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自分が老害化しているのかどうかを判断するためには何が老害なのかを知る

「老害にはなりたくない」って、「中年にはなりたくない」って10代の頃にいってたのと何ら変わりないことを述べている、そうボクは成長しない男です。

そもそも老害って、所属歴と役職でマウントを取ってくる高齢者って意味で使われていたものが、いつの間にか傲慢で横暴な時代の変化についていくことを放棄した老人たちって意味合いで使われるようになってますよね。

そんなことを考えていたら、ふと、以前住んでいたアパートの近隣に住む高齢者たちと接点があったことを思い出しました。

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

「…ハッ!…ハッ!」と延々と繰り返すオジさん

気合を入れて行動をすること。

それは日々、仕事なのか勉強なのか、洗濯物なのか調理なのか。いろいろとあるでしょうが、自らを鼓舞する際に「おし!」と言葉に出しながら、言葉に出さずとも頭の中でグッと拳でも握りながら見えないエネルギーを溜めるような時間と機会を設けることを言います。たぶん。

ただ、それが延々と繰り返される場面に出くわすと、何のために発せられているのかがわからなくなるだけでなく、ちょっとした恐怖心を煽られて物理的な距離を取ろうとすることになりかねません。

それは平日の夕暮れ時に訪れます。

以前、暮らしていたアパートの近隣に住む人たちならば必ず耳にしたことがある声と共に、遠くから「…ハッ!…ハッ!…ハッ!…ハッ!…」と何秒かおきに繰り返される音が近づいてくるのです。

5月から6月のような窓を開けておけば涼しい風が自宅内に入り込んでくる季節になると、街の建物や跨線橋などに反響し、さらに増幅された気合いの入った音声が繰り返され、「きたか…」と諦めに近い感情を抱くことになります。

休日になると昼間にも周辺地域にキーキーとオイルが挿されていない自転車の漕ぐペダル音へ、合いの手を入れるかのごとく一定の間隔でドスの効いた、周辺地域にバッチリと反響のする低音で「…ハッ!」が響き渡るのです。

直接、誰かに向かって怒っているわけでもなければ、罵声を浴びせられている人を見たこともありません。ただただ、自転車に乗った彼は空に向けて、気合を入れているだけのようにも見えます。

ただ問題なのは、それが我々が住むアパートの前で繰り広げられていることと、わざと反響する場所を選んでいるであろうことがわかる点にだけあるだけで、それ以外には何の問題もありません。

近くに誰かが通ると黙るので、もしかしたら、大きな声を出していることを自覚していたのかもしれませんが、それにしても夏の暑い日も冬の寒い日も止まることはありませんでした。

それを老害と称していいのかどうかはわかりません。

初見の小学生に説教するオジさん

ある日、近くの公園に出かけて自宅アパートに戻ってきたときに、同じアパートに住んでいる別世帯の子どもが見知らぬオジさんからひどく説教を受けていました。

その態度や声の音量から、その子の親族が遊びにきており、たまたま、そのオジさんが語気を強めなければならないような事柄を行ってしまったのかも知れない…と見受けたのです。

ところが、我々が自宅に入ろうとしたタイミングでオジさんはどこかへ行ってしまい、残されたその子は狼狽しているではありませんか。

その子へ「どうしたの」と聞いてみると「おじさんに怒られた」と。「おじいちゃんに?」と続けて聞いてみると、「知らない人」というではありませんか。

…え?知らない人なの?

