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現代詩とコロス

体でっかち=指示表出の時代

 今では顧みられることの少なくなってしまった吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』であるが、今でも素晴らしいアイディアだと確信しているのは、有名な「自己表出」と「指示表出」という言語の機能における区分である。ざっくり言えば、「自己表出」は文学的表現の言語であり、「指示表出」はコミュニケーションの言語である。吉本はこのような区分のアイディアをマルクスの言語観から受け継いだ。

 言語とは他人にとつても私自身にとつても存在するところの実践的な現実的な意識であり、また、意識と同じく、他人との交通の欲望及び必要から発生したものである。

『ドイツ・イデオロギー』

 マルクスおよび吉本の言語観が魅惑的なのは、彼らの言語観が人間の存在的ありようにそのまま重なるからである。三浦雅士は吉本の言語理論を次のように解釈した。

 自己表出とは自己に対する意識の強さであり、指示表出とは外界に対する意識の広さである。文学体は基本的に自己意識の強さにかかわり、話体は基本的に外界への関心の広さにかかわる。(略)自己表出がより多く人間の時間意識にかかわり、指示表出がより多く人間の空間意識にかかわることはいうまでもない

『主体の変容』

 自己表出が時間性(幻想性)と関連し、指示表出が空間性(現実性)と関連するということは、言いかえるなら、「自己表出=文学体」は人間の精神に関わり、「指示表出=話体」は人間の肉体に関わるということを意味する。三浦雅士の「主体の変容」が書かれたのは1982年のことだが、この時期に変容を蒙ったのは「主体」だけではない。社会の総意が変容を蒙ったのである。社会にとっての精神を、「法や理念や芸術」のような超越的幻想領域とみなすならば、社会にとっての肉体は、「経済=市場」であるとみなせよう。三浦は1982年において現代文学は「話体=指示表出」によって書かれると結論したが、社会そのものも「自己表出=精神=イデオロギー」から「指示表出=肉体=経済」へと傾斜したのである。今現在も「経済優先」が社会の総意である。今は「体でっかち」の時代なのである。今では「頭でっかち」という言葉は死語となった(ついでに付言するなら、SNS全盛の時代において「烏合の衆」という言葉が死語となった。なお「体でっかち」という言葉は野田秀樹が80年代に出した本に由来する。ただし、野田の場合、その用法は本稿とは違って、「スポーツマンはバカだ」とする80年代のノリで書かれたものである。相撲取りの脳みそがいかに筋肉化しているかを図式化したり、水球は地味すぎるのでチームに1匹のアシカを投入できるようルール改正して盛り上げろとか、まあそれなりに笑えるが、本稿とはまるで逆の方向を向いている)。

 80年代と言えば、コピーライターは花形職業であり、話体=指示表出の時代の寵児であった。逆に文学体=自己表出的な現代詩は地盤沈下甚だしく、ストレスフルな状況を強いられていた。例えば松浦寿輝は1983年に次のような苛立ちを表明した。

 現代詩は「難解」だとかつて人々は言った。今日、彼らは何と言うか。「わかンない」と言うのである。(略)とりわけ、「わかンない」の真中に可愛らしくうずくまっている「ン」の<竹下通り>的なノリは、60年代的「難解さ」に対する「大衆」――などというものが観念的な批評家の頭の中以外に存在するとしての話だが――の不満には決して見いだされえないものだったと言わねばなるまい。だからこそ、「わからない」ではなく飽くまで「わかンない」でなければならないのであり、この鼻声で発される可愛ぶった「ン」の絶望的な響きのうちに、一九八〇年代の日本の詩が耐えねばならぬ固有の不幸が集約されているのである。

「わからなさについて」

 「難解」は精神に属する言葉だが、「わかンない」は肉体に属する言葉と言えよう。「体でっかち」の時代は不滅です!「体でっかち」の時代が一時停止するのは大震災後のような一瞬の時間帯である。

