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こうして私は80日間【犬のインド】を撮った ②

Photo&text=Akira Hori All rights reserved

インドで私はぼんやりと犬を撮っていた。

前回の話を一行でまとめなさいと言われたら、そう書くことになるだろう 。

ぼんやりと犬の写真を?  読者の皆さんは、「堀らしくないぞ」と違和感を抱かれるかもしれない。なにしろこのnoteの書き手は「2本足の犬」を自称しているくらいなのだから(笑)


5度目の撮影旅行は6カ月間に及んだ

最初に言っておこう。
今回の旅はこれまでとは大きく様変わりした、と。

まずタイの熱帯雨林でトラの気配を追いかけ、バンコクからコルカタへ飛んだ。
アッサム州のサイの保護区を皮切りに、トラ保護区をいくつか巡った。

カシミールやダージリンなどを除き、インド亜大陸をほぼ1周した
動物保護区を回りながら、合間に犬を撮るというスタイルを貫いて旅を続けた。
(猫も撮影したが、インドでは限られた地域でしか猫を目にすることがない。)

ケーララの犬

この旅の中では犬の生活ぶりをじっくり観察することもできた。
南西部のケーララ州は特に印象的な土地だった。

アラビア海から風が吹き抜ける海岸。
 その海岸沿いには、 生い茂るココ椰子の風景が 広がっている。
高原や滝。野生動物保護区がある。

ケーララ州の”ケーララ”とは 「椰子の国」という意味だ
この州は漁業が盛んだ。小舟を使う漁もよく見かけた。 近頃は小舟も様変わりしているようだ。
市場統合による小舟製造業の競争で、腕利きの船大工に需要シフトが起き小舟の質が向上しているという

水郷地帯、バックウォーターの中継地点として多くの観光客も立ち寄るクイロンでは、 野良犬が走り回っていた3〜5頭で群れをつくる犬たちもいた
カメラを向けるとそのうちの1頭が興味を示したようだったが、その表情は少し固い。 私を警戒しているのかもしれない。

クイロンで。 犬たちは痩せていた

チャイニーズフィッシングネットという 面白い漁法がある
これは ケーララ州のコーチン近郊にだけ見られるもので、その昔中国から伝わったとされている(ポルトガルから伝来したという説もある)。

重石をつけた丸太を数本使って組み上げ、先には大きな網を張るという大仕掛けを用いて、海中に網を落とす。魚群が通りがかるタイミングを見計らって丸太を持ち上げる。すると魚が 一網打尽になるという、いたって原始的な漁法だ。

コーチンの海岸で 。チャイニーズフィッシングネットの前に現れるのを狙って撮影した

この海岸には、岩場に子犬を隠しながら時々浜辺に出てくる犬がいた
この母犬は育児の最中だ

岩穴の中を覗いてみた。出入り口はすこぶる狭い。しかし奥の方には子犬がくつろげるだけのスペースがある。この巣穴は、子犬の安全を確保するための母犬のアイディアの賜物とも言うべきものだ。探し当てるのは楽ではなかったことだろう。

母子は日中、 砂浜とボートの隙間をシェルターのように利用して休息をとっていた
愛くるしい子犬が「 こんにちは」 と挨拶してくれた
母犬が子犬の目の前で自ら仰向けに寝転がり前足を畳んで、”服従のポーズ”を教えていた


私はさらに南下して、州都トリヴァンドラムを経て、コバラムビーチに出た。

コバラムビーチの海岸にて。 1枚の絵はがきのように犬がたたずんでいた

この辺りは暑すぎず寒すぎず温暖で過ごしやすい。つい長逗留になった。

解説の必要ない画像(笑)

ビーチに出るといつも犬をチェックしていた

この海岸には首輪をしている犬もいる

飼い犬を散歩に連れ出している欧米人を見かけた。話しかけてみるとドイツから移住しているという。 その婦人はスパニエル系の犬を連れていた。ストリートドッグと自由に遊ばせるんだと頬を綻ばせていた。

