見出し画像

怒涛の5日間と母親の介護とかいろいろ

母親の介護の合間に少しずつ。
時系列無茶苦茶になってたらすみません。


こんにちは、お久しぶりです、土下座最中です。
今回は母親の介護が必要になった経緯を、備忘録として書いていきます。

急に歩けなくなった母親、3月18日

3月18日の夜から、急に母親が介助なしでは歩けなくなりました。
何をするにも私が付きっきり。

ちなみにこの日は大学病院にかかって、最寄駅横のスーパーで急に腰を痛めて、帰りに歩けなくなり、かなり近距離でしたがタクシーで帰宅しました。

帰ってからは、母親が疲れているからと何故か徹夜。
それに私も付き合って欲しいと言われ、心配だったので付き合いました。

寝室は2階にあるのですが、寝室に向かう廊下も介助なしでは歩けず。
階段は、2人一緒に落ちたら怖いのでなんとか1人で昇ってもらいましたが、13段ほどの階段を昇るのに30分以上かかりました。

その日(19日の朝ですが)はなんとか布団に寝かせたり抱えたりしながら母親は就寝。
私も短い仮眠をとりました。

なんでこんなに動けたの私、な3月19日

4時間ほどの睡眠時間で、私はこの日も母親に付きっきり。
トイレに行くといえば、腰を支えてトイレまで送り、母親がトイレを済ませるまで30分でも40分でもトイレの前に立って待っていました。
その間何も自分のことができないので、TwitterやInstagramを眺めたり、いつでもやめられる放置系スマホゲームをしたりとして時間を潰しました。

立ち上がるにも介助が必要で、私が抱えないと立ち上がれない状況。
どこかへ移動するにも私が腰を痛めながら母親を抱える。

睡眠不足、筋力的体力的限界。

それでもこの日は洗濯をし、洗い物もし、ご飯を作っての大活躍。
正直この日なんでこんなに動けたのかはわかりませんが、睡眠不足で感覚がおかしくなってハイになっていたのだと思います。

この日も次の日の朝に寝て、私もやっぱり短い睡眠をとります。

まだ動ける私、な3月20日

20日も睡眠時間が短いのに朝明けてだいぶ経ってから寝て、なのに昼過ぎには起きてしまいました。
この数日、ハイになっていてなかなか二度寝が出来ず、この日も朝(昼)から洗濯機の槽洗浄や槽乾燥をしながら、朝ご飯を食べて過ごしました。

朝ご飯を食べ終わる頃には、母親から電話がかかってきて起こしてと頼まれ、トイレの介助をし、その後洗い物、買い物をするものを決め、母親の食事の介助、また母親のトイレの介助、そして身支度を整え買い物へと、走り回りました。

この日は、買い物に行った時間が遅かったので流石に晩ご飯が作れず、父親にほか弁を買いに行ってもらいました。

それでも、晩ご飯の後は洗濯をし、母親のトイレやなんやらの介助をし、母親が持病による鼻出血を起こしたので徹夜で付き合い、朝にゴミ捨てに行きました。

この日は、母親がどれだけ時間をかけても自力で階段を昇ることができず、2人で落ちるのを覚悟で私が抱えて昇らせました。

たったの3日で根を上げた私、な3月21日

この日は徹夜で、一睡もせずに自分と母親のかかっている心療内科に行きました。
木曜だったため、午前の診察しかなく、仮眠をとって午後からが出来なかったため本当の本当に徹夜でした。

まあ、その日までも仮眠程度の睡眠時間しか取れていなかったので、ほぼ徹夜が3日以上続いていました。

心療内科の先生に、その時母親がどういう状態で今私がどういう介助、介護をしているかを伝えると、その状況は私が潰れる心配があるから、歩けないなら整形外科にかかって今すぐ入院させなさい、とアドバイスをいただきました。

私がお昼ご飯も兼ねてファストフード店で祖母に相談の電話をしたところ、絶対に大学病院以外にかかるなと言われました。
この時、私は大きな声でずっと店内で祖母に相談と愚痴の電話をしていたので、周囲のお客さんや店員さんにご迷惑をおかけしたと思います。
でもほぼ徹夜3日以上で、ご迷惑かけていることにも気づかないほど、精神的に限界が来ていました。

その後、母親に先生が心配していたから病院にかかろう、入院しようと言ったのですが、母親は病院も嫌だ入院も嫌だと駄々をこね。
なんとか泣き落としに近い形で説得した後も「入院するなら必要な物を持っていく」と、私にあちこちから荷物を集めさせました。
ちなみにこの時、母親の状態を大学病院の先生に話したところ、即救急車を呼びなさいと言われて、それを母親に伝えていたのにも関わらず「入院の準備をしないと」と無駄なこだわりを見せたのです。

なかなか入院に踏ん切りがつかない母親に、私がパニックとキレるのを同時に起こし、近所中に聞こえる声で「お願いだから病院行こうよ!」と何度も喚き散らしたことで母親も諦めたのか、救急車を呼ぶことをOKし、私が救急車を呼びました。

もう完全にパニックだったので、消防に電話した時点でパニック状態で話し、救急隊員が来た後もパニック状態で、私の要領を得ない話に救急隊員の方はよく付き合ってくれたと思います。

救急搬送時にも、救急隊員からかなりお説教を喰らいました。
パニックになっているので状況を説明する時も声が大きくなりがちで、静かにしてくれと言われたり、落ち着いて話してくれと言われたり。