80年代のコロス

 松浦寿輝とほぼ同時期に似たような状況を前にしていた詩人がいた。瀬尾育生である。三浦雅士が空間意識と結びつけた指示表出のことを、瀬尾は「コロス」と呼ぶ。コーラスの語源でもあるコロスとは、ギリシア劇においてドラマが演じられる舞台を支える表現の基盤というものであり、世界を包摂する文化環境のようなものだ。瀬尾はコロスとしての「文化環境=指示表出」と無縁のまま詩の言葉は成り立たないと考える。「私的な会話は、それが交わされる場面にしたがって次々に意味を変える。同様に、不特定の人々に向けられる「公的」な言説のばあいにも、そのための場面をかたちづくる時代の基底音というものが存在するのだ。ひとつの言葉がそもそも言葉としてなりたつためにだけでも、その基底音をなしている背後の声に拮抗するための戦略がいる」(「背後の笑い」1986年)。ここで言われている「場面をかたちづくる時代の基底音」は、吉本=三浦の言う「指示表出」にほぼ重なる。吉本は文学の言葉を自己表出と指示表出の織物ととらえたが、瀬尾もまた詩の表現は「場面をかたちづくる時代の基底音」としてのコロスとの関係をはずれては同時代に存在することはできないと考える。今ふうに言うならば、それは「空気」と呼ばれるものだろうが、80年代半ばの空気(コロス)は、論理的な対話を無効とするような「なしくずし」とでも言うような摩訶不思議なものとして瀬尾には感受された。

 古典劇のコロスのように、個々の言説をその上にのせるための舞台を形づくる声があり、それに拮抗できないかぎり言葉は舞台にのることができない。その倫理的、論理的な意味が問われるのはそのあとのことなのだ。まして現在のコロスが、心の底からの笑いというよりも、自堕落な嘲笑といった方がよい、あの背後の笑い声をもってあらゆる言葉を出迎えている以上は。劇的な精神ならば、もはやそこで演じられるものが劇の崩壊以外の何ものでもないことを知っているだろう。

「背後の笑い」

 今になっては、ここで言われている「劇の崩壊」とは、意味や物語を担う人文学的な「知」の失墜のことであり、「背後の笑い声」とは加速する資本の無意味としてのパワーであると同時にそれをシニカルに肯定するポストモダンな知であることがわかる。そのような現象を瀬尾は、眉を顰めつつ肯定していたようだ(あるいは瀬尾は、彼の敬愛する鮎川信夫が「必敗者」の中で述べた「くちずさむ一篇の詩」が同時代に存在しないことへの嘆きを意識していたかもしれない)。吉本隆明のように。1986年はソ連崩壊の前であり、湾岸戦争の前であり、地下鉄サリン事件の前であり、9・11同時多発テロの前であり、東日本大震災の前であり、福島原発事故の前であり、戦前への回帰の前であった。体でっかちであり過ぎた私たちの社会にはそのツケがまわってきているようだ。86年ごろのコロスがいかなるものであったかを具体的に例として挙げよう。柄谷行人は、ある対談で、次のように述べたことがあった。

 以前に、中曽根が黒人のIQが低いという発言をして問題になったときに、テレビで景山民夫という男が、中曽根さんはほんとうのことを正直に言っただけだと言って、それが受けていました。ぼくはものすごく腹が立った。

『終わりなき世界』

 ドナルド・トランプも真っ青な景山の発言だが、こういう本音主義が80年代のコロスであり、トレンドであった。この手の本音主義が体でっかちの弊害であることは言うまでもない。

 ところで言葉が運動を演じる舞台(コロス)に対して言葉はどう対応するのか。瀬尾はそれに対してはふたつの方法があるという。ひとつは「詩というもの」の実体を信じ、「詩というもの」を構成する言葉の法をねつ造し、それにのりあげることで、ともかくも詩を成り立たせることである。そして「背後の笑いの中で詩をなりたたせるもうひとつの方法は、詩がそれ自身の法を自分から消去してその笑いに同化することだ」(「非人称変化」)。後者の方法を選択した詩人に渡辺玄英がいる。

渡辺玄英・三角みづ記・林美脉子

 私とほぼ同世代の渡辺玄英(1960年生まれ)の言葉には「なんだかわかるなあ」と感じられるものが多い。言葉がシニカルな笑いにどうしても染まってしまうのだ。そして人前ではシニシズムを演じながらも、人目を忍んでシニシズムの重みからの束の間の解放を希求する。渡辺の言葉はイタイケだ。

まっしろになって
よるのゲームセンターに行く
だれもしらないところで
花びらを数えながら
ちいさな画面にてをそえて
こうして わたしらは
ひとりにもどって
いくの ひとにもどっていく の
おとは遠くで
星の音に かわっていく
と 大気をうすくして 空に
わたしらの いどころが
いろづいていく


