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親になってはダメな毒親15…小学校生活の締めくくりは「親に問題あり」

六年生になった!
四年生から三年間クラス替えがなかった

児童の人数が多いので
沢山の友達と関わり合いをもって人間関係を学ぶ上でも
クラス替えって重要と考えるのに、

三年間、クラス替えがないというのは珍しいケースだったのではと思う

この当時はまだモンスターペアレンツという言葉もなかった時代。

わが子を大変お世話になっていると
先生という名の付く方に対して尊敬と敬意を表していた。
それが当たり前だった。

両親は時代を何十年も先取りしたような
モンスターペアレンツ!

・授業参観や父兄会に参加しない!
・学校行事に対して非協力的
・父母教師会も非協力的
・私に対しての忠告に対して聞く耳持たない

それでいて何か問題があった時は鬼の首を取ったように
学校にクレームを言う!!

ひとクラス何十人もの生徒を一人で受け持っている教師側からすると
クラス運営をする上では私は足かせになっている訳だ。

他人事の教師からすると
こんな親子とは関わりたくないというのが心情だろう。

クラス替えをする事で、誰かは私を担任をする危険性があるので、
ある面は私は「当たりくじ」という訳・・・悪い意味で・・・

これがクラス替えをしなかった理由だったのではないかと思う。
しかし、誰かはクラスを担当しないといけない!!

運悪くクラスに当たってしまった教師は、
一年間、あの親となるべく関わらない様に、刺激しない様に
何とか穏便に平和に一年を過ごせる様に願うだけ!!

だから、担任の先生3年間で三回変わった!!

六年生の担任の先生は生徒からは人気もので評判の良い先生だった。

靴下を洗濯して窓際に干したり、当時流行りの踊りをみんなの前でしたりして
大うけだった。

私へのクラスの男子からのいじめは相変わらず激しかったが、先生は見て見ぬふり!!

時々先生の前でにどうどうと私のカーディガンを投げては
汚ねぇ~とまた誰かに投げて・・・盛り上がり、

たまたま、先生に当たった時は生徒から
ばい菌と言われ
先生は大笑いしていた。

その様子を傍観するしている人、一緒に笑っている人様々

私は辞めてくださいとも言えず、ジーっとこの様子を見ているだけだった。

先生は私以外の生徒に対してとても熱心で、
小学校最後にあの先生で良かったぁ~としみじみ語っていた。

しかし、私に対してそんな記憶は全くなかった。

小学校から中学校へ・・
学校での様子や成績などされる報告書である指導余禄の注意事項として
この六年生の時の担任の先生が
「親に問題あり!!」と記入した。

その年の夏!
家を新築して大学教授が多く住むと言われている高級住宅地に引っ越した。
近所には黙って、まるで夜逃げするような感じでコソコソ引っ越した。

憧れの二階建ての家に住めるのが夢のようで、二階が私たち姉妹の部屋だった。

夏休みが終わって、転校して来たばかりの女の子と友達になり、
数少ない友達数名を家に招いたことがあった。
一緒にバスに乗った。

ところが、
学区外という事で、それが問題になり、先生に職員室に来い!と呼ばれた。

表情のない顔で事務的に
「友達をあなたの家に連れて行かないでください!迷惑だから・・・」と一言バサッと言われるだけで帰された

私は「誘わなければ良かった!」と
ますます自分が嫌いになった。

社会科のテストで初めて満点を取った!!
返ってきた答案用紙に「100」と書いてあった用紙をみて
信じられなかった。
テストは珍しく簡単に感じた。
周りの勉強のできる子より良い点数だった!!

家に帰って父も見せた!
「でかしたぞ!!よく頑張ったな」と珍しく上機嫌だった。

が、通信簿で社会科の評価は

「1」だった。

不服に思った母は担任に抗議した。

「カンニングしたんでは?
あの子そんなにできるはずないから・・・」

そんな一言が返ってきただけで、相手にもされなかった。

卒業式

一人で参加した。」
その当時は卒業生は進学する中学の制服を着て参加していた。

私は制服は作らないと思ったのでいつもの普段着で出席した。

同級生は学区内の中学へ進学。
私は学区外なので引っ越し先の学区の中学に進学する。

同級生とはここでお別れだ。

もうカーディガンを投げられたり、一メートル四方をわざと離れて歩いて
汚い、臭いなど言われる事もされる事がなくなるが、
新しい中学でも同じことされるのかなぁ?と思った。
 
中学生になると制服を着るんだろうが、
多分、制服を購入する事はないんだろうなぁ~と
諦めていた。

皆、卒業式の帰りはおかあさんといっしょに校門を出て家路に帰る中、
私は独りぼっちでとぼとぼとバス停へ歩いていた所途中
後ろから声を掛けるおばさんがいた


「おかあさんは卒業式に来ていないのぉ?」
「お母さん!学校へ来れないのかしら?」
「一人で帰るの寂しくないの?」と他の2人のおばさんと薄気味悪い笑い声が聞こえ、何も答えないで途中で別れた!

こんな風にみじめみじめに終了した小学校生活だった









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