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徳用厚揚げと濡れ衣キツネ

 キツネの好物は油だそうで、油揚げやら厚揚げやら天ぷらなどをぶら下げて夜道を歩くと、決まってキツネに惑わされ身ぐるみ剥がれてしまう、という民話が多くある。

「でもこれって実際はキツネもタヌキもいないのよね。登場するのは人間だけ」
 子供の頃に読み聞かせをしてくれた大人が、そんな不思議なことを楽しそうに話していたのをふと思い出し、今になって「なるほどな」と思うのである。

「夜道を歩く」とは、たいがい酒を飲んだ帰り道のことであろう。
 有り金ぜんぶ飲んでしまって、罪滅ぼしに家族に油揚げでも持って帰るのだけれど、なんせ酔っぱらっているものだから、すっころんでぶちまけてしまったり、あちこちふらふらしているうちに腹がへって自分で食べてしまったり。

 民話の多くはこうした事実を語っている。いわば失敗譚だ。酔っぱらいのドキュメンタリーである。
 人間がみっともない失敗をするたびに、気の毒にキツネやタヌキというのはなんとひどい濡れ衣を着せられてきたことだろう。あるいは本気で、自分の非を認められない人というのは、「これは魔物の仕業なのだ。おれは悪くない」などと思い込んでしまえるのだから、魔物よりよっぽど禍々しい。
 我々にしてみれば「キツネに化かされました」なんておとぎ話にしか聞こえないが、現代語に訳すなら、例えば「ブレーキを踏んだけど効きませんでした」とか、「覚醒剤をやった人の汗がくっついただけです」とか、「よく知らない人なのでマザームーンと呼びました」とか、「これは何かの陰謀です!」とか言うのと同じだ。本人はそれらしいことを言っているつもりだろうが、ドン引きの言い逃れである。

 そしてあっぱれ、百年後には我々もまた民話となるのだ。語るのは後の人である。煮えたぎったマグマのほとぼりが冷め新しい大地ができあがる頃、人々は古い記録をほじくり返し、人類の愚かな失敗を未来への教訓として語り継ぐのである。
「昔々、プリウスに乗ったおじいさんがおったそうな」ーーと。

 さて私の好物は、近所のお豆腐屋さんに毎朝ならぶ、徳用厚揚げである。ここ数年で20円値上がりしたが、それでもいまだ12個入りで130円とは、ありがたい。
 私は酒も飲まないし、夜道もほっつき歩いたりしない。しかしながらキツネのほうでも昼間だって出歩きたいのだし、案外、我々は住宅地の角を曲がったところで鉢合わせしてしまったりする。キツネも私も思わず立ち止まり、互いに睨み合う。
「この厚揚げはやらないぞ。私は酒を飲まない善良な人間だぞ」
 冗談まじりでそんなことを呟いてみる。するとキツネのやつ、にやり、と笑うのだーー。

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