劣等感(コンプレックス)の超克 Part2(霞ヶ関での武者修行)
前回の続きです。
私、桐島のコンプレックス記録@霞ヶ関です。
入省4年目(目の前真っ暗の法律改正:やればデキルを信じて)
さて、入省4年目の6月になって、なんと、私が全く興味のない環境系の部署に異動になりました。
私は抽象思考が苦手です。その私の前に現れたのはなんと「排出権」、、、
さて、官僚は部署異動の度に3ヶ月で案件にキャッチアップしなければいけないため、まずは絶対読んでおいた方が良い本を、前任や周りの人に教えてもらいました。
そこで紹介されたのは、「排出権商人」!!!でした。
排出権とは、目に見えないCO2(温室効果ガス)の排出の削減分を取引(トレード)する権利です。
「空気が大金に化ける」と言われ、温暖化防止の美名の下で生まれ、温室効果ガス削減か、排出権の購入をしなければいけない新たな市場に群がる商人の話です。
この書籍には、職場で1メートル以内で一緒に働いている方も交渉官として登場していて、少しだけ苦手な環境系の部署に親近感を持てました。
ちなみに、以前の部署での必読本は、山崎豊子さんの「華麗なる一族」でした。そこでも、まずドラマを見て仕事のモチベーションを爆上げしました。
他省庁との調整コスト
排出権取引に関わる新しい課での仕事は、他の省庁との調整が必須でした。
自分の省庁だけでは何一つ物事を決められないため、毎回の調整コストが大きく時間を要しました。
そのため、周りの先輩方が取っていたのは、他省庁の窓口の方々と定期的に懇親会を開いて距離を縮めて、仲良くなるという戦術でした。
先輩方に誘ってもらったおかげで、距離の縮めることで仕事の効率が圧倒的に上がることを学びました。
更に、毎回3省庁で調整していたため、まずは1つの省庁を味方につけて内容を握って固めてから、もう1つの省庁と勝負をするという2対1の多数決原理を活用して、効率的に仕事を進めるスキルが身につきました。
先輩方とのコミュニケーション
前の課の時は、私(係長、入省2年)の隣に、係員(入省1年目)がいました。私は、上司として十分な指導をできたとは言い難く反省しています。
入省4年目では、私(係長、入省4年目、キャリア国家1種)は6人の班の班長になりました。しかし、周りの方は大ベテランの先輩ばかりでした。
みなさま、係長(入省5~12年目ぐらい、国家2種or3種)ですが、入省年次としては大先輩でした。
※ちなみに課長補佐と課長はキャリア(国家1種)でした。
このなかでは、人間関係が重視されます。
私は、係長の方々をうまく束ねつつ、課長補佐や課長との架け橋にならなければいけません。
そして、最も重要なのは、先輩係長の方々から可愛がってもらうことです。
少しでも生意気だ、仕事ができない!と思われてしまえば、自分に情報が入らなくなってしまいます。
そのため、目の前の仕事に一生懸命に取り組みつつも、「先輩方の仕事もしっかり見てますよ~!、何か困った点があれば相談下さい」という丁重な姿勢が常に求められました。
ここでの人間関係で信頼を築き上げるのは非常に苦労しました。
仕事もバリバリやりながら、先輩の雑談などにも付き合わなければいけないというマルチタスクを強いられました。
1年生の時のぷよぷよで言えば、周りの人とコミュニーションをしながら、ぷよぷよをプレーすることになりました。
一気に難易度があがりました。
そして、優先順位付けができなかった結果、課長補佐から怒られました。
「桐島君は、雑談に付き合うのはいいけど、仕事が疎かになっているから、目の前の仕事にもっと集中した方がいい!」
これ以降、先輩係長から雑談を振られたときに、「あ、先輩、いまちょっと一瞬で片付けなければいけない案件があるので、これ終わってからでも大丈夫ですか?」という身のかわし方を身につけました。
法律改正、、、
6月に着任して僅か1ヶ月後に法律改正の仕事が舞い降りてきました、、、
謎の法律改正です、、、
