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3人に1人が移住者の島・男木島で、サステナブルに島の未来を作る

 多島美で知られる瀬戸内海に、人口わずか151人ながら3人に1人が移住者という珍しい島がある。それが香川県の高松港からフェリーで40分の場所に浮かぶ男木おぎ島だ。2014年以降、延べ80人以上が移住し、約50人が定住。その半数を子育て世代が占めている。

なぜ、そんな小さな島に若い世代の移住者が増えているのか。そのきっかけを作っているのが、有限会社ケノヒとして島のために活動をする福井さん夫妻である。夫の大和さんは男木島出身。妻の順子さんと娘さんとともに2014年3月にUターン。島の課題に向き合い未来を作り続けている。


左から福井大和さん、額賀(福井)順子さん。背景に写るのは瀬戸内国際芸術祭のアート作品

 

島の未来を救いたかった

 大学進学をきっかけに大阪に移り住んでいた大和さんが、再び男木島に関わるようになったのは2013年のこと。2010年から始まった瀬戸内海のアートの祭典、瀬戸内国際芸術祭の盛り上がりを受け、島のコミュニティ協議会から「WEBサイトを制作してもっと島の広報活動に力を入れたい」と、当時大阪でWEB制作会社を経営していた大和さんに声がかかった。まずは2013年の芸術祭夏会期に合わせて、夏休みだった娘さんと1ヶ月ほど島に長期滞在して、島の広報を担当。「その時は移住するつもりはなかったけれど、自分が知っていた島の活気はすでに失われていることを実感したんです」。

当時、すでに島の平均年齢は70歳を超え、「この島はもう終わりだ」と当たり前のように話すおじいちゃん、おばあちゃんがいた。数年先でさえ島の未来を想像することができない現実を知り、「この島をどうにかしなければいけない。どうすれば島が終らなくなるのか」と一気に自分ごととして考えるようになる。

このときの経験を経て、一家でUターンを決意した大和さん。ところが男木島では2008年に小学校、2011年に中学校が休校。自分たち家族が島に移住すればすぐに学校が再開するだろうと思っていた。島の未来が再び進んでいくと信じて、学校再開に向けて高松市と協議を始めた。

けれど、校舎の耐震問題なども考えると再開までに10年はかかると宣告される。10年待っている間に娘は成人してしまう。そして男木島の未来はなくなってしまうと想像がついた。「その時は結局、市は学校を再開させる気は無いと感じたし、誰も島の未来を考えていないと思いました」。この怒りに近い感情が、今の活動の原動力になっているという。

それから、大和さんは仲間と共に学校再開に向けて全力を注いだ。当時、島には人口200人もいなかったが、集まった署名は881人。ただ闇雲に街中で署名を集めたわけではなく、当時の島民約200人と男木島のOB・OG、芸術祭のアーティストなど、島に関わる人たちの声を集めた。男木島の未来を望む声が大きな数となって後押ししてくれた。そして何度も市と話し合いを重ね、2014年に仮校舎で学校が再開。U・Iターンで島に住み始めた3世帯の子どもたち6人が、島の小中学校に通えるようになった。

移住者を受け入れるための地域コミュニティを再構築

 学校の再開は、島にとっても大和さん一家にとってもゴールではなくスタートだった。大和さんが空き家の整備や移住者の受け入れを進める傍ら、妻の順子さんが古民家を改装して立ち上げたのが「男木島図書館」だ。

男木島図書館

図書館を始めようと思ったのは、「無事に学校が再開しても、在学している生徒が卒業したときに子どもがいなくなれば再び休校になってしまう。その状況は避けなければならない」という想いから。福井さん一家が移住するタイミングで、すでに島内に子どもはいなくなっていたため、移住者を増やしていくことが最善だった。そのため、まずは新たな移住者を迎えるための地域コミュニティの再構築が必要だと考えた。図書館はその拠点となる。

