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小説『ウィ・ガット・サマータイム!』土居豊 作 第4章 ソロ2〜チェと南蛮屋


小説『ウィ・ガット・サマータイム!』
土居豊 作
第4章 ソロ2〜チェと南蛮屋

サマータイム表紙4



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プロローグ〜メインテーマ
第1章 ユニゾン1〜謎の楽譜

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第2章 ソロ1〜ジャズ喫茶と古本屋
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第3章 ユニゾン2〜謎の楽譜その2
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第4章 ソロ2〜チェと南蛮屋

1)ジャズ喫茶《チェ》


ジャズ喫茶《チェ》という店の名はチェ・ゲバラからとった店名か、と誰もが思う。だが、本当はジャズ・トランペット奏者のチェット・ベイカーを縮めたネーミングだった。
マスターは、このことをあまり客には話していない。
それはもちろん、当時ジャズファンたちはチェットのプレイをあまり好まなかったせいであり、また、ゲバラのファンが間違って来てくれることも、ちゃっかりと狙っていた。
チェットの演奏は、この店を始めた当時はまだ、最晩年の華々しい復活の前であり、CTIレーベル録音のほとんどイージーリスニングのような『枯葉』を別にすれば、過去の名盤でしか聴けなかった。不調に苦しんでいた70年代のチェットの演奏は、トランペット好きにはおおむね評判が悪かった。
なんといっても当時、トランペッターといえばジャズ・メッセンジャーズに参加していたフレディ・ハバードであり、クリフォード・ブラウン亡き後の黒人トランペッターの王者というべき実力ぶりだった。
マスターは、そういったわけで、店でかけるLPレコードのレパートリーの中で、トランペットものはハバードを筆頭に、あとは過去の名盤をランダムにかけて、その中にこっそりとチェットの代表盤も混ぜていた。
だが、初めてジャズ喫茶なる店に入り込んだ高校生には、そんな事情は知る由もない。彼は物珍しげに店の内装を見回したり、大音量でマイルスの名盤『クールの誕生』を鳴らしている、口径の大きなスピーカーセットにおそるおそる近寄ってみたりした後、テーブル席に腰を下ろした。シンプルな白のマグに、なみなみと注がれた熱湯に近いホットコーヒーをふうふう吹いたりしている。
この店のマスターは、ジャズ喫茶の店主としてはずいぶん若くて40代だが、年齢より若くみえるので客はたいてい30代かと思うのだ。
店は白く塗った山小屋風の一軒家で、青い木のドアの向こうは、黒塗りの壁に太い丸太の柱が目立つ。入ってすぐのところに小さなカウンターがあり、奥は全てテーブル席、店の一番奥にアップライトピアノと、大きなスピーカーが一組鎮座していた。
マスター1人で切り盛りするには大きな店だが、客が極端に少ないので、どうやら1人で全てやりくりできているようだった。ごくたまに、アルバイトなのか、マスターの家族なのか、若い女性がウェイトレスとして来ていることがあった。だが、その男子高校生が初めてこの店に入った日は、マスター1人だった。
「まあ、ゆっくりしていってください」
マスターは、高校生を1番テーブルに導くと、椅子を引いてやった。
この店の1番テーブルは、山小屋風の店構えの中でも、特に居心地のいい位置にあり、夏場はエアコンの風が直接当たらないようになっていて、冬場は石油ストーブの前で温まることができるのだった。店の奥の壁面に並べて設置してある巨大な2台のスピーカーからも、ほどほどの距離があり、音像がくっきりと立体的に聞こえるぐらいの位置だった。
注文をきいて、マスターは豆を手早くひくと電気コンロで湯を沸かし、紙のドリップでじっくりといれていった。その高校生は飲み物を待ちかねて、シンプルなコップに入った水をたちまち飲み干してしまい、テーブルから立ち上がって、店の中をうろうろ見てまわり始めた。
他にだれも客がいないので、立ち歩いていても、文句をいうものはない。
マスターは、若い客を歓待しようと声をかけた。
「なにか、リクエストがあればレコードかけるよ」
すると、高校生はレコード棚のところで振り返って、答えた。
「あ、いいんですか? じゃあ、アート・ペッパーの何か、あります?」
「ペッパー? おお、そりゃ話せるねえ。いいのをかけてあげる」
そう言いながら、マスターは、淹れたてのコーヒーをお客のテーブルに運んだ。それから、レコード棚のところに行って、LPを数枚、引っ張り出した。
そこに、電話の呼び出し音が鳴ったが、マスターはかまわずレコードをターンテーブルにのせ、曲をスタートさせた。それでもまだ鳴っているしつこい電話を、渋々とった。