の かな
ささやきが
わたしら を
紅葉や 紫水仙 山茶花色に
いろどって
かわる     

「星のささやき」

きのうから
あしたから
わたしは こわれはじめている
こわれている わたしを
水たまりのなかの 人形のように
見ている
もうひとりのわたし
(略)
あそこで溺れているのは
にせのわたしね
だんまりの画面に讃美歌と台風情報がながれて
礼拝堂にあふれる子羊の記憶
学校から「どこか」への帰りみち
見あげたビルのガラスにかいじゅう雲ながれて
そりゃあ ボクだって
けして ふかまらないからね
いくらでもコピーできるわたしたち
きょうも コンビニに寄って
元気にコピーして帰るもん     

「コンビニ少女」

 「ゲームセンター」。「コンビニ」。それらが渡辺にとっての詩の場所だ。「学校」のような場所は、指示表出が充満していて、「わたし」はこわれてしまうし、「にせのわたし」を演じ続けなければならない(それが「キャラ」時代というものだ)。ゲームセンターやコンビニで、束の間、イタイケ少女は自己表出を回復できる。「ひとりにもどって/いくの ひとにもどっていく の」。だが改行や字空きによって、統覚されなければならない自己は解体に曝されていることが暗示される。人をくつろがせるはずの「仄かな囁き」も無残に分断されて表記される。自己表出の回復のために自分をふかめることも禁じられている。それは「イタイ人間」だとレッテルをはられてしまうふるまいだから。あくまでもコピー人間でいようと時代の掟に忠実であろうとする。渡辺自身は、自己解説で、この作品(「コンビニ少女」)を「現在を受け入れた上での、絶望と希望を同時に表現したかった」(「反復とコピーの果てに」)と言っている。

 三角みづ紀(1981年生まれ)の描く少女は、渡辺玄英の描く少女ほど器用さに恵まれていない。逃げ場所に隠れるという才気に恵まれない三角の少女は、世界の残酷な嘲笑に、全身を傷だらけにされている。

私を底辺として。
幾人ものおんなが通過していく
たまに立ち止まることもある
輪郭が歪んでいく、
私は腐敗していく。
きれいな空だ
見たこともない青空だ
涙は蒸発し、
雲に成り、我々を溶かす酸性雨と成る
はじまりから終わりまで
首尾一貫している    

「私を底辺として。」

昼休みに
給食をぜんぶたべたら
好きなことして
いいから
わたしは
石を積もう
きょうの
給食の牛乳には
ケシゴムが入っていて
わたしの
花壇は
荒らされていて
窓の外では
誰かの笑い声
教室では
誰も見ない
誰も聞かない
わたし
しんでしまった
カーテンの
裏側には

がすんでいて
わたしの
積む石を
壊してしまう
(せんせいあのこの
となりにすわるの
 はいやですばいき
 んがうつるんです)
てのひら
しろい
(略)
昼休みに
給食をぜんぶたべたら
好きなことして
いいから
わたしは
石を積もう
ぜんぶ積みあげたら
こっそり抜け出て
新しく産まれたら
わたしは
わたしを
かわいがってやる
給食の牛乳には
ケシゴムが入っていて
わたしの花壇は
荒らされていて
低くうなる
目の高さで舞う
鬼が
笑った      

「低空」

 三角の詩で特徴的なのは、改行の多さである。「昼休みに給食をぜんぶたべたら好きなことしていいからわたしは石を積もう」と1行で書けるところを6行に分けてわざわざ書く。ここから感じられるのは、渡辺玄英の作品と同様、安定した自己を保証する時間の連続性が断たれていることだ。三角が描くところの「わたし」にはひびが入っている。そして渡辺の少女には許されていた回復するための居場所がない。「私には/帰るべき場所がないのであって」(「ソナタ」)。唯一の居場所である「花壇」も悪意を持つ何者かによって荒らされてしまっている。「せんせいあのこの/となりにすわるの/はいやですばいき/んがうつるんです」という指示表出に(コロス)対して「新しく産まれたら/わたしは/わたしを/かわいがってやる」という自己表出で対抗している。三角の少女は限りなく不幸で孤独だが、その口から発せられる調べは獰猛な小動物のようにドスが利いている。

