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"My Death" ~~ 架空の舞台挨拶 

シニガミといいます。
「めずらしいお名前ですね」と言われることはたまにありますが、たいていは「え?」っていう表情をされるだけです。
めっちゃ不吉な名前ですねって思いきり言ってくれる人、いないかな(笑)

仕事は美術館の守衛をしています。父方の姓が薛(シュエ)ってのが影響してるんだか、どうだか。してるとしたら、そんなことで仕事が来ること、あるんですね。いや、仕事って、来るものなの?ふつうは、こちらから行って掴むってイメージがあるんですけど、それも思い込みなのかな。

妄想癖があります。
じつは百代前の祖先は周王朝の守衛だった。薛祖はいつもすこし憂鬱そうな顔をしながら、洛邑の城門の前に立っていた。
「おれはいったい、何を、何から、守ってるんだろう」
って、解けそうもない問いを考えながら。

XをYから、守る。
仮にX=美術だとしましょう。
そうしたとたん、美術といっても膨大であり、周から漢、唐、宋みたいにだんだん巨大になっていくと、守りつづけるなんて到底、ムリ。まずは美術って何か、境界を画定しなきゃ。
いや。それ自体がムリってことは、たぶん、美術史家たちは異口同音に言うでしょう。でも幸いなことに僕は守衛であって美術史家じゃない。守衛目線で決めさせてもらいます。

この美術館には、古代ギリシャ人とおぼしき人体の石膏像がいくつも置かれています。これですか、守るのは?
ちがうでしょうね。だって、これってコピーですから。
帝国主義が世界を席巻していたある時期、古代遺跡が盛んに発掘され、出土した古代の彫刻などを収蔵する場所として「美術館」が誕生しました。と同時にそれらの石膏模造が大量に作られ、商品として流通することが始まりました。あらゆる文化的ツールを使って「時空を隔てた文明への憧憬」が、したがって「需要」が作り出されたのです。
しかしその需要は、オリジナルを持つ美術館にアクセスが容易になるにつれ、下火になっていくほかありませんでした。そこで模造業者は考えました。新しい需要を、学校に作り出してはどうか。
教育界というのは閉鎖的かつ保守的なので、いったん作られた需要はかなり安定すると見込まれました。ただしそうするには「理論」が要ります。たとえば、こんな感じのものでいいでしょう。
「光を描くのです。光自体は見えない。だから陰を描くのです。陰を介して光は描かれるのです」
これはたまたま先日、学生をぞろぞろ連れてこの石膏像の前にやってきた老人が言っていたのが聞こえたのです。よく考えたものです。石膏は白いので、明暗のグラデーションが絶妙に現れますからね。模造品であるという事実は微動だにしませんが。

だからわたしの任務は、石膏像や、それによって訓練された美術を守ることではないんですね。わたしは周代の昔より「死神」と恐れられた一族の末裔です。その力をもって、ほんとうに守るべきものを守りたい。
孔子はこう言っていました。
「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」
わたしは生がなんであるかを知らない。どうして死のことを知ることができようか。
これを条件文とみて対偶をとれば、
「もし死を知らば、生を知ることを得ん」
となります。
どうです?生を生だけで考えても、いっこうに埒が明かない。では生の外から生を考えてみてはどうか。

「死んでみるんですか?」
そんなアホな質問はしないようにしてくださいね。文字通りに物理的に死亡してしまったら、生を「知る」ことが不可能になるでしょ?
言葉は象徴として理解すべきものです。
「シ」に、ブッダは別の意味を与えました。「彼岸に渡る/渡す」ことがそれです。「向こう側」を想定し、「あちら」に渡って「こちら」をふりかえる。世界を世界の外からみる、ということです。
それは、なかなか大変なことです。衝撃が伴います。
渡ろうとして渡れるというものでもない。数日後か、数十年後か、もしくはその瞬間か。