マスターは知り合いからの電話を終えると、カウンターに肘をついてちょっと思案した。
『ジャズの楽譜が売ってる店? あるかなあ、この辺に。やっぱり都心に出ないとないだろうな。ミナミのどこかにあったはず。いや、それより東京のあの店に問い合わせた方が早いかな』
マスターは、カウンターから出て、店の入り口のところにある電話帳を持ってカウンターのスツールに腰掛けた。
電話帳の中の楽器屋、楽譜屋、書店のページを手早くめくりながら、片桐市内の店を探してみたが、案の定、この市内には、楽譜屋どころか、楽器屋も数えるほどしかなかった。
『ミナミのあの店の電話、どこにあったかな?』
ひとりごちて、マスターは一旦、店の奥に引っ込み、戸棚を探してみた。行った先のバーや喫茶店でもらった宣伝用マッチを引き出しにストックしてあるのだ。
だが、目当ての店のマッチは、引き出しに入っていなかった。
『確か、マッチもらったはずなんだが。使っちゃったかな?』
マスターは首をひねりながら、またレコード棚のところに戻った。ちょうどA面が終わったアート・ペッパーのLPをひっくり返して、またターンテーブルに乗せた。
しばらくして、マスターに電話で探し物を頼んだ本人がドアを開けて入ってきた。
「やあ、しばらく」
その男性は、マスターにうなずいてみせたが、店の奥を見てちょっとギョッとした。
「おや? めずらしいな。お客かい?」
男性は1番テーブル席でコーヒーを飲んでいる男子高校生に、軽く会釈した。だが高校生の方は、ずいぶんと熱心にレコードの曲に集中しているようで、新しい客に気づいていないようだった。
男性は片桐市内の古本屋の店主だった。少し前、客と口論になったところに、たまたま居合わせて間に入ってくれたのが、ここのマスターだった。以来、店主はマスターに会いに、時々ジャズ喫茶に立ち寄るようになったのだ。
口論というのは、男の大学生が自分の本を売りに来たのだが、店主が買値をいうと急に売るのをやめる、と言いだしたのだ。
「なんだって? じゃあ、いったいいくらなら売るんだ?」
ちょうど虫の居所が悪かった店主は、つい大人気なく大学生を詰問してしまっていた。
「自分の持ってきた本がそんな値打ちのあるものだと思ってたのか?」
大学生は、さすがにむっとして、言い返してきた。
「これは値打ちのある漫画ですよ。知らないのかもしれないけど。この漫画家は、先々絶対、すごい人になります」
「そうか? だが、いまのところ、その漫画は店に置いても大して売れないんだ。残念ながら、高く買うわけにはいかない」
「だったらいいんです。その値段なら、売るのをやめて自分で持ってる方がいい」
「それなら最初から売りに来るなよ」
「こっちにも事情があるんですよ! もういいです。もうこの店では本を買わないですから」
「おい、待て学生さん。えらそうな捨てゼリフ吐いてくれるじゃないか。そんな客、こっちからお断りだ」
