ユイ・RRR・バーナム

わかる人にはわかる。 わからない人にはわからない。そりゃあそう。 絵はうまく描けません…

ユイ・RRR・バーナム

わかる人にはわかる。 わからない人にはわからない。そりゃあそう。 絵はうまく描けませんががんばって描きます。 色をつける技術はまだありません。

最近の記事

閉館まであと4日の映画館

福岡市で最古の映画館、78年の歴史を持つ「中洲大洋映画劇場」が2024年3月31日に閉館となってしまいます…! 3月は「さよなら興行」と題して、過去の名作をリバイバル上映してくれています。 その中から、『ニュー・シネマ・パラダイス』を観てきました(`・ω・´) 先週末は満席だったというのをXで見かけていたので、事前にネット予約して向かう。 平日の昼間やけん大丈夫やろ、と舐めておりました…! 劇場の外にまで伸びる行列、私はここまで人が溢れている中洲大洋を初めて見ました( ゚Д

    • 50歳の母がガンで亡くなった話⑥

      2013年8月28日、母は50歳で亡くなりました。 母の遺体は別室に運ばれ、病院の方々に母の着替えと化粧をしていただきました。 洋服は病院から事前に頼まれており、生前、母がよく着ていたデニムのジャケットを私が選んで持ってきていました。 お化粧の最後に「仕上げの口紅だけやってあげませんか」と呼ばれ、まだ見慣れない『動かない母』に、口紅を塗りました。 病院から葬儀場へ行き、お通夜、葬儀、火葬と行いました。 母は特に交友関係も広くないし、人を呼ぶなんていう気持ちの余裕がなかった

      • 50歳の母がガンで亡くなった話⑤

        前回は母が亡くなる3日前。 次の日に病院に行くと、先生が言っていた通り、母は話せる状態ではなくなっていました。 先生の予測が完璧に当たっていたことに少し関心しつつ、母は既定路線で死にまっすぐ向かっているのだと感じました。 何か奇跡が起きて、意識が戻ったり話ができるなんてことはありません。 母の病室から出て帰ろうとしていると、廊下ですれ違った看護師さんから「大丈夫ですか?」と一言、声をかけられました。 今まで看護師さんたちとは挨拶をするくらいで、それ以上の話をすることはほぼ

        • 50歳の母がガンで亡くなった話④

          2013年8月に入り、母の状態がみるみる変わっていきました。 ぼんやりと感じていた『死』のイメージが、はっきりとした『母はもうすぐ死ぬ』という実感に変わっていきました。 いつも元気だった母が毎日苦しそうにしているのを見ているだけで、本当に悲しく心細い気持ちになりました。 母のガン細胞が私に移ればいいのにと心から願ったし、“自分が身代わりになってもいい”と思える人は私には母だけのような気がします。 思い返せば小さい頃から母に褒められることが一番の原動力でした。 母がいるから

        閉館まであと4日の映画館

          スタバの人気タンブラーを買った話

          突然ですが、ここ1週間で起こった、私が可哀そうなくらい健気だった話をさせてください。笑 まず私は、会社で隣の席の先輩(女性)がとにかく大好きです。 本当に天使のように優しいのです。 フルタイムで働きながら子育てもして、それなのにいつも機嫌がよくて、私のおなかが鳴ったら瞬時にお菓子を渡してくれるし(笑)、仕事の話もプライベートの話もこの人にならなんでも話せる、と信頼している人です。 2月下旬、スターバックスの桜シリーズ第二弾のグッズが可愛いと話題になっていました。 天使さん

          スタバの人気タンブラーを買った話

          50歳の母がガンで亡くなった話③

          前回は2013年7月下旬、母が治療から緩和ケアに移ることを決めたところまででした。 8月に入り、大学が夏休みになったので私はずっと福岡にいられるようになりました。 部活のオーケストラでは、当時ヴィオラのパートトップをしていました。 パートのメンバーと幹部メンバーに、しばらく福岡に帰るため部活に参加できないことや、負担が集中しないように曲ごとにトップを分担してやってもらうよう伝えました。 毎年地方に行って演奏会をするイベント(演奏旅行)があり、それも参加できないと伝えましたが

          50歳の母がガンで亡くなった話③

          50歳の母がガンで亡くなった話②

          前回は母が私に、ガンであることを告げたところまででした。 2013年の6月中旬ぐらいです。 大学のある兵庫県に向かう帰りの新幹線で、母からメッセージが届きました。 気をつけて帰ってねということと、なるべく福岡に帰ってきてほしいということ。新幹線代は出すから、と。 まだこの時点で私は、母の余命が短いことを知りません。 でも放任主義で「帰ってきて」なんてほとんど言わなかった母がこのようなことを言うのはよっぽどのことなんだと思いました。 6月30日に部活(オーケストラ)の大きな演

          50歳の母がガンで亡くなった話②

          50歳の母がガンで亡くなった話①

          ある本を読んでいて、ふと過去のことを思い出し、これから歳を重ねていくうちにその記憶が薄れていくのが怖いので、覚えている限りを書きます。 特におもしろくないし、楽しい話でもないのであしからず|ω・) 簡単にまとめると、母50歳、私が22歳のころ、母は大腸がんで亡くなりました。私が知った時点で末期のステージ4、たった2ヶ月半で息を引き取りました。その頃の母の気持ちは今後一生知り得ないので、私視点で起こったことを書きます。 2013年1月14日、母の50歳の誕生日でした。 大学

          50歳の母がガンで亡くなった話①

          32歳9か月のわたし

          最近のわたしを備忘録程度に・・・ ・体重が3㎏増加  ⇒この前泊まったホテルに体重計があったので(基本的に体重変動が少ないため家に体重計がない)、久しぶりに測ってみたら自分の思ってた体重より3㎏増えてた(゜-゜)知らないうちに人生最高体重を更新(゜-゜)これが老いなのか…どおりで最近おなかに肉がついてる気がしたんだ ・ブリンバンバン頭から離れない  ⇒「マッシュル」の後半オープニングのcreepy nutsの曲。永遠にリピートしてる。ブリンバンバン以外1ミリも歌えないけど

          32歳9か月のわたし

          最推しのマブリーに会えた日

          2024年2月23日に公開『犯罪都市NO WAY OUT』の舞台挨拶が奇跡的に当選し、福岡からはるばる参加してきました٩( ''ω'' )و 2月9日に当選発表、6日後の2月15日(木)に東京来てね!の急展開、地方民には正直厳しいスケジュール('Д')しかもド平日…('Д') しかしマブリーに会えるという気持ちが私をつき動かします、躊躇なく有休をぶち込み、速攻で飛行機・ホテルを予約、オタクの勢いは恐ろしいと我ながら思います…( ˙-˙ ) 2月15日当日はお昼の便で東京到

          最推しのマブリーに会えた日

          〚Before Sunrise〛リバイバル上映を観た

          私の生涯ベスト10に入る、『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』を映画館で観てきました!! 1995年のアメリカ映画、恋愛映画の金字塔と呼ばれる名作が、30年の時を超えてスクリーンにカムバックです(`・ω・´) 2024年2月2日から2週間限定なので、この機会をお見逃しなく!(※回し者ではありません) 列車の中で出会った男女が意気投合し、ウィーンの街で半日間過ごす、というお話です。 大きな出来事は、何も起きないのです。 電車で質問をし合い、レコード屋に行って視聴して、散

          〚Before Sunrise〛リバイバル上映を観た