楽しそうだ。しっかりカメラ目線だ
遊んでいる犬を眺めている犬がいる。積極的に関与しない第三者の立場を取ろうとする人と同じだ


ケーララ州では、イギリス人たちで構成するアニマルレスキューが活動していた
目的はストリードッグの医療だという。不妊手術を施したり、感染症の予防接種を行なっているのだ

犬たちの多くが交通事故など路上でのアクシデントに見舞われる。重態になったり、歩行障害が出たりするが、治療を受けることなく死ぬまで苦しむ。
私はこんな話をメンバーの1人のTaffから聞かされた。

パッと見では、自由気ままに暮らしているかのような野良犬たちだが、 現実は厳しいのだ。命にかかわるリスクと常に隣り合わせだ。

この話は『ここまでわかった犬たちの内なる世界』の「野良犬も人間の意図を見抜く?」でも書いた。

デカン高原の犬


トラの生息地を巡る旅をしているおかげで、 観光地をめぐっているだけでは、決して垣間見ることのできない辺境地の人々の暮らしにふれることもできた
そうした辺境地にも犬が生活している

ここの犬たちは、別の意味でのリスクと隣り合わせだ。

デカン高原のトラ保護区に隣接した村で。 リラックスした様子で犬が人に寄り添っているた。
数キロ先のジャングルにはトラやヒョウが潜んでいる。ヒョウは時々犬を襲うことがあるという

出稼ぎ季節労働者になった動物カメラマン


私はこの旅では、かなり目的意識的に犬を撮影するようになっている

なぜ、私の犬の撮り方が変わったのだろうか?
この疑問に答えるためにはタイムラインを2年ほど遡らなければならない。

✳︎

会社勤めを辞めマンションを引き払った私は、乾季のインドへ飛んだ。
5月というこの国で最も暑い時季に撮影を敢行したのだ。

私はラッキーだった。

トラが天然池の中で”泳ぐ”というシーンをカメラに収めることができたのだ。
国際的にも珍しいスクープ映像だ。
動物写真家としてやっていく自信のようなものがにわかに湧いてきて、私は有頂天になった。
実際、 後になって『週刊文春』のグラビアに掲載されたその画像を見た現地のナチュラリストは「こんな写真は見たことがない」と褒めてくれた。

有頂天になれたのはここまで。

日本に戻ると、自分の身に何が起きたのか痛いほど知らされることになる。
すぐに経済の問題が発生した。 ヒトは衣食住がないと基本的に生きていけない。
やる気だけではどうしようもないのだ。

私は中部山岳地帯に出稼ぎに行くことにした。

 手初めに農作業の手伝いをやった。高原野菜の出荷だ。これは半端なくきつかった。 あの白菜の束の重さは忘れられない。白菜という代物にはすこぶる水分が多く見かけよりはるかに重量があるということをこのとき初めて知った 。

後から聞いた話だが、私が身を寄せた農家はこの辺りでいちばん人使いが荒いと噂されているところだった(笑)  過去に何人も逃げ出す季節労働者がいたという。

さらに私は、リゾートホテルで皿洗いと接客をやった。
おかげで素早く大量の皿を洗いさばけるという普通の人にないスキルが身に付いた(笑)

うまくいけば、 食いつなぐだけでなく、次のインド行きの資金を蓄えることだってできるだろう。 そう考えて、住み込みでのキツい仕事を自ら選んだのだった。
まさか齢40にして白菜の束を担ぐことになるとは思わなかったが。

旅館の下足番をやりながら、文学賞を取った作家がいるが、文学賞はムリだとしても「忍耐」では、私も引けを取らない。 

ここで思わぬ収穫があった。

<続く> 続編の③ では、本人も予期できなかった動物カメラマンの活動とインド周遊の顛末を綴ります。

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