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第19回② 中島 梨沙先生 ミス神戸大の女性医師、「やりたいことリスト」を公開

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3土曜日に開催)
「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

 幼少期から医師に憧れ、医学部入学後からさまざまなことに対し精力的に取り組んできた中島梨沙先生。2020年のミス神戸大学に輝いた彼女の活躍は、それだけにはとどまらない。「好奇心に素直に生きる」と語る人生で、これまでどのような出会いと経験を積み重ね、挑戦することへポジティブになれたのか。現在描いている将来像とともに取材した。

中島 梨沙先生
1998年生まれ、京都育ち。神戸大学医学部在学中、さまざまなことに挑戦する。例: 合気道、フルマラソン、富士山登山、大学ミスコン、スタートアップでのインターン、YouTube、マッサージ屋さんでのバイトなどなど。現在は奈良で臨床初期研修を行っている。旅先で現地の人と話すことが好き。


「ミス神戸大の医学生」
コロナ禍で見たキラキラした世界

 「ミスコン1位の医学生」

 このフレーズに聞き覚えのある人は少なくないだろう。中島梨沙先生は2020年、神戸大学医学部4年生の時、神戸大学のミスコンテストに出場し、見事グランプリを獲得した。

 ミスコン出場のきっかけは、「キラキラした世界への憧れ」だったという。当時COVID-19パンデミックに見舞われて気分の浮き沈みが激しかった折、SNSのタイムラインに流れてきたミスコンテストの案内を受けて歴代ミスコン出場者の写真をのぞくと、その特別な姿に目が吸い込まれた。

 「なんだか楽しそう」
 「わたし、ミスコンに恋してるかも」

 そんな気持ちで応募を決めたというミスコン。今でこそ幅広い興味に対し軽やかに体を動かす中島先生だが、実ははじめからそうだったというわけではない。

 中学生、高校生の頃は、「よく笑う、成績のいい女の子」だったという。比較的真面目だったという彼女の周りには、変わった人がたくさんいた。オタク気質な友人や、気づいたら踊りだしているダンス好きの友人、大工仕事がうまい同級生。個性が強く、自分を出すのを惜しまない。そんな、とがった部分を出しても受け入れられる雰囲気が心地よかったという。

入学直後、教員の一言で一転

 ところが、大学入学後からその環境は一転した。それぞれが似た家庭環境を持ち、画一的とも感じられる周囲の様子に、「自分は変なんだろうか」と感じることがあったと話す。進んで目立つようなことはしなかった。

 印象に残っているのは、入学直後に教員から言われた言葉だという。

 「これから君たちは、周りと同じことを同じようにやりさえすれば問題ない。医師になってからもそうだ」

 6年後の国家試験合格、そしてその先で行う医業を見据えたアドバイスからは、必要以上の窮屈さを感じずにはいられなかった。

 「振り返ればあの時の、オリジナリティはいらないという言葉がいつの間にか、日常の選択にも影響を与えていたんだと思います。」

 医師という職業には、小学生の頃から憧れがあった。医師である父親は幼い頃から忙しく働き、自身ら子どもたちとはなかなか遊んでくれなかった。しかしながら、母から聞いた「人の命を救っているのだから」という言葉にかっこよさを感じていたという。

 また持病のアトピー性皮膚炎で皮膚科にかかれば、先生が自分の健康を守ってくれていると実感した。分かりやすく直接的に人の役に立てる仕事、それが中島先生の描く町医者の姿だ。自分も医師としてたくさんの人を幸せにしたい。そう思いを強くした。

「私を待ってる患者さんがいる!」

 そんな使命に燃え、やりたいことにまっすぐな中島先生ではあったものの、大学に入学してからは、自分をさらけ出すことにいつの間にか抵抗を覚えていた。入学直後の教員の言葉から始まり、その環境で常に同調圧力を感じていたのかもしれない、と語る。

「人と違って当たり前」
自分を支える7人との出会い

 転機が訪れたのは、大学3年生の頃だ。夏休みに参加した「学生・研修医のための家庭医療学夏期セミナー」(通称「夏セミ」)というイベントでは、数日間、家庭医療学や総合診療を学んだ。そこに、同じ神戸大学から参加していた先輩との出会いをきっかけに、世界が大きく広がっていくことになる。