「そのぐらいでやめとけよ」
割って入ってくれたのが、たまたま古書店で本を眺めていたジャズ喫茶のマスターだった。
その大学生は、どうやらマスターと顔見知りだったらしい。ばつが悪そうな顔で、古書店をそそくさと出て行ったのだった。
「で、商売はどう?」
古書店主は、ジャズ喫茶のマスターに缶コーラを手渡して、丸椅子を出した。結局、あの生意気な大学生は、漫画を大切そうに持ち帰ってしまったのだ。
「まあ、君んとこと似たようなもんだな。客が来る日もあれば、来ない日もある」
「私鉄駅の近くにジャズ喫茶だって? ショッピングセンタービルの中かい?」
「まさか。そんな金はないから、駅の向こう側の川沿いだ。地代がかなり安いからな」
「川沿い? そんなとこにお店、あったかなあ。川って、線路の高架下をちょろちょろ流れてる、あのドブだろ?」
「そうそう。高架下からちょっと行ったら、店がいくつかまとまってるとこがあるよ。まあ、そのうちのぞいてみてくれ」
「行くよ。あんたの店なら、面白そうだ」
「期待しないでくれ。モダンジャズばっかり流してる、本物のジャズ喫茶だから。ジャズが嫌いなら、やめといたほうがいい」
「ジャズは嫌いじゃないから、大丈夫」
「ふうん。どんなのを聴く?」
「そうだなあ。ミュージシャンの名前はあんまりわからないけど、ピアノトリオか、サックスのやつがいいな」
「なるほどね。だったら、LPをみつくろっておくよ。エヴァンスか、コルトレーンかなにか」
「どっちも知らないけど、聴くよ」
「たぶん、気に入る」
後日、ジャズ喫茶で再会してわかったのだが、マスターはこの古書店主と同じ歳で、高校の同期だった。けれど、店主は高校2年のときに学校をやめてしまっていて、初めはお互い覚えていなかった。
客として会話しているうち、なんとなく、互いの顔や声に覚えがあるような気がしてきた2人は、もしかして、と切り出した。
「なあ、あんた、高校はこの近くだったかい?」
「いや、途中でやめちゃったんだ」
「どこ?」
「晴日山だ」
「え?」
マスターは、思わず聞き返した。
「ひょっとして、あんた、音楽選択じゃなかったかい?」
「よくわかるね。そういう君も?」
「うん。そうなんだ」
話してみると、彼ら2人は高校在学中、同じクラスではなかったのだが、音楽の授業が同じだった。どちらも口の重い男子で、授業のグループ発表のときにどのグループにも入れなかったので、必然的に2人が組んでなにか発表するはめになった。マスターは高校生の頃からピアノを上手に弾いた。店主の方は下手な歌を歌い、マスターがうまく伴奏してくれて、どうにかこうにか発表を済ませることができた。そうこうするうち、いつのまにか店主は、学校を去ってしまったのだった。
以来、マスターはこの男の消息を聞かなかったのだが、偶然にも地元の古書店で再会したというわけだった。



