高校世界史復習 トルキスタン パート2 遼の躍進
・9世紀に、イラン系のサーマーン朝がブラハを都に中央アジア西側で建国
→サーマーン朝は、軍事奴隷が権力を握って衰退。10世紀にトルコ系のカラハン朝により滅びた。
→この軍事奴隷をマムルークと呼ぶ。マムルークの勢力は、13世紀にアイユーブ朝を倒す
→そのアイユーブ朝を立てたのはサラディン
・中央アジアの大部分は「トルコの土地」を意味するトルキスタンと呼ばれる
・イスラーム化した方のトルコ人は、西進して11世紀にセルジューク朝を建て、バグダードに入場。また、13世紀にアナトリアにオスマン帝国を建国
・ウイグルがキルギスに滅ぼされ、トルコ系部族が西側に移動すると、モンゴル系の契丹が東側で栄えた。
・契丹の太祖耶律阿保機が遼を建国し、渤海(ぼっかい)を滅ぼした
・遼の第2代太宗は、燕雲十六州を手に入れる→征服王朝になった
・唐の滅亡をきっかけに、朝鮮では王健が高麗を立てた
・同じ頃、中国南西部の雲南では南詔から、大理へと政権が交代した
→更に同じ頃、ベトナムでは李氏が大越国を立てた。
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