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待つ夜の秋の風

さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫  定家

この日の歌会のテーマは「花と月」を百首、だった。
定番中の定番。直球とカーブだけで完封しなさい。今風に言えばフォーシームとスライダーでねじ伏せよ。
そこで定家は考えた。スライダーをどこに決めたらいちばん効果的か。過去の全データを記憶から呼び出す。ハイライトされた一首が「古今集」のなかから浮かび上がる。

さむしろに衣かたしきこよひもやわれを待つらむ宇治の橋姫 |詠み人知らず

「脱いだ衣を寝床に敷いて、今宵もわたしを待っているのだろうな、愛しいハシヒメ」という歌。でも今夜も行けないんだ。なんせ、宇治だからね。京からはだいぶ遠い。行けないことはないんだけど、でもやっぱり遠い。憂しの橋姫ってダジャレも付けたから笑ってね。古今集はぜんぶ仮名で書かれていて、しかも濁音符というものはないので、実際は「うしのはしひめ」。もともとシャレがわかりやすいようになってる。
でも、ほんとに待ってるんだろうか。待ってなかったとしたら、はずかしい歌だよ。勅撰集に載っちゃってますけど、詠み人知らずさんの思い込み、または願望を呟いた歌にすぎない。詠み人知らずさんは実は有名な方なんだけど–––たぶん有名でしょう、宇治まで時々なら通える階級の人–––自分でも名前出しちゃったらはずかしいってことは自覚してて、匿名投稿にした。
しいていいところを探せば、「さむしろに衣かたしき」が優雅な言葉ですね。「むしろ(蓆)」は藁で編んだ粗末なもののことじゃなく、敷き物一般を指します。それに「小夜(さよ)」とか「小百合(さゆり)」とかと同じ接頭語の「さ」を付けた。「寒し」に掛けてもいる。そのさむしろに衣を「かたしく」。二人で寝れば二人の衣が重なってるわけですけど、ひとり待つから、片敷く。

定家は、衣をかたしくハシヒメの「さむしろ」に月を落とした。現実界をはるかに超えた幻想海に姫を連れていく。吹く風、更ける夜、深くなる秋。三つの時間が移りゆくさむしろに、月光が降りる。そこにハシヒメが体を横たえる。誰を待つのか、何を待つのか。きっと自分でもわからない。

ちなみに能舞台の橋掛かりは、寝殿造の「渡廊」に由来するらしい。その記述を安原盛彦『源氏物語空間読解』に見つけて、長年の疑問が解けた。寝殿造は東西に渡廊(ブリッジ)がずーっと延びて、その先端は「釣殿」といって、池に突き出たところがちょっと広くなってる。水に映る月を和歌で「釣」ったんですね。春は散る花を眺め、冬は雪景色を愉しんだ。ときには鼓を打ち、舞いを舞うなんてこともあったかも。もうほぼ、能じゃないですか。月をかたしく橋姫はじつは渡廊=橋の精で「さむしろ」のシテだったんですね。定家すごい。世阿弥が登場するのは二百年後。

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