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アバド指揮ベルリン・フィル来日公演1996年その1 〜世界を驚愕させたベートーヴェン第九の新校訂版の生演奏 & スウェーデンのトップ合唱団を帯同する豪華さ 

土居豊のエッセイ連載
【バブル期90年代の来日オーケストラ鑑賞 〜 平成日本の音楽リスニング黄金時代】

第3回 アバド指揮ベルリン・フィル来日公演1996年その1 世界を驚愕させたベートーヴェン第九の新校訂版の生演奏&スウェーデンのトップ合唱団を帯同する豪華さ



大阪公演の両日を聴いたチケット代は5万円近くなった



(1)アバド&ベルリン・フィルの黄金期


前回述べたように、オーケストラ演奏は90年代半ばのこの時期、過渡期に差し掛かっていた。インバルのような超ロマン派的演奏は80年代までの主流だったのだが、90年代以降、古楽器演奏の流行によるピリオド奏法の影響が、欧米の有名オケにもどんどん浸透しつつあった。
世界的に活躍する指揮者たちの中にも、ピリオド演奏による解釈や演奏法を取り入れる試みが始まっていた。中でも、アバド&ベルリン・フィルの革命的なベートーヴェン第九の新録音は発売当時、さまざまに物議を醸し、その後のオーケストラ演奏に大きな影響を残したのではあるまいか。
かくいう筆者も、このアバド&ベルリンの新盤を真っ先に購入し、わくわくしながら一聴して、はたと考え込んだ記憶がある。
ちょっと、このテンポはどうなのか?とか、この奇妙なデフォルメはなんだ?とか、首を傾げさせられた記憶がある。かねて愛聴していたアバドとウィーン・フィルとの第九を引っ張り出して、改めて聴き直してみたりしていたが、やはり新盤の奇妙な演奏より、伝統的な解釈に近い旧ウィーン・フィル盤に軍配が上ると考えたものだった。


※参考ディスク
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 Op.125《合唱》
【演奏】
クラウディオ・アバド(指揮)、ベルリンPO、スウェーデン放送CHO、
エリック・エリクソン室内CHO(トヌ・カリユステ指揮)
ジェーン・イーグレン(ソプラノ)、ヴァルトラウト・マイアー(メゾ・ソプラノ)、
ベン・ヘプナー(テノール)、ブリン・ターフェル(バス・バリトン)
【録音】
1996年4月2,4-6 祝祭大劇場,ザルツブルク


だが、今回、問題の1996年録音盤(ザルツブルグ音楽祭での録音)を聴き直すと、思いのほかいい演奏だ。
アバドの選んだ楽譜は、明確にベーレンライター版だ。後のベルリン・フィルとのベートーヴェン全集でもベーレンライター版を使っているが、ちょうど96年のザルツブルグ音楽祭ライブの演奏は、その後の日本公演での演奏も含め、アバドが真っ先に新しいスタイルのベートーヴェン演奏に挑戦した記録だといえよう。



