セブン デヴィッド・フィンチャー監督作

最近ふと思って見返した。ヒット作なので観た事ある人も沢山いるのではないか。血気盛んな新人刑事と引退間近なベテラン刑事のコンビがある猟奇連続殺人犯を追いかける話である。この作品は、人々の無関心がテーマになっており、分かりやすい位に至るところでそれが強調されている。世の中終わっていると言っているわけだ。主演で新人刑事役のブラピは、単純であるが類稀なその熱意で荒廃した世界を駆け抜ける。相棒の老刑事は、そんな世の中に対して後向きであり、当初事件解決にすら消極的であったが、若い彼と接する内に活力を取り戻していくという流れである。ベタと言えばそうなのかもしれないが、やはり彼等の心の交流が一番の見所だろう。本編を知っている方であればラストにおける衝撃的展開を恐らくは見所とするだろう。それはその通りだが、薄暗くしとしと雨の振る世紀末感を映像の中で継続して表現して来たのに、一転カラッと晴れた中で客寄せパンダ的過剰演出を用いたのは少々残念であった。
ところで、無関心の病が重要テーマであろうと最初に述べたが、周りだけがおかしいのではなくそれにぶつかって行く新人刑事自身も実は病におかされている様子が描かれている。老刑事の視線は密かに、痛みとしてその事実を捉えている。そういう忘れがちな客観性を思い出させてくれた点も良かった。
ただ、無関心を世紀末の根源と見るのは果たして正しいか?価値観の氾濫が要点なのであって、それに対する適度な無関心はむしろ健全な態度だろうと正直僕は思っている。
先日会社の人と高校野球の話をした。彼は甲子園常連校からスカウトされる位の腕前だったらしい。弱小校出身としての意見が聞きたいという事で受けた質問がこうだ。
「大阪桐蔭とか横浜に負けて何故泣くんですか?」
僕達は三年の夏負けたら泣くもんだと何処かで刷り込まれていないだろうか?テレビの熱闘甲子園に頭が洗脳されているのである。こういった価値観の押し付けを数え出したらきりが無い。何時ぞや詐欺師を見分けるにはどうしたら良いだろうと日記に書いた事があった様な気がする。一流に嗜むのが良いだろうというのが一つの意見だ。もう一つは、頭の後頭部を誰かに引っ叩いて貰うと言ったら冗談になるが、己の無力を痛感し心から涙を流す経験があったら目が覚めると思うのだがいかがだろう?現実世界に根ざした価値観だけが自分の前にぼやっと浮かび上がる感覚。無関心は有用な関心へと移って行くであろう。

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