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「産休クッキー」騒動は現代版「名無し」たちの暴動である

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 ある投稿がX(Twitter)でちょっとした騒動を起こし、それをメディアが取り扱ってさらに広がりを見せる、だなんて既視感のある光景が再び目に入ってきました。

 その投稿とは、産休を取得するユーザーが職場の同僚たち(ちょっとしたグループ)へ配るクッキーの画像を投稿したものです。投稿すること自体はおめでたいことだし、「よかったねー!」で終わりなのですが、これに賛否のコメントが多数つくことに。

 否定的なコメントの中には、「不妊治療中の人への配慮が足りない」とか「いや、これは嫌いだわ。」などといったものがあり、それをわざわざ投稿主の目に止まる形でリプライ(返信)って形で投稿しているあたりに、なんというか心理的な病理みたいなものが垣間見えてしまうのはぼくだけでしょうか。

 ただ、この「産休クッキー」騒動を見ていて、現代ってのはSNSが普及したことによって誰かの発信権や表現の自由を担保する代わりに、その誰かの幸福を呪いたくなるほどに不幸感を抱いている人も存在しています。

 よくよく考えてみると、そういった他人に向けて匿名で石を投げつけるような人たちは2ちゃんねるでいうところの「名無し」なんだなってことを再確認しました。

 今回は、「そうか、SNSで見かける匿名アカウントは2ちゃんねるの"名無し"さんたちなのか!」って気づきについて書いていくことにします。

「産休クッキー」炎上の詳細

 まず、改めて 「産休クッキー」騒動についてまとめていくことにします。

 発端となった投稿は以下のもの。一見すると何でもない投稿です。実際、なんでもない投稿でしょう。特に社会的な風刺が込められているわけでもなければ、誰かを貶めるような意図があるとは思えないものです。

 ただただ、ある職場に属す女性が同僚に出産休暇を取得するために数名の同僚に配ろうとしているクッキーを写しているだけで、そのクッキーに描かれている赤ちゃんの絵がかわいいと感想を述べているだけ。

 ネット空間ってのは不思議なもので、こんな何の変哲もない幸福感のある投稿に、いちゃもんをつけてきます。

「不妊治療中の人への配慮が足りない」
「マタニティハイ」
「いや、これは嫌いだわ。」
「嫌味に感じる」

などなど、リプライ欄にも引用投稿にも賛否はあれど、投稿主の目につく形で言いたい放題な構図ができあがっておるのです。

 この騒動を見るに、不妊治療などのかつては少し個人的でどこかタブー視されてきたテーマがオープンに議論されるようになってきた時代背景もあるでしょうが、誰かの意見や行動に「多様性」と述べることで片づければいいものを同一性や平等性を求めるがあまりに攻撃的になってしまっているような気がします。

 社会が成熟しているはずなのに、他人の幸福に向けて純粋な悪意と憎悪を向け分断を生んでしまうっていうのは、非常に悲しい事態だと言えるんじゃないでしょうかね。

匿名アカウントは2ちゃんねるの「名無し」

 ここ数年、Twitterは社内体制も含めて大きく変貌を遂げた結果、特に日本でのユーザー数は公式には発表されていませんが、4,500万だとか内容によっては6,600万以上はいるとするところもあります。

 何がいいたいのかっていうと巨大な数だってことです。もちろん、有象無象が存在し、好き勝手な投稿を各自が行っています。そういう場所だからそれでいいんですよ。

 ただ、最近のこういった炎上というか騒動を見るたびに下世話だな、と。

 まともな議論をしようと思っていない、投げっぱなしジャーマンスープレックスの応酬をしたいかのような辻斬りみたいなユーザーが増えたなぁ…って印象なのです。それはもう、2ちゃんねるの「名無し」よろしく、匿名で好き勝手なことを書いていくユーザーと全く同じ。

