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「就活は恋愛と同じ」、ほんとそれ

 私は大学4年のわけですが、お恥ずかしいことに、きちんと恋愛をしてこなかった自覚があります。そして今、就活という壁にぶち当たっているわけです。「就活は恋愛と同じ」「面接は告白みたいなもの」、皆さんも聞いたことあるのではないでしょうか。それです。間違いないです。彼氏ナシ内定ナシ就活生の暴露です、お聞きください。

100%”ありのままの自分”は通用しない

 就活・恋愛のどちらも私の失敗の原因はこれです。”ありのままの自分”を気に入ってくれる企業があるはず、”ありのままの自分”を好きになってくれる人がいるはず、そんな幻想を抱いて生きている22歳。恥ずかしいです。
 ドラマや小説、映画の中ではありますよね、こういう現象。それを現実に期待しちゃいけないんだって気づきました。私は別にドラマや小説を真似ているつもりはなかったのですが、無意識のうちにそんな期待があったんだと気づきました。

あざとくなれない恋愛と

 私は昔から男っぽいキャラというか、究極のドMだったこともあって、男子から恋愛対象として意識されるというよりは、男友達と同じ感覚で仲良くしてもらってました。だからわりと男子の友達が多かった。よくある話ですが、それが原因で女子から嫉妬されたり、変な噂を流されたりすることがありました。その現象は小学校高学年から増え、中学に入ると顕著になり、嫌気がさした私は、”好きな人なんていない” ”男に興味ない”キャラを作り上げてしまいました。中学2年くらいから。そうすると私は生きやすくなった。
 男子とは今まで以上にお互い意識することなく仲良くできるし、女子も「〇〇(私)はああいう人だから」「男子に全然興味ないんだってー」って感じで、勝手にライバルから外してくれて、敵を作らずに幅広く親しく慣れました。(そう、この”女子というだけで勝手にライバルにされる感じ”が私はすごく苦手でした。だから、あからさまに私は違うんだってアピールして、みんなのライバル候補から外されたかったんです。この話を詳しく書きたくなったら別のノートで書きます)
 偶然中学の同級生はいない高校だったのですが、このキャラは持続させました。高校でもいじられキャラとして男女ともに仲良くしていたので、”男に興味ない”って全力でアピールして、「〇〇(私)は男子みたいなもんだもんねー」って周りの人を安心させることが不可欠な気がしました。

 でももうその頃には、”男に興味ない”キャラを作っているのか、それが本当の自分なのか、わかんなくなっていたのかもしれません。好きな人はいたんです。結構その感情は人並みで、高校の間も2〜3人、”気になる”から”好き”くらいの間の男子はいました。でも自分の中でも友達としての仲の良さが好きだし、それを壊したくないという思いがあり、何かアクションを起こすには至らなかったんです。そして「”男に興味ない”キャラとして生きてきた私が、突然、恋愛対象として誰か男子に近づいてそういうそぶりを見せたら、キモいんじゃないか」という考えが常に頭を支配していました。もうこれが終わりの始まりでした。
 大学に行ってからもそれは直らず、好きな人ができても恋愛に発展するかもしれない場面でも、「恋愛をしてる自分がキモい」って思ってしまうんですよね。他の女の子がするような相手を振り向かせる行動ができなくて、自分はそういうの興味ないっスみたいな態度を取ってしまいます。
 
 でも実はそれだけじゃなくて、心のどこかで、”そういう自分のことでも好きになってくれる人がいる”って期待してたんだと思います。女の子らしくなくても、誰かを振り向かせるような行動をしてなくても、いやだからこそ、そんな私を好きになってくれる人がいるんじゃないかと。そうやって自分を偽らずにありのままの自分を好きになってもらえれば、それこそが幸せだと。そんな”純粋”な自分にどこか満足していたんだと思います。

