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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」   第10回「クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演1987年  〜ベートーヴェン・チクルス〜」

エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第10回
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演1987年 〜ベートーヴェン・チクルス〜


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⒈  クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演1987年 〜ベートーヴェン・チクルス〜



※CBCオーケストラシリーズ
ベートーヴェン・チクルス

公演スケジュール

1987年
3月
20日 大阪 
ザ・シンフォニーホール
ベートーヴェン
交響曲第6番へ長調 田園
交響曲第5番ハ短調 運命

21日 名古屋
23日、24日、25日、27日、28日 東京

※筆者の購入したチケット

D席 12,000円
3階 LLB-7

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※前回来日時についての記事

第1回《ロンドン交響楽団来日公演 クラウディオ・アバド指揮 1983年》


https://note.mu/doiyutaka/m/m95eba8e4b1c1



イタリア人の指揮者クラウディオ・アバドが来日したコンサートの値段は、4年前のロンドン交響楽団との公演時には、旧・大阪フェスティバルホールの1階席で、S席10000円だった。

それが、1987年にはザ・シンフォニーホールのD席3階のバルコニー席なのに、2千円も高い。もちろん、ロンドン交響楽団とウィーンフィルとのギャラの差、なのだろう。それだけでなく、ロンドン響の指揮者だったアバドと、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になったアバドでは、ギャラが値上がりしたのかもしれない。また、音楽チケットの価格自体が、1883年当時より、4年後の87年には、日本経済のバブル景気で上昇したのかもしれない。

さて、ウィーン・フィルは言わずと知れた世界最高のオーケストラであり、その来日公演は毎度、チケットが取りにくいことでも知られている。今回の来日は、アバドがウィーン国立歌劇場監督に就任したばかりであり、またベートーヴェンの交響曲全集を発売し始めたタイミングでもあり、アバドのファンである筆者としては、聞き逃したくないものだった。
チケット購入は、例によって始発に乗って梅田に出て、早朝からシンフォニーホールの発売窓口に並んだ。
そうはいっても、このコンサートまでは、実のところ、ベートーヴェンの交響曲がそれほど好きではなかった。特に、今回の公演曲目である「田園」と「運命」、この2大名曲は好みではなかった。ベートーヴェンの交響曲なら、第9番や第7番の方がずっと好きだったのだ。
それでも、アバドとウィーン・フィルの生演奏が聴けるなら、正直、曲目はなんでもよかった。
アバドについては、1983年にロンドン交響楽団との来日公演を生で聴いて以来、ますますファンになっていた。だから、それ以降のアバドの活躍ぶりは、FMでもCDでもほぼリアルタイムで聴いてきた。
特にマーラーの録音では、いろいろ聴き比べて、やっぱりアバドのものが一番だと思っていた。長い時間をかけて録音を進めているアバドのマーラー交響曲全集が、なかなか完成しないのを待ち遠しくも思っていたが、それでもマーラーの交響曲のCDを買うのはアバドのものが出るまで待とう、とまで考えていたほどだ。アバドの指揮したロンドン交響楽団の生演奏の印象より、シカゴ交響楽団を振ったCD録音の方がより魅力的に感じた。

もっとも、アバドがウィーン・フィルを振った演奏は、マーラーのCD録音以外は聴いていなかった。だが、来日公演でいきなりベートーヴェンを聴くのも悪くないだろう、と気楽に考えていた。


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一方、ウィーン・フィルについては、それまで、さほど入れ込んで聴いていなかった。
80年代初め、日本人にとってウィーン・フィルといえば、70年代のカール・ベームとの来日公演の印象が強かった。筆者も、ベーム&ウィーン・フィルが最後に来日した時にはまだ小学生で、テレビで見た記憶がかすかにある。そのほかには、ウィーン・フィルの演奏によるLPレコードが家にあったので、子どもの頃はそれと知らずに聴いていた。
筆者がクラシック音楽に目覚めた10代前半には、ウィーン・フィルはロリン・マゼールが国立歌劇場音楽監督の時代だった。筆者はその頃、マゼールの演奏はあまり好きではなかった。だから、ウィーン・フィルの演奏をFMで聴くこともあまりなかった。
だが、それが逆に幸いしたともいえる。大した予備知識もなしに、いきなり生演奏でウィーン・フィルのベートーヴェンを聴いたというのは、考えてみれば、なかなか得難い貴重な音楽体験、幸福な出会いだったといえるだろう。



⒉  アバド&ウィーン・フィルのベートーヴェン演奏


さて、アバド&ウィーン・フィル来日公演、当日の演奏は、果たしてよかったのか、どうだったのか、記憶が今となっては薄らいでいる。その後にCDで同コンビのベートーヴェン交響曲全集を何度も繰り返し聴いたせいで、コンサートでの生演奏の印象とCDの演奏がごちゃ混ぜになっているせいもある。
だが、数十年経った今でも、記憶に鮮明に残っているのは「田園」でのあまりに美しい弦の響きと、ソロ・ホルンの完璧なメロディーだ。ホルンの首席奏者は、ハイF管シングルとの持ち替えで演奏していた。「田園」6楽章でホルンの高音のメロディーが微かな音量で聞こえてくる箇所、この世のものとも思えない美しい響きは、その後数えきれないほど生演奏のオケを聞いたがあれほどの美しさは2度と聴いたことがない。
「運命」の方はどうだったかはっきり覚えていないのだが、「田園」でのウィーン・フィルの響きは、これこそ天国的な音楽体験だとはっきりいえる。一生に数回あるかないかの、極め付けの音楽体験だった。のちに同コンビによる同じ「田園」のCD録音を聴いても、しょせん録音では、あの時の生演奏の同じような感覚を決して味わうことはできない。
数年ぶりに見たアバドの指揮は、ロンドン交響楽団でマーラーの第1番を指揮した時とは随分違っていた。しなやかなタクトさばきで、しきりに揺さぶるような上下の動きを見せる。タクトが常に流れるように動いて、決して静止しない。
ホールがザ・シンフォニーホールであったことも、幸いだった。前回アバドを聴いたのは旧・大阪フェスティバルホールだったので、音響の差はあまりに大きかった。席は3階のステージ脇のバルコニーで、この位置からは、実のところステージは半分ぐらいしか見えない。現在でいう「見切れ席」だった。それでもこのホールの特質として、天井に近い方がオケの響きがまろやかにブレンドされて聞こえる。ステージ横の位置にもかかわらず、オーケストラのバランスは大して気にならないのだ。ベートーヴェンのような古典派の音楽、編成の小ぶりな楽曲でであればなおさら、打楽器や金管群の音響バランスも3階バルコニー席で聴いて特に遜色はない。

ところで、当時順番に発売されていたCD録音のアバド&ウィーン・フィルのベートーヴェンでは、第9番が特に素晴らしかった。第4楽章での合唱とオケの一体化した境地やダイナミックな盛り上がり、大編成でも響きが濁らないアバドならではのオケ・コントロールは実に見事だ。録音が80年代半ばの時期だったせいもあって、ベートーヴェン演奏の解釈がちょうど過渡期にあった。そのせいなのか、アバドの演奏するベートーヴェンはリズムが鋭角的で、引き締まった第9を実現させている。アバドの第9録音には、のちにベルリン・フィルと数種あるのだが、筆者は世界中の数ある指揮者による無数の第9録音の中でも、このアバド&ウィーン・フィル盤をトップ5に入れていいと思っている。


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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/