私の省庁が所管している独立行政法人の業務内容をいじる法律改正でしたが、~の業務を●●年度末をもって「廃止するものとする」という文言がありました。
時限立法(とある業務を実施する期限を区切る法律)であったため、それを「廃止するものとする」と記載がありました。
この法律改正を通じ、我が省庁の官僚が如何に議論好きかがわかりました。
これらの議論を時には局長室に入りずっとしていました。
もちろん、資料は私が作成します。そして課長補佐に確認てもらいました。
最終的には、単騎で法律改正をすることになりました(業務廃止のSingle Issueのため、この1つの法律をこのように改正するという法律を作る)
それからは、周りの注目度は一気に下がりました。
議論している内が華です。それが終われば、みんなの関心は他のことに移ります。
そのため、なんと、この法律改正は、あまりに簡単なので、私、桐島が通常業務をしながら、担当することになりました、、、
前の記事で、省庁の組織は以下ですと解説しました。
大臣官房総務課(大臣に近い省内トップに君臨する課)→局の総務課(事業部単位のトップの取りまとめ課)→各原課
なんと、法律改正においては、
大臣官房総務課(大臣に近い省内トップに君臨する課)+各原課のコラボレーションが起きます。
なぜなら、法律は、国会で審議されるからです。
その国会の審議の際に、野党議員から質問を受けるのは、省庁の政務3役(大臣、副大臣、政務官という政治家)になるためです。
そのため、大臣に近い大臣官房総務課の法令担当官が、法律改正業務に関与することになります。
法律苦手(コンプレックス)
ここで、最大の問題は、私が法律に大の苦手意識を感じていることでした。
大学で経済学を専攻し、法律は一切学んだことがありませんでした。
しかし、私が法律改正業務を希望したからには、責任を持ってやりたいと思っていました。
しかし、法律改正には、謎の独自のツールやルールがありました!!!
まずは、法律改正には、マイクロソフト社のワードではなく、謎の「一太郎」というソフトを使います!!!
これが、慣れるのにかなり時間がかかりました。コピーペーストもしにくいし、本当に不便でした。
更に、こより、黒本のコピーなどの謎ルールが沢山ありました。
国会に提出する法案は(1)条文案(2)要綱(3)理由(4)新旧対照表(5)参照条文で構成される「5点セット」が必要です。
重複作業が多く、作業量が多いです。
また、法律用語は厳密で、何をいじくるにも、1つ1つ過去の用例検索をして、過去の法律改正でこの用例を使用した実績がある→今回もできる、という説明が求められます。
ここでも、ポンコツぶりを発揮して、当然やれるべきことをやる水準に達していなかったため、何度も間違いが発生し、大臣官房総務課の法令担当官には多大な迷惑をかけてしまいました、、、(今でも猛省しています)
内閣法制局
私が法律改正で初めて知ったのは、内閣法制局の存在です。
そもそも、日本は議員(Lawmaker)が法律をあまり作らず、省庁(内閣)が法律を作ることが一般的です。
議員が作った法律は議員立法は全体の10%以下で、内閣が作った閣法が90%以上を占めます。
つまり、官僚がLawmakerになっています。その中でも、その法律を審査する部署が内閣法制局です。
お金=財務省とすれば、法律=内閣法制局が全ての権限を持っています。
法の番人=内閣法制局を通過できなければ、その先のプロセスに進めません。
厳格な法律用語一言一句に説明を求めてくるのは、内閣法制局です。
そのため、緻密な作業を積み重ねることになります。
この法律改正は、私にとってかなり苦痛でした。
大雑把な仕事をしてきた私は、作業を「詰める」という霞ヶ関で要求される基本動作の水準(standard)が理解できませんでした。
しかし、法律改正を通じて、はじめて「詰める」という言葉の意味がわかりました。
激務の果てに、、、
通常業務と兼務で激務だったこともあり、知らず知らずにストレスが溜まっていました。
