと、この頃から深層心理では罪の意識を感じていたのだと、そう考えている。

こんな所業をした私に、ひなビタ♪を追う資格はない…

そういう意識が染み付いていたのではないか。

Facebookも、公式ホームページも、まるきし見なくなった。

しかし、私がひなビタ♪から疎遠になったあとも、彼女たちの活動はずっと続いていた。

倉野川と倉吉の姉妹都市提携、ライブなどなど。

それを私は遠くから眺めることしかできなかった。

具体的に言えば、シーズン5、3人楽曲の追加から、花のやくそくまでの頃。

私はそれを全く知らない。

「そこはかとなくロマンセ」とか、楽曲はとても好みだった。

けれど、どれだけ曲が良くても、その背景は全くわからなかった。

ひなビタ♪は、物語の進行と、楽曲の発表が一体となって実感できるリアルタイム型のコンテンツだった。

それをよく知っている私は、なんとなく寂しさや、虚しさを覚えてしまうのである。

彼女たちの物語を何も知らずして、楽曲だけを享受するとは、なんと愚かなことかと。そう考えてしまう。

さて…リアルの方に話を移すと、2016年から2018年まで、私は高校生。

少し離れたところの高校に通っていたので、音ゲーをする機会は、中学生の頃よりも明らかに減った。

それからスマホを手にして、娯楽が増えた。

別にひなビタ♪だけが、私の癒やしではなくなっていたのである。

アイドルマスターシンデレラガールズに執心していた私は、アイドル神谷奈緒の担当を努め、幾度もガチャに金をつぎ込んだものである。

音ゲーはこの頃もずっと続けていた(なんと受験期間も)が、もっぱらbeatmaniaをしていたものだから、ひなビタ♪と触れる機会もほとんどなかった。

高校時代は良かった。

いじめもないし、みんなが優しい。

しかし私の内面に異常をきたしていたために苦しんでいた時期でもある。

理想と現実の乖離、アイデンティティの拡散、発達の”ズレ”など。

いろいろな問題が表出して、命を放り出しかねないような精神状態だった。

それでも高3になると、回復の兆しを見せ、大学受験にも成功。

リアルの方はある意味上手く行っていたのかもしれない。

部活もしていなかったし、家に帰るなりゲームに明け暮れていたから、お世辞にも理想の高校生活とは言えそうもないが。

それでも、楽しかったなぁ、と今なら思える。

さて。

俗に言えばこの頃は青春の真っ只中だ。

かつてこのnoteで私の失恋の話を書いただろうか。

覚えていないのだが、その話をしよう。

詳細は省くが、中学生の頃から6年間片思いした相手に、高3の8月に告白したところ、フラれた。

それだけの話である。

いろいろな経緯があって、どう考えても成功するだろうな…というところでフラれたので、唖然としたのをはっきりと覚えている。

それからしばらくは本当に心ここにあらずという感じで立ち直れなかった。

たしか仮面ライダービルドのグリスブリザードナックルを予約注文したのもその直後で、それがきっかけで仮面ライダーオタクへの道を歩み始めるのだが、またそれは別の話。

とにかく心の支えがなくて、癒やしを必要としていた時期である。

しかしながら高3の夏といえば受験の天王山。

遊んでいるような余裕もなく。

いや、なかったということにしておく。実際には遊んでいた。

それでも心に空いた穴が埋まることはなかった。

そんなある日、ふとひなビタ♪のことを思い出す。

ライブも開催して、今はどんなことをしているのだろう、と。

ちら、とFacebookを除くと。


時が止まっていた。


比喩ではない。

2018年の4月1日で、更新が途絶えているのである。

「花のやくそく」を最後に、ストーリーは終わりを迎えていた。

この時私は、取り返しの付かないことをしたのだと悟った。

もはや時が進むことはない。

止まった世界で私は一人取り残されてしまったのだと。

そう思った。

幸い、その後もライブは続き、新曲が披露されたりなどと、活動はあったのだが。

私が自己嫌悪にひたり、ひなビタ♪と距離を置いていた間に、彼女たちの時間は止まってしまった。

それを悟った私は、もはやひなビタ♪を追うことはないだろう、と確信した。

嫌いになったわけでもなんでもないけれど、でもなんとなく、ここにはいられない、と思った。

バンめし♪という別のコンテンツの発表もあった。

ひなビタ♪と同一世界線の、別のお話。

それも、私は履修することはなかった。

負い目を感じていたから。

もう何も取り返せない。

私が自らに刻んでしまった罪は消えることなく、私を苦しめ続けて、なおも追い打ちをかける。

そもそも私の中で、ひなビタ♪の時間軸はシーズン3で止まっていたのだ。

その先を認めたくなかったから。

今思えば先があることはオタクにとってこれほど喜ばしいことはないはずなのだが、何故終わりを望んでいたのかは今でもわからない。

けれど、もはや彼女たちの時間は絶対に動かなくなってしまった。

私の思い出は全て、シーズン3までにしかない。

苦しかった中学時代、酸いも甘いも共にすごしたコンテンツなのに。

心の支えを何もかも失ったような感じがした。

私の中学時代は、ほとんどひなビタ♪と共にあったと言ってもいい。

それくらい夢中だった。

それなのに、それなのに。

自分で何もかもをぶち壊したのだ。

若気の至りと言えば簡単なこと。

