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我々は本当に"ハイコンテクストなコミュニケーション"をやっているのか

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 普段、何気なくビジネス系の、なんというかビシバシできます系の人が読むようなメディアに思わず足を踏み込んでしまうことがあります。そこで「日本社会のコミュニケーションスタイルはハイコンテクストである」とする記事を過去に目にしてきたことがあります。

 ハイコンテクストってのは、言葉で明示的に表現されない部分が多く、暗黙の了解や非言語的なサインに依存する傾向が強いと、こういうわけです。「行間を読む」とか「空気を読む」、「忖度」なんて言葉にしたらいいんですかね。とにかく、「言葉にしなくてもわかるでしょ」的な意思疎通だってんですが、その代わり、欧米人はローコンテクストで言葉にしないとわからないし、伝わらないとか書いてあるんですよ。

 これ、ホントなんですかね。

 日本にだって他の国と同じようにチャットツールやメッセージングアプリなどが浸透してるじゃないですか。LINEの月間利用者数は9,500万人いて、その内1日に1回以上開く人は86%だってLINEが発表してますよ。

 つまり、チャットでのやり取りをするってことは、少なくとも電話ではなく文字でのやり取りが前提になっているってことですし、何なら、その前から個人でメールアドレスを手に入れることができるようになったんだから、ローコンテクストなコミュニケーションをとるようになって久しいはず。

 そんな中でね、「空気を読む」ことを求めるような言語化されない要求をすることってのは、果たして建設的なコミュニケーションと言えるんでしょうかってことを考えたいんですよね。

ハイコンテクストとローコンテクストの混在

 繰り返しになる上に主語が大きくなってしまうのは恐縮なのですが、日本社会のコミュニケーションスタイルは、一般的にハイコンテクストであると言われていることを鵜呑みにして進めていきますよ。

 ハイコンテクストなコミュニケーションとは、言葉で明示的に表現されない部分が多く、文脈や暗黙の了解、非言語的なサインに大きく依存するコミュニケーションのことを指します。

 たとえば、「以心伝心」とか「察する」といった言葉に代表されるように、日本人は相手の気持ちを汲み取ることを重視し、言葉に出さずとも通じ合えることを"理想"とする傾向があることは理解できます。

 自分を振り返ってみてもそうです。

 「そろそろ…」とか曖昧な表現をして子どもたちに「出かけるように準備してね」と案に伝えようものなら、次男くんから「そろそろ…とか、わかんないからやめて」と懇願されて反省しましたからね。

 一方、とはいえ、あらゆる技術ってのは日本にも入ってきます。メールやチャットなどを駆使するデジタルコミュニケーションの普及により、ローコンテクストなコミュニケーションも増加しているでしょう。間違いなく、50年前のビジネス現場にいた人たちよりも日常的に多くの文字を生成しているはずです。

 こういったローコンテクストなコミュニケーション、つまり、言葉で明示的に意味を伝えることを重視し、文脈や非言語的な情報に依存しないコミュニケーションをとるためにはチャットやメッセージングアプリなどのツールが必要で、そこでは実際の表情や声のトーンといった非言語的な情報が乏しいため、言葉で明確に意思を伝える必要があります。

 現在、ハイコンテクストとローコンテクストのコミュニケーションが混在するような形となっているにも関わらず、従来からのハイコンテクストな特性を求めているのか、粘り強くこびりついているのかは分かりませんが、少なくともデジタルコミュニケーションの浸透によるローコンテクスト化へ影響を受けているのは間違いなさそうです。

「空気を読む」という言語化されない要求の問題点

 で。

 本題はここからです。ハイコンテクストなコミュニケーションにおいて、「空気を読む」ことは重要なスキルとされてきました。

 「おい」とか声をかけたらそれを汲み取った誰かが勝手に行動してくれる、なんて様子を想像できてしまうこと自体が嫌なのですが、自分以外の誰かに言外の意図を汲み取り、言葉にせずとも適切に対応することが求めることができたら理想的だとすら思っている人は一定数いるでしょう。

 しかし、この「空気を読め」という言語化されない要求には、いくつかの問題点が潜んでいます。

 サッカーやバスケットボールといった団体で行うスポーツ競技においては、実際に声をかけて要求するものの、声をかける時間も機会もない状態から刹那的に判断してプレーを行う必要がある場合には、非言語的なコミュニケーションをとることでプレーを完結させることがあります。

 でも、それって非常に高度で難易度が高いわけで、実践しようとしたら普段から濃密なやりとりなどが必要です。

 ここで考えたいのは、「空気を読む」ことを求めるのは、円滑に物事を進めるために有益なのかどうか。

 空気を読んでもらうってのは、自分の意図を明確に伝えることを避け、相手に察してもらおうとする態度の表れでしょ。これって、コミュニケーションというよりは一種の権力関係の強要に近いんじゃないですか。

 特に、権力者や上位者が部下や下位者に「忖度」を求めるようなケースでは、健全なコミュニケーションが阻害されてるでしょう。また、「空気を読めない」とか評してくる人もいますが、それを恐れるあまり自分の意見を言えなくなったり、問題提起を躊躇したりするでしょう。

 これ、あらゆる組織において発展的な議論ができなくなることを意味しますよね。明らかに空気を読むことというか、読ませようとする側が円滑な進行を阻害してるじゃないですか。ダメでしょ。

建設的なコミュニケーションってなんだ

 「空気を読む」ことに偏重したコミュニケーションは、できるのであれば問題なさそうですが、多くの人たちはできないでしょう。それって問題じゃないですか。じゃー、建設的なコミュニケーションを実現するためには、どうしたらいいんでしょう。そもそも建設的なコミュニケーションって何だって話です。

 まず、当然ながらお互いの意見を明確に言語化し、オープンに議論することでしょう。言葉で表現することを避け、相手の忖度に頼るのではなく、自分の考えを率直に伝え、相手の意見にも耳を傾ける。これですよ。できる大人の匂いがします。シズル感があります。

 次に、ハイコンテクストとローコンテクストのバランスを取ること。バランスを取るというか、原則的にはローコンテクストでコミュニケーションを図るべきで、ハイコンテクストな「空気を読む」とか「忖度」といった困難な道を過度に意識しない方がいいでしょう。できる関係であればやればいいと思いますが、原則的には避けて明言していった方が齟齬が起こらなくなりづらいため、テキストにしていくことが大事である点は強調したいところです。

 また、何よりも安心して意見を言い合える関係性と環境を築くこと。これに尽きます。肝要ってやつですね。

 上下関係や権力構造を盾にして上側にいる人たちが空気を読めとか無理なことを求めるのではなく、意見を吸い上げる努力をしつつ、仲良しこよしでなくていいから意見を出し合える環境を整備したいところです。

おわりに

 とはいえ、建設的なコミュニケーションってのは一朝一夕には実現しません。簡単に解決できるのであれば、あらゆる組織でコミュニケーションに課題を感じるわけがありませんから。

 でも、やっぱり「空気を読む」ことに頼るのではなく、お互いの意見を尊重し、オープンに議論できる関係性を築くこと。築けるのであれば築いたほうが、その後の物事を進捗させる上での大事なポイントだと思うのですよ。

 ではでは。

 ゑんどう(@ryosuke_endo)


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