シニガミ家に受け継がれた任務を全うするのは、楽ではありません。任務なんか忘れて、海辺でのんきに暮らしたいと思うことだってあります。でもふと石膏像に目が行くと、いろんな事考えちゃうんですね。オリジナル像の制作者たちがもしこれを目にしたら、どう思うだろう。もうはるか昔に死んじゃった人たちだから、いいじゃん…とは到底思えませんね。とりあえずわたしは、学生たちが石膏像に触れないよう、有刺鉄線を張っておきます。

(その後、何者かが有刺鉄線を切ってしまいました)

僕が阻止したいのは、石膏像そのものというより、学生たちの石膏像化なんです。守衛って、受け身で守ってるだけじゃプロとは言えません。あらゆる危険を予測し、未然に防いでこそ、一人前のディフェンダーと言えます。現場でただ座っているだけに見えるかもしれませんが、たえず情報をチェックして、予測をシミュレーションしています。
もし仮に石膏像を破壊したとしても、業者は〝生ける石膏像〟でその代りをつくろうとするでしょう。デッサンの作業のあいだ、じっとしていられるように体幹を鍛え、平衡感覚を訓練する必要があります。決して贅肉がつかないよう、体重は厳格にコントロールされなくてはなりません。もしそれに反した場合は〝廃棄〟処分もやむをえません。

歴史の模造すら、石膏像業界のアジェンダに入っています。石膏像が本物でないなんてことは、ちょっと考えれば誰にでもわかることですが、たとえばデッサンの課題を来週月曜を締切にして5件も出せば、考える暇は簡単に奪えます。麻痺した脳に模造の歴史を刷り込むのはたやすい事です。学生たちは無意識に、今自分たちは古代ギリシャの精神と対話しているのだと錯覚するでしょう。
もちろん、この手法はどんな種類の学校にも転用可能です。義務教育などは格好の標的です。子どもたちは素直に先生の言うことを聞きます。膨大な暗記項目の源泉として歴史はまさに最適のジャンルです。暗記とは無批判になることです。歴史がじつは不連続かもしれない——そう疑ってみる余地をぜったいに与えない。「年表」という連続的なフォーマットに出来事を配列すれば、もうそれだけで不連続面は覆い隠せます。

石膏像と起源を共有するビジネスが見かけよりもはるかに巨大であり、世界の隅々にまで触手を伸ばしていることは、わかっていただけましたでしょうか。また、そのなかで残されたリアリティを守らねばならないシニガミ一族の苦労も、感じていただけますか。
しかし、僕は時々、こうも思うんです。これは敗けいくさです。まちがいなく。それは、ひょっとしたら、幸運なのではないかと。
ある映画で、こんなことを言っていました—— わたしは「皇帝」になりたくない。わたしは「支配」も「征服」もしたくないと。
言い換えれば、勝ちいくさはカッコ悪いってことです。僕の愛読書の一つに『集落の教え100』があるんですけど、そこに印象的な言葉が書いてあります。
「逃亡者に比して、開拓者たちには概して精神の苦悩が欠け落ちる」
その本の主題の中では、この差が集落や都市の様相に現れるということなんですが、僕としては、ずっと逃亡者たちの守衛でありたいと思っています。

ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花のちるらむ

「ひさかたの」は光の枕詞なので、両方あわせて「ひかり」をゆっくり言ってる感じですね。すべてが静止したような春の日のなかで、花だけが散り続ける。おおかたの人は、花の散るのを惜しむ歌だと解するかもしれませんが、いえいえ、その散るさまを最高のフレームに捉えた一首であるように僕には思えます。 "NOT THE END". 止まらないこと。動性を讃えるためにこそ、静止の景が使われているのです。

ここに孔子の言葉を重ねてみましょう。死(静止)が生(動性)を知らしめるのです。「生」でも、「死」でもなく、「生/死 (Life framed by Death)」ってことです。世阿弥の創案による「複式」夢幻能もそういう考え方に関係あるかもしれないし、あるいはシニガミ一族の存在理由もひょっとしたらその辺にあるんじゃないか。


~~Not the End~~


Hsueh Dayung (薛 大勇)

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