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1年間noteを連続更新した、ぼくの雑感。

 率直に、本当に率直に書いていきますね。

 あの、この日を迎えたからといって、特別に何かがこみ上げてくれるわけでもなければ、シミジミと振り返るわけでもなく、ただただ「来るべくしてきたな」なんてのが正直な気持ちでして。そりゃ、毎日更新をしているわけだから、1、2、3......と積み重なっていけば、必然的に数字としての"365"に踏み込む日は来るわけです。(強がってます。)

 なんの感情もないのかと言われれば、そんなことはないです。うれしいですよ、そりゃ。うれしくないなんてことは一切ないし、1年間、仕事と無関係でも、体調を崩しても、徹夜明けになろうとも、挫けることを許さず、どんな状態や環境になろうとも休むことなく継続してきまして、それが1年ですもん。

 うれしいに決まってますよ。

 最低到達点の一つとして定めてきたし、最低限そこまで出来たのであれば、更新をやめるのも選択肢になるぐらいに大切にしてきた。それが365日もの期間を連続して投稿する、ぼくなりの意義。

 けどね、いざ、その日を迎えて率直に思うのは「いよいよ、きたか。」って気持ちと、「だから何だ」って気持ちがゴチャ混ぜになってしまってて、何とも言い難い複雑な気持ちなんですよ、これが。

 繰り返しますけど、うれしいんですよ、もちろん。

 うれしいけど、だからって新潟が前向きな雰囲気に溢れるようなエリアにズンズンと音を立てながら変わったわけでもないし、ぼく自身がインフルエンサーって呼ばれるぐらいに誰かに影響を与えられるような人間になれたわけでもないですし、何よりも「まだまだ仲間が少ないなぁ」なんて感じてるし......。

 「まだまだ」と気づけたことを意義だとするのであれば、その意味では大いにやってきた過程は価値のあるものだと認識できますし、"まだまだ"って気持ちを掻き立ててくれるような気持ちを抱けたのは、こうやって毎日の更新を続けてきたからこそだとは思うから、率直に「やってきてよかった」って気持ちを抱いているのは間違いありません。

小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。

 日本が誇る野球界のスーパースターで、日本で引退会見を開いたイチローがMLB(メジャーリーグ・ベースボール)の年間安打数を塗り替えた際に放った一言で、ちょっと調べれば誰にだって辿りつける言葉です。ただ、この言葉をホロっと出せるだけの立場に立つことができたのはイチローだからだし、他に誰もいない立場に立てるからこそ、放った言葉にも価値があるのだと感じてしまうのです。

 何が言いたいのかと言えば、noteを1年間継続したからといって、この言葉をそのまま受け取るわけには行きませんし、容易に使うことなんてもってのほかです!ってことなのですが、そりゃそうなんですけど、それにしたって1年間、続けてきたんだから少しは理解できるかなって、少しは理解できるかなって、思っちゃったんです。けど、全然違いました!やっぱりイチローのスゴさを感じるだけで、その"どこかへ到達したものの気持ち"みたいなのは全く理解できませんでした 笑

 なぜなら、イチローの舞台とぼくの舞台とでは当然ながら大きな隔たりがあり、全くぼくが想像もできないような異質の世界で繰り広げられる激烈な争いの中で、それこそ前人未到の"記録"を打ち出すような人の放つ言葉を、そのまま飲み込めるわけがない......なんて言うまでもないわけです。

 何も言わずに飲み込んだ上で擬似的にでも、その人になった気持ちへ浸るほど、ぼくは自己啓発に飢えているわけではないし、幸福な気持ちにだけ満たされているわけでもなかった、ってことにすれば少しは納得もできような気もします。

 これまで散々、自己啓発本の"やればできる"論の壁に幾多もの弾かれ方をしてきたからこそ、その危険性や恐怖感を理解できているつもりです。鵜呑みにしたところで、喉元を過ぎれば......だと意味がないんですよ。だって、彼らの口から出てくる言葉は、再現性の乏しい経験則からくる"つよい"言葉だから、実際にやり続けた上で成果を出す人間でなければ、本当の意味での納得なんてできるわけないんですよ。