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2)古書店《南蛮屋》


《南蛮屋》は、この市内で一番大きな古本屋だった。私鉄駅からまっすぐに古い神社に向ってのびる参道沿いの、商店街のはずれにあった。
この古書店の店主は40代の男性で、元はといえば、自宅に収納しきれなくなった自分の蔵書をどこか部屋を借りて保管しようと考えていて、それならいっそ古本屋をやってみようと思いついたのだった。
最初は、そんなことうまくいくわけない、と当然思ったのだが、工場勤めの帰りに図書館で調べたところ、この市内には古書店は数えるほどしかなく、休日にその限られた数店をまわってみると、どこもずいぶん辺鄙な場所にあって、客が少ないのがわかった。
当時はまだ、新古書店などは存在せず、古本屋は、お小遣いの少ない子供がなけなしの小銭で漫画を買いに来たり、勤め人が古いエロ本をまとめ買いしていったりするような雰囲気だった。
そういった顧客の需要の高い漫画、エロ本、読み捨てられる昔の文庫本にまじって、意外にも本格的な文学評論の単行本や、自然科学分野の専門書、歴史の専門書などが色あせてひっそりと並んでいたりする。
これだ、と彼は気付いた。これなら、自分にぴったりの商売だ。
自宅の蔵書を店に置き、商品とともに並べるのだが、実際に動く商品は、安く揃えられる漫画や文庫本、エロ本がほとんどなのだ。大切な蔵書は店頭に並べず、売れてしまってもいい本は本棚に出して、儲けのほとんどは安く仕入れる読み捨て本から上げるということにすればいい。
これなら、自分でもできる。
そうして、彼は《南蛮屋》を開店した。
もっとも、市内の他店との差別化を図ることも忘れなかった。
まずは立地の問題があった。他店のように、足場の悪い場所にあると、近所の人しかわざわざ買いに来たりしない。それでは、儲けが限られてしまう。
そこで、彼は店の場所を念入りに選んだ。市内の中心部であるのはいうまでもない。できるだけ人通りの多い道筋で、駅からもあまり遠くないところがいい。
決めては、顧客層の選び方だった。
自分に置き換えてみて、古本をもっとも必要とする年代は? と考えたのだ。
小学生の漫画本や、社会人のエロ本の需要は、もちろん必要だが、それだけでは、大した儲けにはならないだろう。お年寄りが暇つぶしに古い文庫本を買うのもある程度は儲けになるだろうが、たかが知れている。
そこで思いついたのは、学生だ。
お金のない学生達は、もし自分の通学路近くに古本屋があれば、新刊書店に行く前に、ちょっとのぞいてみるにちがいない。同じ買うなら、多少汚れていても、安い方を買うだろう。
さらに、学生は少しでもお小遣いを増やしたいはずだから、もし自分たちが新刊を買って読んだ本がいまいちだったなら、安い売値でも手離してくれるだろう。
ようするに、彼は中高生にターゲットを定めて、仕入れ先と購買者の両方を担ってくれると踏んだのだ。
そこで、彼は店を、市内にある2つの有名な高校と、複数の中学校の徒歩圏内に決めた。
この位置なら、通学路にも近いので学校帰りに立ち寄ってくれそうだし、近所の中学生が自宅から読み終えた漫画や文庫本を売りに来てくれるだろう。
その狙いは、まんまと当たった。
この古書店の常連顧客になってくれた1人が、近辺にある府立高校の男子生徒だったのだ。
この学生は、どうやら店主が昔通っていた高校の生徒のようで、学校帰りなのに私服姿だった。店主は、経済上の理由で中退したのだったが、その当時から、この高校は制服を廃止して服装を自由にしたので有名だった。
古書店に入ってきたその学生は、最初、ちょっとためらいがちに書棚を眺めて歩いたが、たいていの客がそうするようにそのまま店を出て行くことはなく、ある棚の前で、じっと何かに見入っていた。
「何か、お探しですか?」
店主は、愛想良い声で学生に尋ねた。
「あ。いや、ちょっと」
学生の方は、声をかけられると思っていなかったようで、やや焦った感じの答え方をして、それから店主のいるレジの方を向いた。
「実は、ジャズ喫茶についての本を探しているんです」
「え?」
店主は、驚いて聞き返した。
「ジャズ喫茶? についての本、ですか? ジャズの本じゃなく?」
「はあ、まあ。変でしょう?」
学生は、端正な顔に苦笑を浮かべた。
「ああ、そういえば、ありますよ、ジャズ喫茶の本というより、関西のジャズ文化についての本ですけどね」
店主は、その単行本を背の高い書棚の一番上の方から、踏み台を使って下ろした。
「ほら、これ」
「へええ。あるんですね。おいくらですか?」
実はまだ、値札をつけていなかったその本を、店主は、格安でこの学生に売った。そのうち自分が読もうと思って、仕入れた本だったが、奇しくも自分の母校の学生が、その本を探していたことに、面白みを覚えたのだった。

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第5章 ユニゾン3〜吹奏楽コンクール

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へ続く


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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/