はじめはオンバ(手押し車)で移動図書館を行いながら、島内外からボランティアを募り、空き家を修繕。完成した図書館には、順子さんが所蔵していた2000冊の本を並べるところから始め、今では約5000冊が館内を埋め尽くす。

「本をきっかけに島のおじいちゃん、おばあちゃんだけでなく、島民と観光客、移住に興味がある人たちとが交流する場になっています」と順子さん。ときには本気で移住を検討したいという人を島のNPOや協議会にマッチングするという移住者の入り口としての役割も担っている。

移住を後押しする懐の深さ

 大和さんや順子さん、島の人たちによって、教育や住居、コミュニティなどの土台が整い始めたとはいえ、移住には何か決定的なひと押しが必要となる。男木島では、「人」がそれだと感じた。

移住者数名に、男木島を選んだ理由を聞くと「とにかく人がいいから」と教えてくれた。あるプロジェクトで男木島に関わり、移住を決めたという大学生の青年は、「男木島の人は、自分のことを学生扱いせずにひとりの人として接してくれたんです。それが心地良くて」と話す。

男木島の島民は、オープンで人懐っこい人が多い。移住者を受け入れる懐の深さが自然と根付いているようだった。その理由のひとつに、男木島が辿ってきた歴史が考えられる。瀬戸内海の中央あたりに位置する男木島の周辺では、かつて多くの漁船が行き交っていた。航路の関所、中継地点として島を訪れる人も多く、港町ならではの開放感が生まれたといわれている。

また男木島は現在、香川県高松市に属しているが、所属の歴史をたどると、直島、倉敷、大阪、愛媛など目まぐるしく移ろいがあった。これは男木島が海の関所として、重要な場所に位置しているからである。そのため確固たる地域性が確立されることがなく、自然と開放的な島民性が築かれたと考えられる。

オープンな島民性は健在で、移住者を型にはめることなく、適度な距離感を保ちながらも島へと受け入れてくれる。ある意味でアイデンティティが曖昧な島だからこそ、境界を明確にしない懐の深さが「移住」の特性とうまくマッチングしているのだ。

 なかには初めて島に訪れた日に移住を決めた人もいる。直感的に島を好きになり移り住んだ人が多いからか、移住者は自発的に「島のために何かできることはないか?」と考え行動する人が多い。しかし「みんながみんな島の未来を考えなくてもいい」と大和さんはいう。「子育てや介護などのタイミングで、島と自分の課題が重なれば一緒に考えていけばいい。そのタイミングはそれぞれでいいのです」。

小さな地域でより良いコミュニティを維持するためには、ある一定の距離感を保ちながらも共同体を作っていかなければならない。男木島では、オープンで島のルールを押しつけることのない空気感が移住者にとって心地よいものとなっている。

あるものを活かすサステナブルな考え方で島の未来を作る

 コロナ禍で下火になったものの、継続的に移住の相談はやってくる。さらに移住者のニーズも複雑化するなかで、これからは島にある資源を圧迫することなく、移住・定住、さらには関係人口を増やしていくことが課題となってくる。

「人口は150人弱、うち6割が高齢者という数字を見ると、あと5年くらいで急激に人口が減っていくことは目に見えています。今から100人が減っていくならば、さらに100人を増やす必要がある。つまり、移住や定住、関係人口を増やすことを5年以内にやらなくては、そこから先の5年はあったとしても、さらにその先の10年はないのです」。

だからといって新しい何かを作るのでは、継続が難しくなってしまう。だからこそ「島の価値を大幅に作り替える必要はないと思っていて。限られた人数でやっていくならなおさら、島に根付いた文化的なものにこそ価値があるから、そこに注力していきたいと思っています」。



 現在、ケノヒでは関係人口を増やし、移住・定住につなげるためのワーケーション事業、男木島のシンボルである「男木島灯台」を活用したブランディング、大和さんの専門分野であるITの最新技術を活用した取り組みなどに力を入れている。
 