 既に何万人もの人を乗り越えてしまっている人たちの声を、そのまま素直に受け入れてしまうのはいくつもの段階が異なるため、大きな危険を伴うもので、下手をしたら健康を損なってしまいかねないのではないかとすら考えてます。

 それだけ、自己啓発の"つよい"言葉には、強さを抱くだけの甘美な魅力が備わっていることの裏返しでもあるわけですが、それでも、それでもやっぱり、イチローの言葉を使いたいじゃないですか。

 1年間がんばったし。いや、がんばったって感じには見えないかもしれませんし、実際には好きなこと書いてるからがんばってもいないんだけど、継続するのってなかなかに大変じゃないですか。

 1年間継続するにも、1日目がなければ始まらないし、3日、10日、30日、90日、なんて具合に継続していかなければ成り立たないですから。冒頭では強がりながら書いてますけど、実はその継続するのって気持ちが折れそうになる機会がないわけではないですからね。

 毎日書いてて「誰が読むんだよ」なんて気持ちになることもあるし、いいねをもらえなかったり、SNS上でシェアされる機会が全くなかったり......

 そもそも自分がなんで書いてるのかを疑問に感じてしまい、書くネタを詰んでしまったために、書くのが億劫になり、そのまま更新が途絶えてしまいそうになったり......なんて頻繁にあるんですよ。

 なので、これまで毎日更新を続けていたのに、継続できなかった、することが叶わなかった人たちの気持ちは痛いほどにわかります。それでも、いや、継続してきたからこそ、ぼくはいいたい。これからnoteを書こうと思った人も、現在も継続している人も、書くのをやめてしまった人へ。

 あなたのnoteは、誰と比較するものでもないけど、それでいいんです。それが魅力なんです。その言葉づかいでいいんです。その構成がいいんです。あなたの気持ちが、書きたいと思ったことに対する感情が、選んだ言葉一つ一つにしっかりとのせられてさえいれば、それを超えるものなど何もないのです。

 人が読んでいようがいまいが、シェアされようがされまいが、いいねされようがされまいが、読んでくれてる人はいますから。どんなに自分のことしか書いてなくても、どんなに「人のため」とか「役に立つ」みたいな情報なんて一切なくても、読んでくれる人はいますから。

 人のためになったり、役に立ったり、誰も知らない「情報」を懸命になってあなたが書かなくても誰かが書いてくれますし、むしろそっちの方が面白かったりします。それは、仕方ないですよ。面白いんですもん。その人の頭の中で、どんだけ綺麗に整理されてんだよ、すげぇな。なんて感想を抱くことなんて日常茶飯事ですし。

 「え?毎日書いて、1年間継続してこれって、やばくない?え、ガチでやばくない?」みたいな気持ちになるのなんて、別に恥ずかしいことでもなんでもないですよ。

 肩肘張った文章書こうと思えば書けるのかもしれません。けど、疲れちゃうじゃないですか。誰のために書くのかって、noteは自分のために書くんですよ。いわゆるブログサービスの中でも、こんなに肩肘張らなくてもいいんだって思えたの、初めてです。

 だから、ぼくはニコニコと肩肘張らず、ぼくらしい言葉づかいで、ぼくが考えた構成で、話すように書いていきますし、誰に向けてって自分に向けてですし、なんなら彼らに向けて、です。

 誰でもない、ぼくの書くnoteですから。

 そんなぼくの書く#えんどうnote 、これからも読んでいただけると嬉しいです。引き続き、ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします!


 今日もお読みいただき、ありがとうございます。そして、1年間読み続けてくださった方もいらっしゃるかもしれませんね。本当にありがとうございます。またお読みいただきながら、時にはコメント付きで投稿なんてしてくれると即座に反応します。

 してくれなくてもいいんですよ。心に留め置いてくだされば。でも、期待してます。そして、お読みいただき、本当に嬉しいです。ありがとうございます。

ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。

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