都合のいい答えができない面接

 さて話は変わり(戻り?)就活ですが、何がダメって面接がうまくいきません。公言している通り、第一志望は記者なんですが、他の業界も結構たくさん受けてました。理由は、記者だけに絞るのは不安だった(採用数が少なく、私は全く準備をしていなかった)から、そして記者の募集が少なかった(就活を始めた時には2社しか受けれない予定だった)からです。ありがたいことにESやテストはほとんど通り面接までは進めるのですが、基本的に1次面接で落ちました。いくつかの企業の面接で落ち続け気づいた原因は2つ。「本気で御社に入りたい」という熱意が伝わらないこと、その企業が求める人物を装えないこと。
 「本気で御社に入りたい」という熱意が伝わっていないことについて。「嘘」というタイトルのnoteでも書いた通り、「御社が第一志望です」とどストレートに言える質問はなかなかされません。就活状況を聞かれ、他に受けている業界・企業を具体的に答えます。アホな私はどこを受けてても馬鹿正直に「御社の他にはコンサルと総合商社と記者を考えています」と答えていました。そして「それはだいぶ異なる仕事のように感じますが、、、ウチとは違いそうですね」と言われておしまいです。どんまい。これについては、さすがにやばいと思って友人や先輩に相談すると必ず「他の業界は言わない」という鉄則を教えていただき、それに従いました。でも、壊滅的に嘘が下手なので、信憑性はほぼゼロです。
 2つ目の、その企業が求める人物を装えないことも結局は同じ問題に感じます。嘘がつけない。というより、つきたくない。だって、本気になれば誰だって嘘はつけると思うんです。だから私は「嘘がつけない」と言っている自分は、ただ「嘘をつきたくない」だけだってわかってます。もっと言うと、心のどこかで”嘘をつかない自分”を気に入ってくれる企業があるはずだと、期待していたんです。嘘をつかずに正直に生きている、自分らしくありのままで生きる、そんな”純粋”な自分にどこか満足していたんだと思います。

キレイな世界に住み続けるオコチャマ

 そう、私はいつまでも”純粋”でいたいんだと。キレイゴトに囲まれて生きていたいんだと。つまり、いつまでもどこまでも誰よりも子どもなんです。オコチャマ。だって、好きな人を振り向かせるためのあざとい行動とか企業に気に入られるための嘘とか、みんな別に好き好んでやってるわけじゃないと思うんですよ。そんなの無ければ、ありのままの自分で勝負できれば、それはもちろん良いってことくらいわかった上で、それでも、自分の希望を叶えるためにやっているわけじゃないですか。なのに私は、まるで他の人には無い倫理観が自分にだけ存在するかのように、「私は偽りたくない」って、自分だけ正しさを守ってるような顔して。そんなこと、みんなとっくに気づいて、嫌だなって思いながらも乗り越えてるのに。「ありのままの自分で勝負したい」なんて、そんなのただ勝負する勇気がないだけだ。

 「嘘」に書いたように、もちろん、嘘をつき始めるとそれを守るために嘘を重ねる必要があり、自分自身が苦しくなる。だから嘘をつくべきではない、という主張には変わりない。でも、上で私が”偽りたくない”と言って否定してきたものは、嘘や偽りではないと思います。それこそ、むしろ”純粋”な努力だと思います。志望する大学に行くために、必要な学力をつけるまで勉強した。部活での記録を伸ばすために、必死に分析して練習した。それらの努力と全く何も変わらない、”純粋”な努力なんだと、今ならわかります。
”ありのままの自分を愛してくれ”なんて、相手に甘えてるだけだった。

ちゃんと、恋愛をしようと、心に決めた

 この文章は、反省文みたいなものです。恋愛することを、人と真正面から向き合うことを、避けまくって生きてきたツケが回ってきて苦労している私の反省文です。読んでくださった方にとっては何世紀も前から気づいているようなことだったかもしれず、何を言いたいんだコイツはって感じだったと思います。
 もし、なんとなく共感したとか、ハッとしたとか、思ってくださった方がいたら、参考にしてくださると嬉しいです。勉強とか部活とか、わかりやすい努力じゃなくても、真っ当な努力っていくらでもあると思います。一見、それらは不純なものに見えてしまいますが、努力の種類に優劣はないんだなって、改めて感じました。

 ダサいとかかっこ悪いとか正しくないとか、そんなこと言ってないで、ダサくてかっこ悪くて正しくないのが自分なんだと認めて、希望を叶えるためのあらゆる手を尽くせる人間に、私はなりたい


※私は恋愛対象が男性の女性なので、それを前提とした文を書いていますが、恋愛の形も対象もいくらでもあると思うので、そこを限定するようなつもりは一切ないです。また、(文全体を読んでいただければわかると思いますが)恋愛するしないも自由なので、恋愛至上主義とかでは全くないです。私が苦手だからこそ、取り上げているだけです。

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