とある日に自宅で夜に起きて、トイレに駆け込んだ後に、体が動かなくなりました。そのままうずくまったまま、朝になって病院に向かって点滴を打って、入院して、休息を取りました。
急遽、1日お休みしましたが、翌日には職場にいかないと、仕事が溜まってしまうため、長く体を休めているわけにはいきません。毎日、切迫感に追いつめられていたという事がわかりました。
法律改正の業務は、時間との闘いで、1月から開始する通常国会に間に合わせるため、閣議決定←法制局了(OK)←省内了のプロセスをどんどんこなさなければいけません。
担当が自分1人で、当時はアルバイトの方も、課長がコネクションで直接雇った年配の方で、仕事を引き受けてくれないクソ野郎だったため、土日に出勤して、コピー取りの作業をしました。
誰もいない職場で虚しく、悲しくなりました…泣
閣議決定の後も、事前に議員への根回し(説明や資料のお届け)が必要で、気が抜けない期間が、4月まで続きました。
7月から翌年の4月まで、足かけ10ヶ月。
やり切ったと言い切るだけの自信はありませんが、この法律改正の作業を通じて、自分の性格が緻密に物事を詰めるタイプに変化しました。
ブルーカラー・ワーカーorホワイトカラー・ワーカー
この10ヶ月の法律改正期間に、排出権取引の通常業務を行っていました。
そこで、課長から、「排出権の測定の新しい考え方」を考えて、検討会議を立ち上げるように、業務命令を受けました。
興味の無い環境で、徐々に排出権取引の業務に慣れてきたところだったので、「は、この課長は何を言っているんだ?!」と思いました。
1週間して、課長に簡単な2ページの構想資料を見せたところ、大激怒されました。
「(中略)お前は、こんな文章力だったら、一生ブルーカラー・ワーカーだぞ!このままじゃ、一生ホワイトカラー・ワーカーになれないぞ!」
大激怒の周り、周辺の課の人もざわついていて、後で個別に「桐島君、大丈夫だった?」とフォローして下さる人もいました。
確かに、私は、文章を書くことに苦手意識を持っていました。
なぜなら、文章を書いた経験があまり無かったためです。
2、3年目の部署でも、大量にパワーポイント資料を作成していたため、ワードである程度のまとまりのある文章を作成する訓練を怠ってきました。
2、3年目の部署でも総括補佐から
「桐島君!、パワーポイントは体現止めで文書がどうしても短くなってしまうから文章作成の訓練にならない。君はそろそろワードで資料を作成した方がいい」
と言われましたが、ワードで文章を作るのは苦手だったためサボってしまいました。
そして、そのツケが入省4年目でやってきました 泣
まずは、資料を大量に読み込んで、その言葉をコピペしながら、新たな文章を作ったところ、また、怒られました。
「お前、これは大学生のコピペのレポートじゃないんだから、ちゃんと中身のあるものを作ってこい!」
その後、自分の考えたことを正確な単語に落とし込むことを意識しました。
そして、概要がようやくできました。
タイトルは「日本の技術を通じた国際貢献の拡大事業」になりました。
その後は、コンサルを雇う→有識者を集める→コンサルに資料作成の指示を出す→有識者検討会議をやる→レポートに結果をまとめる、という作業をやりました(役所の典型的な委託調査事業です)。
この委託調査事業は、2、3年目の課でも1人でやりきって力がついていたため、全速力で終わらせました。
4年目の成果と課題
法律改正業務と並行して、委託調査事業もして、通常業務も抱えるという、鬼のようなスケジュール管理能力が身につきました。
しかし、最大の課題は、
文章作成能力がないことでした、、、
課長の「ブルーカラー・ワーカー」という言葉は、心の奥底に澱(おり)となって積もっていたものを、海中に浮かばせる効果がありました。
その後、文章作成能力のなさのコンプレックスと闘う日々が始まりました。
この人生を賭けた闘いについては、次回に紹介します。
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