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視点の自由研究No.123「視点_言葉」

2024年書き初めのnote。今年初めてのnoteは「言葉」について書いてみようと思います。note自体も言葉の集積。人間という生き物は「言葉」に縛れれているよな、っていうお話です。

「ChatGPT」

昨年のトレンドの一つでしょう、AIによるコンピューターとのコミュニケーション。それ以前と比べて比較にならないほど精度が高まり、さらにイラストなど自動生成によるクオリティの高さに驚いたのは間違いありません。
しかし、思い返せばそのAIに対しての命令も言葉によるものでした。とかく人間という生き物は言葉に頼る生き物なんだなと改めて実感した次第です。
「言葉」という抽象的な概念を持ったが故に、他者とコミュニケーションを詳細にとることが可能となり、人間社会は劇的に進化してきました。しかし、人間そのものの理解は、実は2000年前とさほど変わってないんじゃないでしょうか。
はるか昔に作られた宗教を今も信じ、時にその教えを用いていまだに戦争をしている。救済だった言葉は、その力を使って人をいまだに戦争へと駆り立てています。
AI然り、人間の思考然り、「言葉」の持つ引力は人という生物を時に惹きつけながらも束縛しているのかもしれません。

「幸せ」

言葉という常日頃絶対に使うツールですが、ポジティブな言葉にもとてつもない引力があります。
「幸せ」などはその代表例でしょう。誰かがその状態を明確に決めたわけでもなく、でも誰もが願う正体不明の状態。ふとした瞬間に味わう心地よさなんでしょうけれど、「幸せ」という言葉を用いるだけで、人の思考はその言葉自体にどうしようもなく引き寄せられていく。
他者とのコミュニケーションの道具としてこれほどまでに使われているツールはありませんが、その能力を自分に向けた場合に他者との比較と自分自身への矢としても強大な力になりえます。

「道具としての言葉に」

コミュニケーションが全盛の時代。多様性を求める時代。その中で言葉の使われ方はより繊細な作業になっています。映画など映像の世界では、言葉では伝えられない感情を伝達するため、今も試行錯誤と研鑽がされているとも言えそうです。

「言葉」。今日も使われる道具。

道具としての視点を忘れずに、道具自体の持つ強大な力をしっかりと意識したい新年です。今年もよろしくお願い致します。

映像でお困りの方、静岡で撮影されたい方、ぜひ一度お声掛けください。