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日本語はどういう言語か(3)

(2)を書いてから2年経ってしまった。出直しだ。

上代の日本語には、ラ行で始まる語が存在しなかった。これはどういうわけかを探るところから始めよう。

まず、それは本当か。例外かもしれないものを辞書で片っ端から探す。たとえば、完了や持続を表わす助動詞「り」があるじゃないか。

春の葉の 茂きがごとく 思へし 妹にはあれど |柿本人麻呂
(春の葉が茂るように絶え間なく思い続けた彼女なのだけれど)

しかし助動詞は動詞に付くことではじめて一語として働くわけなので、完全な「語」というには問題がある。それに、「り」の発生起源が、動詞+アリの形からアが脱落したものらしい(大野晋『岩波古語辞典』)ので、最初から「り」という語形ではなかった。

では明らかに独立した語として、「郎等(うどう)」「老少(うせう」「臘燭(ふそく)」なんかはどうか。郎・老・臘の現代中国語の発音はそれぞれ láng, lăo, là である。唐代でも、これと大きくは違わない発音だったろう。それを奈良時代の日本人は「らう」や「らふ」と聞き取ったわけである。つまり、これらは和語ではなく、漢語をほぼそのまま日本語に取り入れた外来語ということになる。上代の日本語を和語に限定すれば、いずれもラ行で始まる和語の例にはならないわけである。そもそも漢字で表記される語は漢語由来の可能性が非常に高い。

では、仮名のなかで探そう。〝可憐〟という意味の「らうたし」はどうか。

かくらうたき御さまにて引き具し給へらむもいとつきなく |源氏物語・須磨
–––こんなに可憐なご様子でいらっしゃる、そのひとを(遠い須磨まで)ご一緒に連れて行かれるというのも、全然ふさわしくないことで…

しかし辞書で確認してみると、「らうたし」の語源は「労痛し」で、もともとは、弱いものをいたわってやりたい気持を言う語だという。労(勞)láo に由来するとあれば、起源はやはり漢語だ。源氏物語が書かれた平安中期にはすっかり日本語としてなじんでいたかもしれないが、遣唐使が大量の漢語をもたらしたばかりの奈良時代に用例があったかどうか。あったとしても、まだ外来語の雰囲気を濃厚に保っていたのではないか。

「六(く)」はどうか。数詞は日常語中の日常語、漢語が入ってくるはるか前から使っていたはずだ。でも和語ではそれを「む」と言う。

いつとせとせのうちに千とせやすぎにけん |土佐日記・二月十六日
—— 五年六年のうちに千年過ぎたのだろうか。

「六」も漢語の数詞なのだった。現代中国語では liù 。中国語史のどこかで語末の子音 -k が脱落したので、唐代では liuk かそれに近い音だったと思われる。

ここで「上代」「和語」といった言葉をもう少しちゃんと定義しておこう。「上代」は文学史の用語で、飛鳥・奈良時代あたりを漠然と指す。7〜8世紀に相当する。文字記録がある程度の量として残る最も古い時代とも言える。命名の根拠が漠然としすぎているという欠点はあるかもしれない。でもそれを言うなら、飛鳥時代や奈良時代の区分根拠だってどんなものだろうか。「世紀」の数え方に至っては、キリスト教世界観に濃厚に影響されている。

「和語」は、漢語が組織的に流入する以前から日本列島で使用されていたであろう語彙と定義される。とは言っても、当時「日本列島」で話されていた言語は近代の津軽弁と鹿児島弁以上に、はるかに幅があったろう。日本語はどういう言語であるかを、古代・中世に遡って明らかにしようという企画にとって、「日本語」とはもちろん、古文献から知られる言語のことである(それ以外の日本語は知りたくても知りようがない)。ヤマト朝廷とその近縁の人々が書き残したその古文献上の語彙——つまり畿内方言の語彙——から、漢語由来の語彙を除いたものが、和語ということになる。

どうやら、和語にラ行音で始まる語は存在しないというのは、事実のようだ。すると当然、疑問が涌く。ラ行音そのものはいくらでもある——そら・あり・むれ・もり…——のに、語の先頭には決して現われない。どうして?



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