石和義之

文芸評論とSF評論を中心に書いています。主な著書としては『3・11の未来 日本・SF・…

石和義之

文芸評論とSF評論を中心に書いています。主な著書としては『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)、『しずおかSF 異次元への扉』(財団法人静岡県文化財団)、『北の想像力』(寿郎社)、『海外SFハンドブック』(2015年)、『ハヤカワ文庫SF総解説2000』など。

最近の記事

男根を脱構築する――80年代の絓秀実

1980年代と1920年代 たまたま1980年代に出た絓秀実の『探偵のクリティック』を目にしたのだった。懐かしくなってぱらぱらと読み返してみると、当時の文化状況のことが思い出されてきた。まずは都市論があり、それと連動して1920年代論があった。さらにはフェミニズムやオリエンタリズム論が人文学分野を活気づけていた(エドワード・サイードの『オリエンタリズム』の邦訳が出るのが1986年のことで、「オリエンタリズム論」は90年代には「ポスト・コロニアリズム」という呼び名で批評界の一角

    • 曖昧な妥協を拒む批評・柄谷行人

      差異を擁護する 批評家の柄谷行人は、『群像』新人文学賞を受賞した際、「受賞の言葉」の中で次のような言葉を残している。  この言葉に、柄谷の生のスタイルが集約されている。「自然過程」のような我が身を規定し拘束する外的な力の構造をとことん見極め、「意識」のような固有名としてある実存が感受する異和の感覚を唯一の武器に「いま・ここ」の自明性を転倒させる。柄谷が批評家としての長いキャリアの中で、反復してきたのはそのような行為である。自然過程の終着点としてある現在をすべてよし、とする日

      • 土曜の夜と日曜の朝(マイノリティとしてのインテリ)

        アゲアゲ感覚 第二次世界大戦後、植民地の独立やスエズ動乱に直面し、19世紀に築き上げた輝ける帝国の崩壊期に突入した1950年代のイギリスに、「怒れる若者たち」と呼ばれる新世代の作家たちが登場した。その中のひとりアラン・シリトーは、1958年、デビュー作『土曜の夜と日曜の朝』を発表する。その作品は、のっけから、アゲアゲ全開である。  冒頭の第一段落だが、シリトーの書く言葉は、週末の昂揚した酒場の空気に染め上げられ、迫りくる小波乱への期待の高まりに同調しつつ、期待通り、主人公ア

        • お文学する司馬遼太郎

          「文明と文化」というキーワード 司馬遼太郎の作品は、「文明と文化」というテーマを巡って旋回しているかに見える。それが司馬の唯一のテーマだとさえ言えるが、司馬の書物のいたるところで、キーワードとして登場しクローズアップされるこの主題について、『アメリカ素描』では次のように語られている。  『アメリカ素描』は1985年に、「読売新聞」紙上で連載されたが、当時すでにアメリカは「文明」のポジションを獲得していたといってよく、その背景には、共通語としての英語、基軸通貨としてのドルの力

        男根を脱構築する――80年代の絓秀実

          時代劇専門チャンネルの演技者・清岡卓行

          青空の青い色は切断の色 詩を始めとした清岡卓行の作品を特徴づけるのは、まず何よりも、「遠さ」に対する類まれなる感性である。「遠さ」の誘惑に、清岡は、溢れんばかりの欲情とともに反応する。視線は遠方へと向けられ、彼の肉体自身もその自然性に抗うかのように、夢の不可能性へと傾斜する。当然、そうしたふるまいは、自己懲罰を伴うのであり、彼は「いま・ここ」から疎外された自分を自覚し、そのような美学への誇り高き殉教者たらんとする。清岡卓行という誇り高き殉教者が反世俗的なドラマを演じる舞台は、

          時代劇専門チャンネルの演技者・清岡卓行

          氷原からの言葉・石原吉郎

          天使・認識者・単独者 『石原吉郎セレクション』を編んだ柴崎聡は、「石原のエッセイの特徴は、多用される漢字語の硬質性にある」(『石原吉郎セレクション』解説)と言っている。そしてまた、柴崎は「エッセイの水源には、確かにシベリヤの強制収容所体験があるが、それ以前にキリスト教と聖書がある」(同上)とも言う。石原吉郎の書いたものを少しでも読んだことのある人間には至極当たり前のことであろうが、なぜこんな当たり前のことを改めて言及したかというと、昭和30年代から50年代にかけて書かれた石原

          氷原からの言葉・石原吉郎

          司馬遼太郎の戦中派メンタリティ

          1950年代のメンタリティ 1960年代後半、まだ幼稚園に通っていたころ、テレビをつけると、当時はやたらと子供向けの忍者ものが流行っていた。『忍者ハットリくん』、『少年忍者風のフジ丸』、『仮面の忍者赤影』、『サスケ』、『忍風カムイ外伝』など。私にとって、それらの作品に登場する忍者たちは、今の子供たちにとってのハリー・ポッターのような存在ではなかったか。非日常的な異能の持ち主たち。幼児の自己拡大願望を充足させるヒーローたち。幼児の感覚に則って切り取られたそれらのヒーローたちには

          司馬遼太郎の戦中派メンタリティ

          司馬遼太郎のアナログ的知性

          幼児の目で歴史を見る 司馬遼太郎は何を読んでも面白く、はずれのない高打率を誇っているように個人的には思えるが、最近はそれにつけ加えて懐かしさを頻繁に覚えるようになった。それは「知」の形態への懐かしさであり、もう少し具体的に言うと、世界との接し方における肉体の初々しさというか、世界を赤ん坊や幼児のような目でとらえた頃に味わったと思われるあの感触、要するに新鮮な驚きとともに世界が開示される瑞々しい体験が喚起される懐かしさである。手垢にまみれた概念におおわれて弾力性を失った皮膚が、