 神戸大でも、その先輩を含め、学年も年齢も異なる7人で過ごすことが増えた。その7人は、アメリカの大学を卒業して編入した人や、企業を出て再受験した人など、各々さまざまなバックグラウンドを持っていた。「みんな違ってみんないい」というより、「人と違って当たり前だよね」という、お互いの変わっている部分を受け止めあえる居心地の良さがあった。

 さらに、一人暮らしを通じて行動範囲が広がってからは、ささいな発見の日々だった。1人で過ごす夜の長さや、街中におけるゴキブリの生息場所まで。中島先生の素直な感性と好奇心は、ますます身のこなしを軽くした。

 中島先生が中学生の頃から書き続けている「やりたいことリスト」の中身は更新され続け、達成しては追記されるため、常に文字でいっぱいだ。さらに自身の気質を自覚してからは、「やらないことリスト」も書き留めているという。

 ミスコン出場のみならず、フルマラソン、富士山登山、スタートアップでのインターン、YouTube配信にアルバイトの経験。中島先生は、挑戦することにためらいがない。それは常に、「きっと私のことを応援してくれる」「何があっても相談できる」と思える周囲の人々に恵まれたからだという。

中島先生が書いた「やりたいことリスト」の一部(画像:筆者提供)

U23サミットがつないでくれた縁

 安心領域があるから、なんにでも挑戦できる。そして好奇心で作っていった関係性からつながりが広がっていく。

 大好きなドラマの影響で始めたスタートアップでのインターンでは、U23サミットを紹介された。多様な友人を持ち、視野を広げることには自信があった中島先生だが、「視座を高めてきなさい」というインターン先の代表からの言葉を受け参加したこのサミットでは、既存の枠組みを超え、主体性をもって社会課題を解決しようとする若者らがたくさんいることに感銘を受けた。

 U23サミットで出会った友人のご縁で、現在の就職先を知った。ここで出会った医師が、中島先生にとっては理想とする医師のモデルになった。

 「臨床能力は鋭くて、かつ対人関係はまろやかなんです。医師としても上司としても人としても、こんなふうになりたいなと自然に思ったんですよね。」

 中島先生が目指すのは、どんな健康問題を聞かれても答えられる、なんでも相談しやすい医師である。そのためには、彩り豊かなたくさんの経験が重要だ。

 「新しいことを始めるのに慣れてしまえば、失敗しても怖くはないんです。どんな失敗も、いつか笑い話にできるから。何かを達成することも大事だけど、それまでの過程を楽しむことのほうがずっと大事だと思っています。自分の達成したい姿がキラキラしている限り、それまでの過程は楽しめるに違いないと思っています。」

 少々落ち込んだことがあっても、中島先生は、人と会って話をすれば大体のことは乗り越えられると話す。

 「何か挑戦したいことがあるとき、『この人は自分を理解してくれる』という人が応援してくれることは、たいてい多くの人も応援してくれるものだと思います。疲れてしまうことがあっても、そういう人たちのおかげで充電されて、また新しい世界に飛び出していけるのかな、と思います。そんな、人からの励ましがあれば、つらくても頑張れるはずです。」

いったんやってみる。
その経験が「線」になる

 今までもこれまでも、やりたいことが数多い中島先生。

 「取り組むことは絞ったほうがいい、という人もいるし、一つの頂点を目指していくやり方もあると思います。どんな生き方もあるけれど、好きなほうを選べばいいと思っています。」

 今の中島先生が目指すのは、いろいろな人と少しずつ話ができ、目の前のたくさんの人を幸せにできる「お医者さん」だ。その方法を今、模索している。

 中島先生自身が取り組んできたことをみると、たとえその時には「点」と「点」でも、振り返れば「線」になっていた経験がある。これまでの挑戦を積み重ね、つながりのすべてがいま、中島先生の中にある。だからこそ、「もし挑戦を心配する人にとめられたら、なんと答えますか」そんなインタビュアーからの質問に、先生は笑ってこう答えた。

 「『いったんやってみよう。やって無理なら、やめるから。』って。」

 中島先生の「やりたいことリスト」には今、大きなものから小さなものまでたくさんの夢が詰まっている。これからも日々いろいろな面をひろげながら、つながりの先でやりたいことに、まっすぐ向き合い続ける。

取材・文:大井礼美 島根大学医学部4年

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