我々が帰ってきたタイミングから話し出していたので、決して長い時間ではなかったものの、かなり強めの口調と、その子の性格にまで踏み込んでいるような内容だったこともあり、かなり親しい関係にある人なのかと思ったら、まったく無関係の人だと。

その人のことはボクも見たことがありませんでしたが、ちょっとした畑の細い道を堂々と歩いていったので近隣に住んでいる人なのであろうことはわかったのですが、その子も「はじめて会った」とかいってるし、なんだこの状況は。

何が起こったのか、いや怒ったのかを理解していないその子はアパート前で自転車を乗っていたところ、急にそのオジさんから「女なんだから愛嬌よくすんだよ!」(意訳)的なことを語気強めにいわれておったわけですが、それを初見の見知らぬ子に向かって言い放つとは…

幸いなことに、その子は「何だろうね、あの人。何いってるかわかんなかったし」とか言えていたので、もしかしたら傷ついていなかったのかも知れませんが、それでも怖かったことに違いないでしょう。

その日以来、そのオジさんを見かけることはありませんでしたが、偉そうに説教をするようなオジさんにはなりたくないものです。

やたら小さな子どもにだけ絡もうとするオジさん

人の偏愛を覗き込むことは狂気に触れる部分でもありますから、覗き込むのなら相応の覚悟を持たなければならないとは思うのですよ。

ただ、ただただ、それは興味本位だったり浮ついた好奇心からの"軽はずみ"な覗き込みだと準備の暇もないまま、ズズズっと引き込まれては、息もできない沼に入るように切迫した状況に陥っていきます。

そのオジさんが小さい子どもに対する偏愛が強く、周りに誰がいようが関係なくその振る舞いを実行しようとする人だったのかどうかはわかりませんが、少なくともボクの前ではそういった素ぶりを見せ続けていたのは間違いありません。

ボクは散歩が好きなので子どもを連れ立ってよくアパートの近隣を散歩のような形で歩いてました。

住宅が立ち並んでいるから相応の人たちとすれ違うわけですが、ボクは見知っていようないまいが関係なくすれ違う際に挨拶をします。

まだ小さかった長男くんは「知らない人には話しかけられても応じない」といった保育園からの教えを忠実に守っていたからか、誰か知らない人には話しかけないし話しかけられても素っ気ない態度が中心。

ある日、息子氏を連れ立っていつものように散歩へ出かけて程なくすると前方から素知らぬオジさんが歩いてきたので、何の気もなしに「こんにちは〜」と挨拶します。

いつもなら「こんにちは」と顔も見ずに返されるか、子どもを連れ立っているから子どもの顔を見ながら「こんにちは」と返してくるかで、顔面を覗き込まれながら返事を受けることなんてありませんでした。

そのオジさんは、こんにちはと発したボクの顔ではなく、連れ立っている子どもの顔を目掛けてギュッと物理的な距離を詰めてきたのです。そして、天気の話をし出したり、近隣の引越し情報などを聞いてもいないのに話しかけてくるではありませんか。

しかも、話している間、ずっと息子の顔ばかりを見ていて、ボクと目が合うことは一切なかった、という非常に異様な態度を取られてしまい、もうどうしたものかと悩む暇もないぐらい圧がすごかった。深津もしくは一ノ倉(山王)かよ。

あまりにも度し難い態度だったこともあり、そそくさと立ち去ったわけですが、さすがにこちらも深淵を覗き込む気などサラサラなかったのでダメージがひどく、せっかく悠々とした散歩時間を楽しむこともできずに帰路に着いた次第です。

おわりに

ここに記載した彼らを実在する存在と認識するのか、ボクの書いた架空の人物だとするのかはみなさんにお任せします。

生成系AIの成長が著しい昨今ですから、創作物である可能性は存分に高いでしょう。仮に、ボクの妄想だったとしても、ボクはこうやって暇な時間を空想物を想起することに費やしているのかぁ...暇だなぁ...とか思っていただけると幸いです。

彼らは当時でも60代から70代の方々だろうと見受けていましたが、その後、以前住んでいたアパート近辺にはいく機会が多くありませんし、たとえあったとしても多くの時間を過ごすわけでもありませんから、彼らがどうなったのかを知る由もないのです。

ただ、これらの経験は、世の中には老若男女がいるはずなのに、なぜ「老害」といった言葉を想起する際にオジさんばかりなのか。その理由の一端を垣間見た瞬間だったのかもしれません。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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