          司馬遼太郎のアナログ的知性

          浩紀と行人

          フリッパント・ヒロキ 90年代にジャック・デリダ論(『存在論的、郵便的』)を引っさげて登場した東浩紀は1971年生まれである。世代とか時代というものは、想像以上に、人間に作用するものなのかもしれない。1962年生まれの私は、かろうじて知の階層のようなもの、言い換えれば、教養というものの重みを体験することが出来た。けれども東の世代の眼の前に広がっていたのは、すべてがフラット化したのっぺりした空間であった。そこでは教養はすでに過去の遺物であっただろう。私のような人間は「キャラ」と

          浩紀と行人

          荒地派、大岡信、荒川洋治(頭でっかちから体でっかちへ)

          日本という体への嫌悪=戦略としての頭でっかち 日本近代詩の戦時体制に対する敗北を、粟津則雄は、「四季派」の三好達治に顕著に見られる「自然の秩序と、それに対応する人間生活のかたちとについての一種の従順さ」に起因するのだと述べている。  三好達治は自然としてのファシズムに負けたとされる。だがこれは別に特異なことではない。自然環境としての体制から逃れられる人間などほとんどいないからだ。いかめしい軍服を着た厳父のようなファシズムはわかりやすくてその恐ろしさはたかが知れている。真に恐

          荒地派、大岡信、荒川洋治(頭でっかちから体でっかちへ)

          現代詩とコロス

          体でっかち=指示表出の時代 今では顧みられることの少なくなってしまった吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』であるが、今でも素晴らしいアイディアだと確信しているのは、有名な「自己表出」と「指示表出」という言語の機能における区分である。ざっくり言えば、「自己表出」は文学的表現の言語であり、「指示表出」はコミュニケーションの言語である。吉本はこのような区分のアイディアをマルクスの言語観から受け継いだ。  マルクスおよび吉本の言語観が魅惑的なのは、彼らの言語観が人間の存在的ありよ

          現代詩とコロス

          「一者」と「求道者」の短歌・佐佐木幸綱

          筋肉と意志の短歌 「現代歌人文庫」の第23巻『佐佐木幸綱歌集』を読んだのは1985年のことである。当時は札幌のホテルで働いていた。ホテルというと、一般的なイメージとしては、エレガントで紳士然とした落ち着きを思い浮かべる人が多いだろう。まあ確かにフロントなどはそのイメージが当てはまるし、ホテル全体の従業員にも、そのようなイメージが求められ、少なくともそうしたフリはしなければならないのであるが、私が所属していた部署は、「ホテル内の土方」と呼ばれる宴会部であった。仕事は完全な肉体労

          「一者」と「求道者」の短歌・佐佐木幸綱

          60年代は遠くになりにけり・村田沙耶香の『コンビニ人間』

           村田沙耶香の『コンビニ人間』を読んで、「ああ、60年代は遠くになりにけり」と思わずにはいられなかった。われわれの生活を規定する構造および空間が、根本的な変容を蒙っていることを再確認したのである。  平成文化人なら「スーパーフラット」と呼ぶ現象を、昭和の文化人上野昂志は、それを「奥行きのなさ」「闇の消滅」と、60年代文化論『肉体の時代』の中で名指した。上野の著書は、1980年から1985年かけて書かれたが、その末尾において上野は、「六〇年代が、さまざまな制度から肉体が意識的

          60年代は遠くになりにけり・村田沙耶香の『コンビニ人間』

          バズる深夜放送・林美雄

          1970年代前半の肉体 著名なノンフィクション・ライターの柳澤健が、2013~2014年にかけて月刊誌「小説すばる」誌上で連載し、2016年に単行本として刊行した『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』は、めっぽう面白く、かつ、めっぽう熱い書物である。この面白さと熱さは、この作品の主要な舞台である1970年代前半の時代に特有なものであろう。おそらくそうは言われることはまずなかろうが、私は、ちばあきおの名作マンガ『キャプテン』と『プレイボール』を読

          バズる深夜放送・林美雄

          「いま・ここ」での欠如を拒む・鈴木漠

          1977年の状況に抗して 鈴木漠は、1977年に、『風景論』と『火』の2冊の詩集を刊行している。これらの詩集は、原田勇男の「炎の樹」と同じく、1977年という時代状況と大きくすれ違いを演じるものだった。  戦後のサブカルチャーを詳細に解読した『サブカルチャー神話解体』(宮台真司・石原英樹・大塚明子)は、「戦後サブカルチャーの意味論的な画期」を1955年、64年、73年、77年、83年、88年、92年に設定している。そこでは、73~76年には存在した60年代的アングラ・サブカ

          「いま・ここ」での欠如を拒む・鈴木漠

          反時代的な欲望する主体・原田勇男

          1977年の実存主義 詩人の原田勇男は、衒うことも恥じることもなく、2006年に次のような言葉を率直に語っている。「私にとって詩は魂の歌だという思いは「炎の樹」の連作を始めたころから変わっていない」(「連作「炎の樹」をめぐる覚書」)。「魂の歌」。不意打ちするようなビートである。ドスが利いている。連作「炎の樹」が開始されたのは1977年のことである。原田と同年生まれの(1937年)の作詞家阿久悠ですら、このころはピンクレディーのヒット曲を手がけ、実存知らずのポストモダン路線をひ

          反時代的な欲望する主体・原田勇男