そう言って済ませられることもあるかもしれない。

けれども。

あんなに大好きだったコンテンツを、自ら汚し、それを道具にして他人を攻撃して、踏みにじった。

その事実はどこまでも私を蝕む。

それに気がついたのは、何もかも終わったあとのことだった。

何もかも終わって、私の中のひなビタ♪は消えたのである。

楽しかった思い出もあろう、恥ずかしかった思いもしたであろう。

それは全て、あの青春の1ページに忘れてきてしまった。

もう二度と戻らない。

未来には進めても、今に留まったり、過去には戻ることはできない。

この至極単純な理不尽。

私の青春が終わりを告げて、近い内に私の中のひなビタ♪も消えた。

全てが崩れた感覚。

どれだけ悔やもうとも意味がない。

あんなに楽しかったのに。

でも、何を言ったところでもうひなビタ♪の時間は動き出さない。

あるのは、罪と後悔だけ。

そうして空白があって、現在。

バンめし♪の1stライブが、つい先日開かれていた。

なんとなく懐かしくなって、バンめし♪の曲を聞くと、なんといい曲ではないか。

「ビター・エスケープ」。

思わせぶりだ。

日向美ビタースイーツの物語が終わりを迎えて、その後に発表されたバンめし♪の楽曲がビターからのエスケープだというのか。

それもそのはず、物語の内容が対極である。

ひなビタ♪は商店街の復興と、彼女たちの成長の物語。

それに対して、バンめし♪は、伝統からの脱却の物語。

なんの気まぐれか、バンめし♪のコンテンツを眺めてみる。

白兎団本部放送。

Live2dの技術を用いた配信は時代の流れを感じさせた。

それからブログ。

Facebookは使わなかったようだが、相も変わらずそうした媒体での活動。

自然と涙が流れてしまった。

あの時私が失って、取り戻せなかったものが、現在進行系でここにあった。

懐かしかった。

嬉しかった。

でもそれよりも、胸が締め付けられて、言葉では言い表せないほどに苦しかった。

ひなビタ♪は返ってこない。

私自身が踏みにじって、捨てたものは、本当はあまりにも大きくて、かけがえのないもの。

その後悔が、ありありと感じられてしまったのである。

「虚空と光明のディスクール」でときめき、「カタルシスの月」で昂ぶりを感じ、「滅びに至るエランプシス」で厨二病テイストを楽しみ、「滅亡天使†にこきゅっぴん」でギャップに萌え、「水月鏡花のコノテーション」で感動を覚えた。

楽しかったはずなのに。

自ら捨てた。

もはや後悔という言葉ですら言い表せないかもしれない。

ひなビタ♪の曲を聞いても、胸が痛くなる。

それまではそんなことなかったはずなのに。

久しぶりにひなビタ♪のポータルサイトを覗いた。

立派なページだった。

けれど、私が見たあの簡素なポータルサイトはもう何処にもなかった。

懐古厨とでもなんとでも言うがいい。

けれど私の中のひなビタ♪はそこで止まっているし、そしてそのまま消えてしまったのだ。

リアルタイムで享受できるコンテンツというのは、裏を返せばそれが止まったときに、何もかも終わる。

遅かった。

もっと早くに気がついて、再履修するべきだったのだ。

しかし私の中の罪と自己嫌悪がそれを妨げた。

あぁ、もう何を書きたいのかもわからなくなってきたが。

今感じている、とてつもない後悔を誰かに伝えたかったのだ。

そして謝りたかった。

多くの人を傷つけたと思う。

私がしたことは絶対に消えることはないけれども。

本当に申し訳なかった。

あまりの幼さに反吐が出る。

そして、今またバンめし♪を履修しようとしている私にも同じく気持ちの悪さを覚える。

もう二度と後悔しないようにと、今更になってバンめし♪を履修し始めた。

愚かなことだと思う。

許されることでもないと思う。

それでも自己満足のためにこうした行動をとっている私をどうか許してほしい。

二度と同じ過ちは繰り返さないから。


結局何が書きたかったのだろうか、私は。

ひなビタ♪に対する私の思い。

後悔。

時間の不可逆性。

罪。

その他諸々。

犯した罪というのは刻印となって、永遠に自分を苦しめ続けるのだと学んだ。

それから、本当に単純なことだが、時間は巻き戻らない。

今しかない。

あるいは、今もなくて、未来しかないのかもしれない。

だからこそ、後悔のないようにしなければならない。

もうひなビタ♪をリアルタイムで履修することはできないけれど。

それでも、また後悔しないようにと、バンめし♪に縋り付いているのである。

最後に。

もしも。

もしも一度だけ時間を巻き戻せるのなら。

ひなビタ♪をリアルタイムで履修したい。

それほどまでに好きだったのだ。

それほどまでに好きだとしても。

私の罪は消えない。

若気の至りだなんて、言えない。

私の心の中には、いつもストッパーとしてあの罪が働いている。

新しいコンテンツを享受できなくさせる。

だからどうか、オタクの皆さんよ、今自分がしていることをよく見つめ直してほしい。

後悔のないように。

コンテンツはナマモノですから。

今全力で、自分ができる範囲で、楽しんで。


どれだけ時間は巻き戻らないと知っていても。

あぁ、あの青春の1ページを、もう一度めくることができたならと。

私は何度でも言ってしまう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?