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土居豊の文芸批評 特別編【(追悼)小川国夫没後16年、今の若い人に薦める小川作品】

土居豊の文芸批評 特別編
【(追悼)小川国夫没後16年、今の若い人に薦める小川作品】


小川国夫が亡くなって、4月8日ではや16年。
昨年の没後15年での特集が、各文芸誌で何も行われなかったことからも、いわゆる東京の文壇(もはや存在しないともいわれるが)での、小川国夫の扱いは忘却にさしかかったと思える。昨年、生誕100年の遠藤周作と司馬遼太郎は、テレビでも特集されたり、出版界でも大いに盛り上げていたからだ。
だが、私が思うに、近現代日本文学の20世紀作家の中で、これからも息長く読まれ続けるのは、おそらく遠藤と小川だ。司馬は21世紀中には、やがて読まれなくなり、忘れられていくだろう。
遠藤については、ここでは置く。
小川国夫は、直接接した私たちが語り継がなくては肝心の作品が絶版のままになってしまうだろうから、その命日には必ず小川文学について書くことにしている。


2005年、土居豊の小説出版記念パーティーにて

さて、昨年まで、私は小川文学についていささかまずい紹介の仕方をしていたようだ。小川文学の真価を、晩年の傑作群に求めていたからだ。それも、小川が最も力強く仕事に取り組んでいた、70歳代以降の大阪芸大教授時代に生み出された長編などを中心に、語ろうとしていた。それというのも、自分自身がその当時の小川に直接接して、リアルタイムで生み出される作品群に圧倒されていた記憶が、あまりに生々しいせいだ。
小説でいうと、朝日新聞連載の『悲しき港』、『マグレブ、誘惑として』が彼の長編小説の頂点であり、短編では『ハシッシ・ギャング』を推していた。
そして、小川の全集が未完のまま版元の小沢書店が倒産したせいで、生涯の最高傑作群が全集未収録という愚かしくも悲しい事態となり、ついにその版元の元社長も亡くなってしまったのだ。これでは、もう小川全集の完成は見込み少なくなってしまったと思うと、残念でならない。


小川国夫全集(小沢書店版)




小川国夫全集にもらったサイン


小川国夫全集の中の、若き日の小川国夫の写真


そういったあれこれを、昨年まではこのブログでも他の媒体でも書いてきた。しかし最近、ふと小川の初期の小説を読んで、実は晩年の文体よりも若書きの短編の方が、今の若い人にも読みやすく小説としても受け入れられやすいのではないだろうか、と気づいた。
そこで、今回は、若い人に薦める小川国夫作品を以下、紹介する。


(1)若い人に薦める小川国夫作品〜小説


浩シリーズ

「アポロンの島」(『アポロンの島』)

ミコノス島滞在を中心とした紀行。フェリーで島へ向かう場面から、旅行中の国際色豊かな人々とのかりそめの出会いが興味深く描かれる。
特に、エーゲ海の海岸での海水浴の場面は、昭和文学のヒット作「エーゲ海に捧ぐ」より先だ。また、村上春樹の『遠い太鼓』や『スプートニクの恋人』でのエーゲ海の島々の描写をはるかに先取りする。本作の方が春樹作品よりよほど心に刺さると思うのだ。

「相良油田」(『生のさ中に』)

小学校高学年の頃の主人公が、若い女性教師に抱く憧れと、夢のような現のような幻想の場面が、耽美的に描かれる。

「スパルタ」(『生のさ中に』)

旅する主人公が、スパルタの地で少年に抱く欲望と、夢から醒めて現実に白ける心情の変化を細やかに描いている。

「ゲラサ人の岸」(『生のさ中に』)

旅から帰国して故郷・静岡で勤め人をしている主人公の、日常生活の中でのささやかな出会いと心のふれあい。

デビュー短編「東海のほとり」(『アポロンの島』)