大学病院についてからも、私がかなり動揺していて泣きまくるので、看護師さんが優しく声をかけてくれました。

父親はその時会社に行っていたので、会社が終わったら連絡をくれとの旨、SMSで送信し、祖母には心配をかけないよう泣き止んでから努めて明るい声で「もう病院に来たから大丈夫」と連絡をしました。

その後は私は待合で待っていて、母親は緊急処置室みたいなところで検査を受けたりなんだり。
夕方遅くになって父親に連絡がついた後、病院で合流することになり、父親が来る前に母親が車椅子で運ばれてきました。

先生曰く、特に悪いところはないからと家に帰るように言われました。
私はてっきり入院するものだと思っていたので、安心半分不安半分でした。

とりあえず入院にはならなかったことを、先に祖母に伝えたところ、寝室が2階にあり、1階はリビングと弟(故人)のものに溢れた私室をそのままにしてあるので、寝るに寝れないだろうと心配してくれました。
そして、祖母が炊事洗濯その他家事系統のことは面倒見るから、祖母宅に来てはどうかと提案してくれました。

祖母の家には祖母のベッド以外に、数年前に亡くなった祖父のベッドが1階にあり、また祖母宅も自宅より広いうえ片付いており自宅で介護するより介護しやすいだろうとのことでした。

しかし、そこでまた母親のこだわり癖が発動。
ベッドの寝心地が良くないと行きたくない、ベッドの寝心地がわからないから行きたくない、自宅の2階に上がって寝る、とわがままにも思えるこだわりを見せ始めました。

私は、到底母親を抱えて2階に昇るのは無理だと何度も何度も言ってきかせ「うちはまだ、階段から落ちて死にたくない!」と強い口調で訴えました。
母親も最終的には私の半狂乱な状態に根負けして、祖母宅に行くことを了承してくれました。

祖母宅に向かう準備でまたしても一悶着、な深夜

病院からは自宅までタクシーで帰りました。
とんでもない金額でした。

祖母宅に行くための準備を整えてから、車で父親に祖母宅まで送ってもらうことになりました。

父親は準備をすると言っても、母親の必要なものとか普段使っているものとか、一切わからないし知らないので、深夜の運転に向けて仮眠をとってもらいました。

そして祖母宅に行くための準備をするのですが、ここでも私は大パニックの半狂乱。
なにせ母親が不安からこだわりがいつも以上に強くて、あれがいるこれがいる、これは持っていってもいいのか、あれは祖母宅にあるのかなど、そのほかにも細かい細かいことに、いちいち口を出してくるのです。

私と父親の見解は一致していて、当座必要な物を最低限持って行って、足りないものはまた取りに帰るなり買うなりしたらいいとのことでしたが、母親は自宅で生活していた時の完全再現をしないと納得がいかないようでした。

私は叫ぶわ泣くわ暴れるわしながら、なんとか母親が諦めるところまで準備を整え、父親を起こして祖母宅に向かいました。

ちなみに父親と母方の家系、葬式以外は一切会わないと父親から一方的に断絶宣言しています。

それが、この緊急事態に父親は会社に行かないといけないのと、到底統合失調症を抱えた私1人に介護は無理なのと、自分は介護に一切参加したくないのとであっさり祖母宅に母親と私を預けることを了承したのです。

これは私の見解ですが、父親と母方の祖父は似たもの同士の同族嫌悪で仲が悪かったのですが、祖母にはそこまで悪い感情を持っていなかったのではないかと思います。
昔、私たちが幼い頃に母親が入院した時も、幼稚園の送り迎えや世話や家事の一切をやっていたのは祖母で、祖父は父親にあれやこれやと口うるさくしているだけのようだったのです。

明け方に祖母宅について、父親と私でなんとか母親を祖母の家の中まで送り届けた後は、父親は祖母に母親のことを丁寧に頼んで、会社に行くために自宅へ帰って行きました。

21日と22日の明け方から朝は、その後も割と大変だったのですが、もう色々ありすぎたのと、徹夜続きだったため、記憶にありません。笑

怒涛の5日間

とまあ、こんな感じで18日から22日まで怒涛の5日間を過ごしておりました。

正直、木曜日に主治医の先生からすぐに病院にかかりなさい入院させなさいというアドバイスをもらっていなかったら、今ごろ自宅で私も母親も死んでいたのではないかと思います。

今は、母親の介護介助は大変ながらも、明るくサバサバした性格の祖母が近くにいてくれるので、精神状態は母親が介護が必要になる前より良いくらいです。

あとは、食事の準備の心配をしなくていいのもかなり精神的に楽です。
今までパニックを起こす原因といったら、食事の準備のことが多かったので、かなり精神的には安定して過ごせています。

祖母には迷惑をかけますが、1人で介護は絶対に無理だったので、助かります。

と思ったら……。

先ほど祖母が病院と買い物から戻ってきたのですが、祖母に肝臓の病気の疑いがあるそうです。
血液検査の結果、肝臓がんの可能性もあるとのこと。
むしろがんの可能性が高い……。

祖母も母親も不安がっているので、私だけでも明るくいたいと思います。

でも、私も不安……。

今回はこの辺で。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

もし、記事を読んで「サポートしてみようかな」と思ってくださった方、お気持ちだけでもとてもありがたいです。ありがとうございます。 サポートしていただけましたら、その費用は今後の執筆のための環境改善費用に充てたいと思っております。