 ワーケーション事業では、2021年に「移住体験」の場として長期滞在可能なコワーキングスペース「鍬と本」をオープン。男木島は坂が入り組んだ集落に古民家が建ち並ぶため、次々に新しい家を建てることも厳しければ、一軒空き家を整備するのも時間がかかる。移住希望者が現れても家がなければすぐには移住につなげることができないのだ。そのため、移住希望者がワーケーションもしながら、離れに長期滞在できる場所として活用されてきた。しかし、それでは移住者の受け入れにはなかなかつながらず、収益化も厳しかったため、2022年にクラウドファンディングで支援を募りアップデートを図ることにした。

READY FOR「男木島を未来へ繋ぐ|古い郵便局舎を生かし、人や文化が往き交う宿へ」

「鍬と本」は築120年の郵便局舎を再生した建物である。アップデートでは、コワーキングスペースとは別の棟の改修に着手。観光シーズンは1棟貸しの宿として、より島の暮らしを感じられる場へ。オフシーズンには、ワーケーションと長期滞在ができる宿へと作り変える。さらに企業や大学生の研修にも利用してもらうことで、関係人口を増やしてくことを目指す。男木島は元々観光の島ではない。だからこそ、暮らしや文化を感じられる場で、島の魅力を知り、体験することが重要
なのだ。



 もうひとつ、男木島観光協会とともに力を入れているのが、男木島灯台のブランディングである。明治28年に建設されたこの灯台は、島の歴史が刻まれた島民にとっての拠り所だ。沿道にはスイセンが植えられ、毎年1月にはスイセン祭りが開催される。2021年には有形文化財に登録。今後も灯台を活用した観光事業を計画しているという。

男木島灯台


「地域の人たちが自分たちで考えられる範囲で、身の丈にあった事業でなければ持続することができません」。だからこそ、男木島灯台を自分たちで維持管理し、魅力を伝え、活用していくことが「サステナブルな観光」の軸となっていく。

 ほかにも、ITを専門分野にしてきた大和さんはその知識と経験を活かし、最新技術を駆使した取り組みにも積極的に協力している。例えば2022年には、日本電信電話株式会社(NTT)と西日本電信電話株式会社香川支店(NTT西日本)と共に「TENGUN Ogijimaプロジェクト」の実証実験をスタート。男木島にメタバース空間を作ることで関係人口創出・拡大を目的としたプロジェクトである。

「男木島では2025年までに急激に人口は減少するけれど、空き家はそんなに増えてはいかないでしょう。しかし移住者を増やさなければ、人口減少は食い止められない。そのジレンマを解消するには、デジタル領域で関係人口を増やすことが解決の糸口になると考えています。小さな島でなぜメタバース?と思われるかもしれませんが、島の未来を作る手段のひとつとしてメタバースは想定していたのです」。

 

ケの日にこそ復興のヒントが詰まっている

 小中学校の再開から図書館の設立、メタバースの導入まで、男木島では幅広い領域の挑戦が続けられてきた。これまでの取り組みも、これからの取り組みも、その全てに共通するのは「それは男木島の未来を作るかどうか」。未来を作るということは、決して島を作り替えようということではない。島にある価値に気づき、生かしあうということ。だからこそ自然と男木島の魅力を知り、島のことを好きな人たちが集まってくる。移住者だけではない、男木島のプロジェクトに関わる人たちは皆、島の純粋なファンなのだ。
 
集落の目の前に広がる瀬戸内海、島の歴史を感じさせる灯台、何よりも訪れる人たちを虜にしてしまうほど素敵な島民。男木島は観光地ではなかったからこそ、芸術祭のようなハレの日ではなく、島の暮らし=ケの日にこそ島の魅力や地域復興のヒントが隠されている。そして福井さん夫妻は、そのヒントをひとつひとつ拾い上げ、これからも島の未来を作り続ける。

この記事は、宣伝会議 第45期 編集・ライター養成講座の卒業制作で執筆したものです


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