いじめ問題の捉え方


いじめ関連の事件が起きて
その報道を目にする度に思う事があります。


「いじめはダメな事」
「あってはならない事」
「いじめをするのは悪い奴」

捉え方がそういう切り口ばかりな事に
個人的にはすごく疑問を感じてしまうのです。


もちろん「いい事だ」なんて思いません。

でも「ダメだ」「悪だ」「あってはならない」
というスタンスでばかり捉えているから
いつまで経っても何も変わらないのじゃないかと思うんです。


あくまで個人的な受け止め方なのですが、
いじめってその本質を見れば
「異質な者を排除しようとする人間の本能的な部分に根差した言動」
なんじゃないのでしょうか?

子供だけに限った事じゃありません。
職場等であからさまじゃなくても
「あの人ちょっと変わってるよね」と言われて
笑われてしまっている人って近くにいらっしゃいませんか?
その人だけ少し除け者みたいな扱いを受けたり酷い場合には無視されたりしているのを知っていませんか?

学校、職場、アルバイト先、自治会、PTA、習い事…。
子供であろうと大人であろうと、至るところで同じような事が起きているのを、実例としてたくさん知っています。
(※大人の方が表面上だけは取り繕うので余計にタチが悪いと思います)


それらの状況を見るに、
どうやら人間は集団になった時にそういう心理が働く生き物なんじゃないのか?と思うのです。

恐らくそれは
生き物として種の繁栄に有利なプログラムが本能になされている
っていう事じゃないかと。

「異質な者を放置していればそれが原因で種の滅亡に繋がるかも知れない」
という事を本能的に防いでいるのではないでしょうか?

だから子供でも大人でも
少し他の人たちと異なる様子を見せる人がいた場合に
その人を頭の中で他とは区別し、
出来る事なら自分達の集団から追い出そうとしてしまう。

実際問題、悪意の有無に関係なくそういう事が多くの人の中で起きてしまっていませんでしょうか?



なので、こう思うのです。

人間はそういう心理が働く生き物だという前提に立って
「じゃあどうすればその心理をを薄められるのか?」
という方向の研究や教育をしていかないと
根本的な解決には全くならないのじゃないかと。


今はひとたび事件が起きると
「誰が悪いのか?」「誰の責任なのか?」
という方向の調査しか行われていないように感じます。

そりゃ誰も名乗り出ないし
管理に落ち度があったと認めたくない組織も
真剣に対応するはずがないですよね。


勉強不足で申し訳ないのですが
「いじめは人間の本能に根差した行動なのでは?」
という切り口での研究や調査って行われているのでしょうか?

私はそちらの方向の研究や対応に
唯一いじめ問題を解決する糸口があるのじゃないかと
思えてならないのです。

本能的な事から生まれてくる事なら
まず「いじめは当たり前によく起こり得る事」だと捉える所からスタートしなくてはなりません。
だって本当に身の回りに同じような事がたくさんありますから。

「当たり前にある」という認識の方が正しいとしか思えません。


今のまま
「誰が犯人だ?」「学校は何をしていた?」
という事だけを取り上げ続ける限りは論点がズレっぱなしなので、この先も永遠に同じ事が繰り返されるだけなのではないでしょうか?

「当たり前にある」「じゃあどうすれば防ぎやすくなるのか?」
こういう方向の捉え方こそが解決への近道のように思えます。

起きたから対処するのではなく
普段からの意識の持ち方や心がけの部分で、
自分の価値観からすると「妙」な感じがしてしまう人とどう付き合って行くのか、
その考え方をしっかり持たなければ「無視すればいい」とか「排除すればいい」と言う思考停止状態に逃げ込んでしまい、
それが最終的にはいじめという行為に繋がってしまう。
という方向性の啓蒙をして行く事が必要なのではないでしょうか。




個人的にいじめ問題が起きる度に感じていた事を書かせて頂きました。


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