旧制中学時代の主人公の、友情と恋と重苦しい青春の一コマ。フランス留学以前、雑誌「近代文学」に採用された、小川文学の原点といっていい。

※『アポロンの島』
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000168403


※『生のさ中に』
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000137500



(2)若い人に薦める小川国夫作品〜エッセイなど


『冬の二人 立原正秋 小川国夫 往復書簡』小沢書店(絶版)

昭和文学の懐かしい作家・立原正秋と、小川国夫の若き日の書簡集。駆け出しの小説家二人が、現実生活の中で苦労を重ねつつ、文学の理想をそれぞれ思い詰め、切磋琢磨する様が、手紙の文面から生々しく伝わる。物書きを目指す人に、特におすすめ。(どこかの版元で、復刊してほしいものだ)

『昼行燈ノート』文藝春秋
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163530604

作家晩年のエッセイ集。年齢を重ねても小説家の日常は若い頃とさほど変わらない。心の若々しさが逆に読み手に勇気をくれる。

『宗教論争』吉本隆明、小川国夫 著  小沢書店(絶版)

これは今こそ読まれるべき、貴重な対談。吉本隆明との、丁々発止のやり取りは、宗教というものを「オウム真理教」「地下鉄サリン事件」以後も、甘く見過ごしてきた我々日本人に、鋭く迫ってくる。


河出書房新社版 小川国夫作品集


以上だが、もし、これらの入門を読んで、小川国夫文学をもっと深く読みたいという人には、どうしてもこの2つを読ませたい。
河出書房新社の作品集第4巻にある、『或る聖書』『彼の故郷』だ。

※河出書房新社版 小川国夫作品集
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309604312/

前述のように、小沢書店刊行の小川国夫全集は絶版となって、入手は難しい。同じく、河出のこの作品集も、古書か図書館でしか入手できないだろう。ちなみに、私は、この作品集を、大阪梅田の古書店のワゴンセールで、恐ろしく安い価格で買った。本の値段は、その中身の価値と全く違ってしまうことが多い。
河出の作品集、もし河出が読みやすく文庫版にしてくれたり、新しく小川全集を完成させようと考えてくれるなら、ありがたいのだが。そうでないなら、どこか出版社が権利を買って、小川全集を完結させてほしい。そうでないと、晩年の傑作群はいつか入手できなくなる。


河出書房新社版 小川国夫作品集付録 埴谷雄高のエッセイ


角川文庫版



小川国夫、書斎にて(土居豊撮影)


最後に、ご本人が亡くなったので、遠慮なく書くが、小川国夫没後にまとめられ、刊行された最後の未完の長編『弱い神』を、私は小川作品の完成品とは認めない。編者の長谷川郁夫氏は、長年小川文学に関わってきた編集者であり、小川全集の倒産した版元の社長だった人だから、未完の長編の編者としてふさわしいといえるかもしれない。だが、あの本は、いかにも小川国夫らしからぬ不格好で手に取りにくい本だ。あんな形で最後の長編をまとめられては、小川は満足していないに違いない、と私は勝手に想像する。
長谷川氏には、その早すぎた晩年、大阪芸術大学で教授をやっているより、なんとしても小川全集を完結させる仕事をやってほしかった。
その辺りの機微は、以下のブログ記事にまとめてある。


※過去ブログ

小川国夫没後15年



来年で没後15年、小川国夫を読む


※没後10年の記事
小川国夫の命日に寄せて 小川国夫没後10年・エッセイ「小川国夫のいた風景」




土居豊の文芸批評
「ドストエフスキー『罪と罰』 ラスコーリニコフの老婆殺しは、妹推しの兄が切羽詰まってやっちまったこと」

《唐突だが、ドストエフスキーを語ることにする。それというのも、筆者は長らく村上春樹作品を批評してきたが、村上作品の根底には、ドストエフスキーからの影響が色濃いからだ。》



マガジン「土居豊の文芸批評」

作家・土居豊が「文芸批評」として各種ジャンルの作品を批評します。
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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/