この公演を呼んだビッグ2名、ソニーの大賀とサントリー佐治


この当時、ソニーは世界を席巻した


前回の来日よりもスケールアップした公演となった




今となっては貴重な記録である著作『アッバード、ベルリン・フィルの挑戦』(2003年 音楽之友社)には、1992年以降のアバドとベルリン・フィルによる、テーマを決めての演奏会シリーズについて、インタビューが収められている。1992年は、「プロメテウス」。以後、毎年、特定のテーマを決めて演奏会シリーズが実施されてきたが、ちょうどベートーヴェンの第九をザルツブルグで録音した95年は、「シェイクスピア」だった。その次の96年には、アルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』の台本を書いたビュヒナーを扱っている。
このように、以前のカラヤン時代とは全く異なる個性を演奏活動に刻みつけながらも、アバドにとってベルリン・フィルの看板は、ちょうどこの95年当時、重荷になりつつあったのではないかと推察する。アバドとベルリン・フィルの演奏活動は、順風満帆とはいえない状態だったようだ。
アバドがベルリン・フィルの芸術監督に選ばれた1989年は、折しもベルリンの壁が倒れ、東欧の共産体制が次々と崩れて、ついにソ連が崩壊するちょうどそのタイミングだった。その頃の、冷戦終結の歓喜に湧き上がる欧州の雰囲気と、アバド&ベルリン・フィルの新コンビの誕生はまさしくシンクロするように見えた。
アバドの持つ自由主義的な明るさ、気軽さは、その直前までベルリン・フィルにのしかかっていたカラヤンの持つ権威主義的な重さとまさしく好対照だった。カラヤンの存在はベルリン・フィルのみならず、欧州のクラシック音楽界そのものにとっての分厚い壁だったように、今となっては思える。その壁が彼の死によってなくなり、突然、自由闊達な空気が音楽界に流れ込んだ。その象徴がアバド&ベルリン・フィルのスタートだった。
だが、このコンビが数年経つうちに、贅沢に耳の肥えた?クラシック・ファンたちの間で、何やら愚痴めいた声が聞かれるようになった。曰く、カラヤン時代の豪華絢爛なベルリン・フィルが懐かしい、と。これはもう、ないものねだりとしかいいようがない。
カラヤンの強圧的な支配のもとにあったベルリン・フィルは、カラヤンの晩年にはその帝王ぶりに嫌気がさして、ついに追い出してしまった。筆者はカラヤン&ベルリンを生演奏で聴いたことはないが、その晩年の演奏をCDで聴く限り、指揮者の年齢的な衰えに、老境の格調高さや深い味わいといったものが伴わないまま、どこか空疎な音楽になっていたように思う。
そういう悪しきマンネリのカラヤンとうってかわって、どこまでも若々しく新規な音楽作りをするアバドの演奏は、カラヤン時代からの解放そのものだったはずだ。
しかし、あまりに音楽作りが前と変わってしまうと、聴衆だけでなく奏者からも文句が出るようだ。名コンビといわれた指揮者の後を引き継ぐ難しさであろう。
それでも、筆者にとっては、この96年のアバド&ベルリンの第九は、それまでに数限りなく生演奏を聴いたり、実際に歌ったりしてきたベートーヴェンの第九体験の中で、やはり特筆すべきものだった。演奏自体については、CDを聴き直した感想を以下に書く。


ソリストは録音盤とは別のキャスト




合唱団は世界トップクラスを帯同する豪華さ




この大阪での演奏会で、ベルリン・フィルのメンバーの誰が出ていたのか、今となっては確かめようがない。ベルリンの有名な管楽器奏者の、ちょうど交代の時期だったようで、昔ながらの名前と、21世紀にかけて現在も活躍中のトップ奏者の名前が並んでいる。
ホルンでいうと、まだカラヤン時代のスーパー奏者、ゲルト・ザイフェルトがいるし、オーボエのシェレンベルガーも、今のトップであるアルブレヒト・マイヤーと並んでいる。クラリネットの有名な奏者カール・ライスターは、すでにいない。この入れ替わりのタイミングで、ちょうど生演奏を聴いていたのだ。





名手パユもすでにソロ奏者で名前を連ねる




ところで、当時、評論家の金子建志氏などがこの時のCDの演奏について、音楽雑誌で検証したりしていたが、今となっては、聴いてみても、何がどう問題とされたのかわからなくなっている。その後の25年で、第九演奏はこの時のアバドのものよりも、もっと大きく変わっていったからだ。
この時の録音盤の解説にアバド自身が一筆書いており、そこではむしろ、奇を衒ってベートーヴェンの自筆譜をあえて演奏することの愚を指摘している。


※参考(写真も同じ)
引用(CD解説 アバド「第九の解釈について」より)

《私が第9番を研究するにあたっては、ペードロ・アルカルデの貴重な協力を得た。私たちがベートーヴェンの自筆譜とジョナサン・デル・マールの原典批評版、その他の音楽学的な資料を検討した結果、いろいろな解釈が可能で、それゆえに決断を求められる箇所は細かく見れば何百とあることがわかった。
(中略)
現代の演奏家の中には自筆譜にある通りの二音をとりたがる人もいる。

ベートーヴェンの様式を考えれば、(中略)
自筆譜にある二音が不注意による誤りであることはどんな音楽家の目にも明らかなことだろう。》






(2)96年ザルツブルグ音楽祭での録音によるアバド&ベルリン・フィルの第九


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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/