 次に登場するのは、北海道の詩人林美脉子である。1942年生まれの林の作品は、堂々たる自己表出を自分のものにしているようだ。渡辺や三角が曝されていた「背後の笑い」に染まることなく、「詩というもの」を構成する言葉の法を信じ切っている。「キャラだ」「ノリだ」「空気を読め」という平成日本のコロスから限りなく遠く離れて、言葉を築き上げている。じっさい、林は、詩の言葉をのせる舞台として、インドや宇宙を仮構することで、指示表出の重力を免れている。

天涯の神にもの申す 盗掘者を狩れと 古墳群は天の楽器 
累々と銀河の水域を集めて落陽を奏でている 壮大な幻の湖に
は 耀く飛星 反夢の風鐸が鳴り 平原を駆けぬける蒼馬の長
いたてがみが燃える 往くことや来ること 還ることや至るこ
とを 考える必要はもう どこにもないのだ ただ 朔の日の
マリネリス峡谷がこんなにもあかるい 

「砂の解」

こうこうこう 魂を呼ぶ儀式の声がする その極みで速度を
緩めると 軸として沈殿する私的な風景から 別の次元に出
た 異形の相貌を持つ堕天使が 複数の眼を連ねて天空を睨
み 身體の腑分けをしている いつのまにか時空は反転して 
生存の領域は既に埒外へと流失し あらゆる輪郭は溶解してし
まった ここはもう 住み慣れた生命の現場ではなく 変貌し
逃亡する幽暗の深潭だ 

「深潭のぐ音」

渇きつづけるゆめの地殻に、うたの、緯度と経度を結
びむすんで、垂直にたれるわたしの論理。いま、記憶の
むこう、ひっそりと、うつくしいサラオの花が揺れてい
る。わたしの切り離し縫い止められて至りきたった、緋
の、宇宙項、で。

「宇宙項・そのⅡ」

 神話的、SF的とも評される林の詩は、80年代以降日本を覆ったシニシズムをものともせずに、現代詩が断念した「うた」や「音楽」を奏でる。これはほとんど異常事態と呼べそうである。なぜこんなことができるのか。じつは林は80年代に日本を離れてインドの風景に身を置いている。林はインドやエジプトや砂漠といった異国の土地をコロスとして、自分の言葉を汲みあげたのである。

 その経緯は、1989年11月から12月にわたって計6回の連載として書かれた「砂に呼ばれて」というエッセイに、詳しく書かれている。幼年期から感受された石や砂への志向は父の死をきっかけに1980年末からのインド旅行へと林を赴かせた。その旅は想像以上に林を揺さぶったようだ。「インドの、人牛車輪驚倒箱ぶちかましたような想像を絶する混沌の世界は、日本の管理社会に慣らされたわたしの精神構造を、根底から覆した」「日本での、全てが管理化された世界は息苦しく、すべからく単一でヒトと同じことをしていないと個の存在証明がなされていかない均一社会で、「わたし」という固有の個は窒息しそうになっていた」。瀬尾育生が重要視する「場面をかたちづくる時代の基底音」を、林は80年代の日本ではなく、インドで聞き取ったことによって、異語としての音楽を発見したのである。

 「場面をかたちづくる時代の基底音」とは、精神科医のジャック・ラカンなら「大文字の他者」、社会学者の大澤真幸なら「第三者の審級」と呼ぶところのものだろうが、社会が変わるということは社会の頭と体が新たな次元で目覚めることなのである。

 さてコーラスについて書いてきたので、コーラスが印象的な曲を。まずは子供向け番組『ジャイアント・ロボ』のオープニング・テーマ。イントロからマイスター・ジンガーのドラマティックなコーラスがじつにエグい。

 次いで、オフコースの「愛の唄」。歌詞の内容は、ふつうのラブソングなのだが、曲全体の雰囲気は、まるで教会の座席に座っているかのようなのである。思わず引きまれてしまう力があるが、コーラスの美しさがそれに一役買っている。

 ラストはNHK大河ドラマの『勝海舟』のオープニング・テーマ。コーラスは後半部で登場。冨田勲が作曲。1974年のドラマであるが、この年はなぜか勝海舟が身近にあった。当時私は小学校6年生だったが、クラスメートの一人の父親が新劇の俳優で、『勝海舟』にチョイ役で出演していた。またもう一人のクラスメートの曾祖父が咸臨丸の乗り組員で、彼の家に遊びに行くと、咸臨丸の模型がガラスケースの中に飾られていた。


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