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オタクでない数学者(遠山啓をめぐって)

 遠山啓の著書を読んでいると、文系的な比喩が卓抜で、「数学者は風変わりなオタクだ」という通俗的な偏見がガラガラと崩れていく爽快感がある(とはいえ、ネット情報によれば「小学時代以来から、社会や人間を嫌っていた」というから不思議だ)。ある世代の数学者、あるいは数学者に限らず他の分野の研究者も、古き良き教養人としての世界感覚というものが身についていて、そのことと相関して「公共性」に対する責任感みたいなものをごく自然にあわせ持っていた。遠山より20歳ほど若い森毅は「背景としての社会ではなしに、数学を社会現象として扱うことによって、<人間>を媒介とせずに直接的に<数学>と<社会>を接続すること」(『数学の歴史』)を自身の問題と定めたが、遠山もまた社会に対する現実感覚を保持した尊敬すべき教養人だった。

 例えば、遠山の『現代数学入門』や『無限と連続』のような著書を読むと、そこにはほとんど社会学者のような感受性が見て取れる。ベストセラーになった『博士の愛した数式』(小川洋子)の主人公のように、数という宇宙の中に閉じこもるのではなく、遠山は自分を取り巻く世界の変化に自身の感性を開いている。旧体制から新体制への変容を、数学のみならず、数学を取り巻く世界とともにまるごと把握しようとする志向が、遠山の姿勢には明瞭に見て取れる。

 古代におけるユークリッドの数学は「静止した世界」に基づいていたが、近代において「運動」が数学の世界に導入されると、古い数学は解体した。それは同時に古い秩序の解体を意味する。

 デカルトの幾何学が登場する以前は、運動と変化というものをしっかりと科学的につかまえることがなかなかできなかった。(略)力学でも「静」力学まではいったけれども、「動」力学、つまり動いているものの法則をつかまえるところまではゆかなかった。ところがデカルトの幾何学によってそれが一挙に可能になった。これが近代数学です。

『現代数学入門』

 デカルトの画期的な数学は、さらにニュートン、ライプニッツによって微積分へと発展させられることになる。「微積分学がなかったとしたら、現在の数学は三分の一ぐらいまでしか発達してなかったのではないかと思われる」ほどの威力のある新しい知のツールは、「われわれのいろいろな現象を見るさいの精巧なカメラのようなもの」であり、近代物理学を大きく推し進めた。それは規模からいっても量からいっても、人間の認識を組み替えるほどの凄まじい破壊力を秘めていた。17世紀から18世紀そして19世紀へと発展してゆく数学の歴史を通して、数学者は「無限」と対面することになる。

 もともとエジプトやインドのような農業国家において求められていた数はせいぜい分数までだったが、テクノロジーの発達に伴う生産様式の変化は、無限計数や無限序数などのように、自然存在としての人間のサイズをはるかに超えてしまうような怪物じみた数を要求するまでにいたる(原子力技術はその最たる例であろう)。数の性質の変化は社会様式の変化でもある。

 家族における親子関係や夫婦関係のようなつつましくも充足した共同体の和は、膨張する数量によって打ち壊され、一人ひとりの各個人としてあった人間のあり方は、巨大なひとつの塊りとして認識されるようになる。

 あらゆる具体的な集合がもっているはずの要素間の相互関係、いわば要素の社会性をすべて破壊しつくして、集合を要素間に何の連絡も交渉もない群衆に変えてしまった。この徹底的な破壊のあとになお残っていたのが計数であった。集合という一つの社会にもっとも徹底的な革命、個人主義的な革命がやってきて、いっさいの社会性を打ちこわしたが、この革命は個人(すなわち要素)の生命だけは保証する「無血革命」だったので、人口(計数)だけはもとのままであった。

『無限と連続』

 「質」としてあったはずの人間が共同体から切り離され、その社会性を破壊され、「量」としてのみで存在しているような光景。カントールが考案した集合論を、遠山啓は19世紀の社会状況と対応させて描いている。上記の引用部で描かれた光景は、ハンナ・アーレントが『全体主義の起原』で描いた光景とほぼ等しい。アーレントがファシズムの発生の条件として見出したものは、19世紀において「階級」や「国民国家」が崩壊し「群衆」としてのみ存在している人間たちの姿であった(SF作家のフィリップ・K・ディックが感受していたのもこのような世界であった)。

 朝日新聞のエマニュエル・トッドのインタビュー記事によると、トッドは「無限」への欲望を追求し続ける資本主義によって解体されつつある「国民国家」に人々は回帰しつつあり、それがイギリスのEU離脱の背景にあることを指摘している。遠山啓は、膨張する数学に警鐘を鳴らして「自然へ帰れ」と「整数」のみを扱うことを主張した、カントールの同時代人であったクロネッカーについて『無限と連続』の中で触れている。遠山啓は30年以上も前に鬼籍に入っているが、彼の教養人としての感受性はトッドと通じるものがある。

 遠山が数学を通して見た光景は、存外、深い射程を持っている。一例をあげれば、蓮實重彦の『物語批判序説』がそうであるし、松浦寿輝の『平面論』もそうである。東浩紀や福嶋亮大の論考とも共有し合うものがある。さらにつけ加えるならば、野口武彦の『花の忠臣蔵』の傍らに遠山の数学啓蒙本があってもおかしくはない。18世紀という(近代数学の)時代そのものに赤穂浪士たちが担っていた武士の価値観はとどめを刺されたと言えるからだ。赤穂浪士は武士道の最後の輝きというものであった(死んだはずの「サムライ」が、幕末に新選組としてゾンビのように蘇ったが、新選組は一種の奇跡のようなものであった)。

 遠山啓の書物は、「オタク的小部屋に閉じこもってばかりいてはいけない。世界に感受性を広げて全体を把握することが公共性を担う大人の務めだよ」と語りかけてくれているようだ。そのような古き良き教養人の佇まいがとても懐かしい。

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