 2ちゃんねるの中でも、まともに議論をし合える人たちはいましたよ。「ソースだせ」とか「根拠は」とかいって、いい加減な話題やウソを見抜く自浄作用みたいなものがあったのですが、それは2ちゃんねるの特性上、立てたスレッドに書き込んでいくスタイルだったからでしょうね。

 いま、それをXやThredsなどの投稿をスレッドと見立てて返信していく様子は、2ちゃんねるのそれとは異なり、投稿主に向けて直接的な攻撃となるため、それを自覚できない人たちは延々と口撃を繰り返すことになります。

 SNSの普及は、個人に自由な表現の場を与えました。誰もが自分の思いを発信し、他者と共有できるようになったことは、画期的な変化だったと言えるでしょう。その恩恵を被ってきた一員として、SNSが持つ個人の経験を社会に可視化し、人と人との触媒となる可能性は非常に喜ばしいことでしたし、これによって救われたと思える時もありました。

 でも、自由ってのは無制限ではありません。

 今回の「産休クッキー」投稿への批判的なリプライがその典型例で、自分の経験を素直に共有したつもりが、思わぬ形で非難を浴びる。そうしたリスクは、SNSを利用する誰もが抱えています。

 一方で、表現の自由や個人的な意見だとして逃げながら投稿者個人への直接的な批判は控えるべきじゃないかなぁ…とも思うのです。

 わざわざ当人の目につくようリプライや引用をすることで議論を深める意図があるのではなく、あくまでも「自身のお気持ちを察して」といった投稿をすることに何の意義があるのか。

 そういったことを想像もできないぐらい、心理的に追い詰められているのだとしたら、しっかりと寝てくれ。休んでくれ。他人の幸福を妬ましく思うことは否定しないけれど、その妬ましさを無関係の人たちにぶつけることは辻斬りと一緒です。

SNSから見えてくる器量の小さい大人たち

 今回、取り扱った「産休クッキー」騒動って、単純に多様性をめぐる問題なのかというと違うでしょう。

 たとえば、不妊治療や男性の育児休暇の取得に関する議論は、まさに現在進行形の社会課題といえますし、有給休暇の取得をはじめとした働き方うんぬんもインターネット上、特にSNS上で大きく議論されることは肯定的に捉えるべきことでしょう。

 でも、オープンに議論されるようになったことは喜ばしい変化である一方で、当事者でない人々の不用意な発言は傷つきを生むこともありますし、余計な方向へ議論が進展することにもなりかねません。

 世の中にはいろんな問題がありますよ。それぞれの問題を議論する際には、感情的な反応ではなく、冷静で建設的な対話が不可欠です。職場で感情的に議論をしようとする人たちを冷たい目で見ますよね。それと一緒じゃないですか。

 社会ってのは個人的な感情の捌け口にしていいものではないでしょう。仮に、そういった個人的な感情の捌け口を求めるのであれば、議論の相手にするのではなく、個人的な投稿として便所の落書きに落とし込んでください。

 幸福は幸福だといって何が悪いのか。

 それを目にしたからといって、自分を否定されているだなんて思うことはあまりにも矮小化し、自分を世の中にとって主体的な存在であると昇華しすぎではないか。

 そんなことを想像できる大人が増えることを期待したいです。

 さもなければ、子どもたちに「世の中には心の狭い大人がたくさんいるから」と説明しなければなりません。

 それって悲しいことじゃないですか。

おわりに

 ぼく自身、聖人君子でもありませんし、社会的な力も地位もない、情けない見た目の中年男性ですが、インターネット上で誰かに対して不要な責め立てをするようなことはありません。

 公共の場で脱糞しないのと一緒で、インターネットみたいな空間だからといって何もかも好き勝手に発言したり、行動していいとは微塵も思っていないからです。

 自分は匿名だから何をいっても…的な発想をしている人がいるのだとしたら、あまりにもカッコ悪いっていうか情けないっていうか。悲しいですよね。

 まぁ、ぼく自身がそうなりたくないってだけなんですが…

 ではでは。

 ゑんどう(@ryosuke_endo)


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