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セカンドキャリアでなく、パラレルキャリア

セ、セカンドキャリア?

よく、アスリートが現役を途中で投げ出さざるを得ない状況(解雇や契約満了)に追い込まれた結果、次なるキャリアを目指すという言葉として「セカンドキャリア」という言い方をします。

僕は割とこの言葉が嫌いです。何故かと言うと、セカンドキャリアということは、もし、その場所での活躍もままならずに途中で変えることになったらサードキャリア、フォースキャリア...と増えていくのか、と。

例えば、アスリートが選手としてやってきたけど、次からは商社の営業やります、みたいに仕事の環境がガラッと変わる、業界を変える、という意味で言っているのであれば、僕なんかサードキャリアやフォースキャリアだし。

第二の人生をさしてセカンドキャリア、なんて言い方をするそうなのですが、そもそも人生に二度目はないことから、その言葉にも無理がある気がするし...

キャリアについてググってみるとこんな感じです。

経歴。
・積み重ねた実地の経験。
・特定の試験に通って本庁に採用されている、上級公務員職の候補となり得る、特権官僚。 

簡単に言えば「経歴」です、と。その次の言葉には割とグッときましたね。積み重ねた実地の経験。これだな、と。

つまり、キャリアという意味で使うのであれば、それまでの生活を含めた過程の積み重ねが何番目なのかを明確にしましょう、ということにつながりますが、連綿と続くキャリアに何番目、なんて無粋なことをする意味もない。

やっぱりセカンドキャリア、みたいに数をつけてしまうことに僕としては使用するのにハードルを感じますし、ハードルを感じるのであれば使用すること自体が負担になるので使いません。

本業があって、それ以外に抱えている別のことを指してもいいのだと思いますし、それであれば同時進行的ですからパラレルキャリアとなるでしょう。

前回の記事で僕は、アスリートこそが創業キャリアの宝庫になれる可能性が高いと考えていることを結びに使いました。

もちろん、アスリートですから、本業として自らの身体性を高め、より良い結果になるべく努力を重ねることは大切ですし、是非とも結果を追い求める姿勢を貫いて欲しいとも思います。

思いますが、それ以外の時間だって有効に使うべきです。


時間は皆に平等

アスリートとして活動する中で、全く時間がないわけでもないでしょう。例えば、サッカーを取り組む選手であれば練習時間は平日であれば大抵2時間。前後の準備時間を含めると3時間程度です。

無論、それで終わりだとは思いません。

事前にケアを施す必要があったり、事後に自らの課題を克服すべく自主練習に励むこともあるでしょう。それを鑑みて5時間、6時間は必要かもしれませんね。

しかし、それを入れたところで24時間の中で睡眠時間を8時間だと仮定しても、残り時間は10時間。かなりの時間があります。

前回の記事で僕は、できることであれば、現役生活を長く送るべきだと書きました。

記事内でも触れていますが、一般的な会社員の生涯賃金が2億や2.5億とされる中で、アスリートはそれを継続できればという条件付きですが10年や15年で取得できてしまう可能性があります。

それに加えて、オフシーズンのように競技にだけの特化しない時期を作れるということも大きい。そこでだって、心身の調子を整えるための快復期間ですからやることは多いのかもしれません。

しかし、それ以外の時間だって確保できることは間違いありません。

なぜなら、一般的な会社員の人たちは日々の生活の中で仕事と生活と睡眠という中で可処分時間を作り出し、その中で自己研鑽したり、ネットワークを築いたりするわけですから。

アスリートは特別な職業かもしれませんが、アスリートに限らず、人は全て特別な存在のはずで、誰しも期待や理想を抱きながら生活をし、それに叶えるための方策を探し続けていると言えます。

僕だって、先日記事にしましたが「子どもとの時間を確保する」という、とてつもなく大きな課題に対し、どう挑んだらいいのかを常に毎秒と言えるぐらいに考えています。

時間は常に誰に対しても平等です。あとは人がその中でどうやりくりするのか、という違いになるはず。


アスリートこそパラレルキャリアを

アスリート(競技に特化して取り組むことができる人)は、それ以外の時間の使い方をもっと大きく学ぶべきで、それをすることによって、例えば現役としてダメでも他のことでキャリア形成できるようになります。

資産の分散投資と一緒で、どこかに大きく金銭を投じている場合、そこがダメだった場合には資産を丸ごと失うことになりますが、同じ金額の資産を他にも分散していれば、丸ごと失うというリスクを避けることができます。

それはキャリアだって一緒です。

どこか一つの企業にだけ特化した技能とか生活習慣のみを持っていると、そこが損なわれた場合、ほかでの換えが効かなくなってしまします。

スポーツのみ取り組んできた人は、それを失われた場合に、全く他の場所で活躍できない「性別しか属性のない何でもない人」になってしまいますし、それは僕が過去に経験した最も大きなことでもあります。

僕は別にスポーツ選手ではありませんでしたが、スポーツ業界という中でしか働いたことがなかったことが嫌で他の世界に飛び出しました。

そこで痛感したのは「何もできない」という無力感と喪失感。結果として僕は潰れてしまい、大きな期間を要して快復するための時間を費やすことになりました。

僕の例は別にいいのかもしれませんね。


ただ、人生にとってスポーツはなくても良いものです。

誤解を恐れずに言えば、アスリートは自分のやっていることは、なくったとしても誰も困らないことであるということを自覚する必要があると僕は思っています。

けど、なかったら味気ないし、その中で躍動する選手たちに「何か揺さぶられるもの」を感じるからこそ、会場に足を運ぶ人たちがいるわけであり、その活躍を見ていた人たちからすれば、立派なヒーローなのです。

そのヒーローが、現役をやめた途端に何もない人間になってしまったのを見たら、どう思うでしょう。

関係ないと言えば関係ないのかもしれませんが、少なくない人が「残念」だと思ってしまうでしょうし、それを招いたのは誰でもない自分自身であるということです。

これをアスリートの人が読む機会があれば、ぜひ、自分の時間の使い方について考えてもらいたいと思いますし、是非ともアスリートとしての活動を含めたパラレルキャリアを形成するようにしてもらいたいとも思います。

それが広くアスリートの中で一般的になれば、起業する人も出てくるでしょうし、ビジネススキルを高めた状態でビジネスの市場に飛び出していける人もいるでしょう。

同時進行で自分自身の価値をさらに高めることができれば、もっともっと輝けるのではないでしょうか。

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