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ナタリアの死に思うー小児脳死の診断と臓器移植の現実

#創作大賞2023 #エッセイ部門

わたしは、米国で働く小児集中治療の専門医です。小児脳死の症例に日々接する中で学んだこと、考えたことを、1人の少女の物語と共に紹介したいと思います。

■「ナタリア、命の贈り物」

ナタリアは、生まれた時から家族の光でした。いつも楽しそうで元気な女の子。彼女はまさに特別な存在でした。フロリダの太陽がさんさんと降り注いでいた8月のごく普通の日に、わたしたちは家族での休暇を楽しんでいました。
しかしその日、わたしたちの人生は一変してしまったのです。ナタリアの小さな命は、2歳4か月で残酷にも終わりを告げました。彼女はプールでおぼれ、心臓の鼓動は動きだしたものの、脳は元に戻ることができない重大な傷害を受け、彼女は脳死と判定されました。
その事故から5日後、わたしたちはナタリアの臓器を提供することを決意しました。ナタリアは命の贈り物を残したのです。彼女の最後の地球上での功績は、誰かの命を救うことだったのです。もちろんわたしたちは、彼女を失ったことを深く悲しんでいます。しかし同時に、ナタリアを誇りに思い、一緒に過ごした日々を幸せに思います。ナタリアは今でも、わたしたちのヒーローです。そして、家族と友達にとって光であり続けます。それを一生忘れることはありません。

これは、脳死したわが子の臓器移植に同意した、ある家族の手記です。家族の承諾を得て、一部表現を変えて翻訳しました。

■日本と米国、脳死判定の違い

日本では、2010年に臓器移植法が改正されてから、15歳未満の脳死下臓器提供が可能になりました。わたしが働く米国では、小児の脳死患者に接する機会が数多くあります。

米国の臓器移植医療の統括的機関であるUNOS(Untied Network for Organ Sharing)の統計に基づいた論文(Ashwal S, Serna-Fonseca T. Brain death in infants and children. Crit Care Nurse. 2006 Apr;26(2):117-24, 126-8. Review.)によると、米国の17歳以下では、年間約1800人が脳死と診断されており、そのうち約55%が臓器提供者となっています。

米国では日本よりも「脳死」に直面する機会が圧倒的に多いです。その大きな理由として、両国における「死」の定義の違いが挙げられます。米国では1987年に、最初の小児脳死診断ガイドラインが出てから、「人の死は、心肺の不可逆的な停止、脳幹を含めた脳機能の不可逆停止の2つである」と明確に定義されています。2011年9月に改訂版が出ましたが、根幹は変わらず、実際の脳死判定の手順をエビデンスに基づき、さらに体系化しました。

脳死が疑われた場合は、医療行為の一部として当然のように脳死判定が行われています。実際の脳死判定は、脳幹反射喪失などの毎日行う身体検査が大部分ですので、特別なことは何一つありません。

一方、日本では、脳死判定は家族が臓器移植に同意したときのみにしか行われません。日本ではめったに行われない小児脳死判定は、医療者側に大きな心理的負担、人材的負担をもたらします。そうした中でも確実に診断しなければいけません。

■臓器提供者の残された家族は

 「お子さんは、脳死状態となりました」―。

ほとんどの場合、家族はこうした宣告を予期せずに、突然受けます。今まで健康に何の問題もなかったわが子が、病院のベッドに横たわり、医師から「脳死の疑いが強い」と宣告される残酷さがそこにはあります。家族が現実をなかなか受け止められないのは当然です。医療チームとしては、家族に哀悼の念を表しつつ、信頼関係を築き、そしてきちんとした手順を踏み、脳死と診断するのです。さらに小児脳死移植特有の状況として、生前の意思が表示できない問題があります。親は責任感、罪悪感にさいなまれながら、その決断をしなければいけません。

日本の臓器移植ネットワークに当たるUNOSは臓器提供者の家族に、移植を受けた患者の情報は伝えていませんが、そこは人と人のつながりです。手紙のやりとりなどを通じ、お互いをよく知ることもあるようです。そして、自分の家族の臓器が移植された人に会いたいと思うこともあるでしょう。米国のニュース番組で、脳死となり臓器提供者となった娘を持つ母親が、その心臓が移植された女性に会いに行き、その鼓動を聞くという内容のものがありました。その母親が娘の心臓の鼓動を涙を流して懐かしそうに聴く姿は、心に深く響くものがありました。

■臓器移植医療を支えるもの

心停止下、脳死下、生体間にかかわらず、臓器移植医療の根底を支えるものは、他者への極限的な善意だとわたしは思います。
ナタリアの母親は、ナタリアが病院に運ばれた当初、脳に深刻な傷害を負ってしまったと直感した時、まず最初に「脳を移植できないか」と思ったそうです。もちろん脳の移植は不可能ですので、彼女の希望はついえてしまいます。そして、ナタリアの回復を最後の最後まで信じ続けていながら、一方で臓器移植でしか助かる見込みのない子どもたちのことが頭をよぎったといいます。祖父が肝臓移植を受けていたので、臓器移植のことを、名も知れない他者から自分の祖父に贈られた善意を、知っていたのです。そして、自分の娘の善意を他者に届けようと決意しました。彼女は手記の中で、それを「命の贈り物」と表現しています。それは、日本ではよく「命のリレー」とも表現されます。

ナタリアの母親は、現在では「命を救おうナタリア基金」を設立して、臓器提供意思登録の普及啓発活動を行っています。ナタリアを失ってから何年も経た今でも、彼女は毎日、悲しみに暮れているに違いありません。しかし、彼女は前を向き、その経験を人々に話すことができるようになりました。米国では、政府主催や民間の活動を含め、臓器移植後の提供者および家族のための互助団体などの活動が盛んです。

 最愛のわが子の死に直面し、意思表示をできないわが子の代わりに臓器提供を決意した親が、子どもを失った悲しみを毎日振り返る中で、5年後、10年後でも「あの時、臓器提供に賛成してよかった」と思えるような社会の枠組みを、日本でもつくっていかなければなりません。

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