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ピンクの靴下

私はピンク色、特に薄いピンクが似合わない人間だ。それはピンク色と私の肌なじみの悪さ(いわゆるパーソナルカラーと呼ばれるもの)もあるし、ただ単に私がピンクという色を好まないという理由もある。そして一番は、ピンクという色の持つ、というかピンク色が担わされたイメージへの拒否感がずっと大きかったからだ。嫌いな色と思っていれば、より似合わなくなっていくものであろう。


私を昔から知っていたり、実際にあったことのある人は、多分私がピンク色を身につけているイメージはないと思う。私がよく身につけていたり選ぶ色、好きな色はネイビーだ。
さらに、私といわゆる「女の子らしい」という記号は結びつかないと思う。そうであろうとしているからだ。
実際、私は長いこと「女の子らしい」と言われることを嫌ってきた。もはや憎んできた。ピンクを着せられること、そして女の子扱いされるのはとても居心地が悪く、でもどう言葉で跳ね除ければいかわからなかった。周りの女の子達は当たり前のようにスカートを履き、女の子らしいという記号をすんなり受け入れ、「かわいい」への努力を楽しそうにしているように見えたからだ。

小学生の頃から私の戦いは始まった。家庭科の裁縫セットのケースは青の迷彩柄、習字道具も青、服もメンズ(なので、当時の私の服は全て弟へのお下がりになっているはずだ)。部活のジャージもメンズものを着ていた。選択肢は全部「女の子枠」「男の子枠」の2種類しかない。

合唱発表会で、男の子は黒のズボン、女の子は黒のスカートで出る、と決まった時、とても憂鬱だった。歌の練習は楽しかったけれど、スカートを履かなければならないのなら、本番は出たくない。確かに私服でスカートを履いてくるのは女の子ばかりだったが、それは単にその子がスカートを履きたくて履いているからだと思っていた。なぜ私はズボンではだめなのか、なぜみんなスカートに違和感を持たないのか、本気で知りたかった。そんな矢先、その年の発表会はインフルエンザ流行のため中止となり、残念に思うと同時にほっとしたのを覚えている。

この調子なので、当然中学校に上がる時、制服のスカートが嫌で嫌で仕方がなかった。しかし、学ランが着たいわけでもなかった。私は「女の子」を強調するような扱いされるのは嫌だが、「男の子」になりたいわけでもない。単に「女の子」としてカウントされるのは特に違和感はないのだが、スカートやピンクを押しつけられたり、「かわいい」という評価を下されたりするのにはとても嫌悪感がある。「女の子」を忌避する反動か、一度「男の子」に憧れて、ブラを着けずに学校に行ったことがある。結果、あれは動く度揺れる胸を押さえる働きをしているということを知り、邪魔な物を押さえる役割の衣服として着るのがベストであるということを学んだ。
幸い、私は昔から背が高く、ショートカットが似合い、胸も大きくない、ついでに「かわいらしい」顔もしていないという、生まれ持った体はいわゆる「女の子らしい」の中心からは離れたところにいる。トイレを待っていた時、係員さんに「男子トイレ空いてるよ」と言われた時のジェンダーコンフュージョン的な快感を忘れられない。私はいわゆる「メンズ服」を着ている方がしっくりくる。「女の子」よりは「男の子」っぽく見られている方が嬉しい。それでも、やはり私は「男の子」になりたいわけではないのだ。「男の子」になりたいわけではないけど、スカートを履くのはとても嫌だ。「女の子」に見える、と言われても嬉しくないし、そう言われたら失敗した、と思うだろう。

ピンクと和解したのは大学生になってからだ。あれだけ嫌だと思っていたメイクを自分のためにできるということに気づき、私の生活しているコミュニティでは紫や緑、青や黒のアイシャドウを使っても何も言われない、肯定も否定もなんのジャッジにも晒されない環境にいることを知った。「Kinky  boots」でドラァグクイーンの存在を知り、メイクは「女の子」のものだけではない、クィアな表現の手段でもあることを知った。ピンク色のリップも、「ピンクである」ということに勝手に結びつけていたイメージが解け、ただ自分に似合う色という見方を得てから、ピンク色も自然に選ぶようになった。

先日、靴下が足りなくなったので買いに行った。いつも通りネイビーやグレーを選んで、あと一足、という時、自然にかわいいな、と思ってピンクの靴下を選んだ自分に、少し驚いた。あの時、私の中で「ピンク=女の子らしい」「かわいい=女の子らしい」の呪縛が解けた。好きなものが増えたというよりは、避けるべきものが減って息がしやすくなった気分だ。


相変わらず私は「女の子らしい」記号を押し付けられるのが大嫌いだ。「女子学生必見!就活メイク!」なる講座が開かれていることに嫌悪感がすごいし、「女の子」が就活スーツでスカートを履いているイラストしか見ないことに辛い気持ちになる。成人式も振袖をどうしても着たくない、という理由もあり(そしてそれ以外の理由もあるが、カミングアウトした友人に会うかもしれないというのが怖くて)行かなかった。「女の子らしい」記号は、どうしたって私のものだとは思えないのだ。それを押し付けられるのはもはや生理的な嫌悪感に近い。しかし「男の子」らしいと思って今服を選んでいるかと言われると、そうとも言い切れない。メンズ服を着ているのは、こちらの方が自分のイメージに沿ったものが多く、楽でいられるからだ。全身メンズ服で、青とシルバーのアイシャドウを塗って、眉毛を緑にして、リップは一番肌なじみのいい濁りの強いピンク。これが多分「私らしい」と言える、息がしやすいファッションだ。


今は自分のこの状態のことを「性表現」「表現したい性」が女でも男でもないのだと理解している。一着だけワンピースを持っているが、それは私にとっては「かわいい」枠で、しかも着たくなるのは年に2、3回だけ、着てもどこかコスプレをしている感覚になる、私にとって「ハレの日」に着る、非日常の服だ。それでさえ「女の子らしい」とは思っていない。そう思えることが重要なのだ。


選択肢が多ければ、それが提示されていればもっと楽だったのに、と強く思う。ピンクは女の子向けのかわいい色、というだけではなければ、「女の子」「男の子」以外の表現があることを知っていれば、「かわいい」は女の子のものだけではなければ、思春期に恋愛を経験しない人もいると知っていれば、もっと楽にいられたはずだ。ケータイ小説ではなくシートン動物記を愛していたっていいじゃないか。私はオオカミ王ロボになりたかった。「女の子/男の子らしい」は面倒くさい、かつそれを押し付けられるストレス、苛立ち、自分の在り方を否定してくるようなもので、そして物事へのアクセスを拒ませるほどまでに弊害をもたらすこともある。スカート以外の道があったら、あんな嫌な思いをすることはなかっただろう。かっこいいピンク、かわいい青があったらよりよい思うけれど、ただピンクである、青である、そういう扱いに出会える人がもっと増えればなと思う。