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56.アンテロープキャニオン、モニュメントバレーとナバホ族(アメリカ南西部ツアーPart4 アリゾナ州、ユタ州)

前回の続きです。

グランドキャニオンからアンテロープキャニオン、そしてモニュメントバレーに向かったのは、2018年3月19日のことでした。

グランドキャニオンから西側に進みキャメロンという特に何もない場所に到着してから、アンテロープキャニオンまで北上する時のことです。

少し不思議な感覚を覚えました。アメリカのようでアメリカでないという感覚です。それは、途中のガスリンスタンド(Gas Express)に立ち寄った際に確信に変わりました。

店員さんの写真は撮りませんでしたが、ガスリンスタンドはこんな感じでした!

店員さんが、インディアン系なのです。どちらかというと白人よりも圧倒的にアジア系の自分に近い雰囲気がしました。

“Navajo Nation Reservation(ナバホ族の保留地)“

そこですぐにGoogle Mapで調べてみると、どうやらここは“Navajo Nation Reservation(ナバホ族の保留地)“のようです。

ナバホ族はアリゾナ州の北東部からニューメキシコ州にまたがるフォー・コーナーズの沙漠地帯に、一定の自治権を保有した「ナバホ・ネイション (Navajo Nation)」として、アメリカ最大の保留地(Reservation)となっていることが分かりました。

ナバホ族の保留地のなかにホピ族の保留地が存在するのは、「ロング・ウォーク」が原因です!

これは、1863年に実行された、エイブラハム・リンカーン大統領の指示によるインディアン民族の強制移住計画によるものです。

ナバホ族インディアンが米軍によって20日以上500kmの徒歩の旅を強いられ多くの人がその道の途中で命を落として、ニューメキシコ州南東部の強制収容所へ移住させました。
1868年には以前の土地への復帰が認められ、その間にホピ族の一部が定住していた土地以外の土地を保留地として認められました。

ナバホ族の旗
アメリカにいるインディアンの散布図、これを見るとアリゾナ州に多いことがわかります。全米のインディアンを詳しく知りたい方は、『アメリカ先住民を知るための62章』を参照下さい!


19日に訪れたアンテロープキャニオンとモニュメントバレーはナバホ・ネイション内にある観光地で、ナバホ族の貴重な雇用・収入源となっています。

この2つはアメリカ合衆国の国立公園ではありません。そのため、80ドルで1年間有効の「アメリカ・ザ・ビューティフル・パス」という国立公園無料パスも使用できません。

私はこういった事前知識が皆無のまま、アッパー・アンテロープキャニオンに行ったことを後悔しています。

アンテロープキャニオン

アンテロープキャニオンは、50ドルで1時間30分のツアー形式で、集合場所から乗り合いのジープに乗って1グループ10人ずつぐらいで係りのお姉さんについて行く形式でした。
ジープの中では携帯(iPhone、Samsung)を使用しての写真撮影テク(Warmを使うと綺麗に取れるというもの)を教えてくれました。

ジープを下りた後、この穴から入っていきます

お姉さんは洞窟の中でも写真を大量に撮りまくるサービスを提供してくれましたが、アンテロープキャニオンの歴史を知りたかった私はすぐに退屈になりました。

このお姉さんはそもそもガイドのお姉さんというよりは、観光の円滑化と貴重な収入源を確保するための係りの人という位置づけだったということは知る由もありませんでした。

ドラゴンのように見えます。お姉さんに撮影してもらいました
一方通行で出口に一度出ると、また同じルートを戻ります。帰りは10分で戻りました(笑)
爬虫類好きの私は、擬態するトカゲを見つけ嬉しくなってしまいました(*´ω`*)

モニュメントバレーも遠くから見るだけで満足してしまいました。事前にナバホ族の歴史を勉強してからこの2つのサイトを訪れたら、少し違う発見があったかもしれないと思って後悔しています。

モニュメントバレー

「アメリカ合衆国は歴史が浅い」と良く言われますが、ここ、モニュメントバレーは、アメリカ合衆国が建国される遥か昔からこの地に住んでいたナバホ族の聖地です。

この地が、赤みがかっている理由は、ロッキー山脈からの鉄分を大量に含んだ川の流れが、下流地域一帯に沈泥となって堆積し、当時の酸素濃度は現在よりも高かったため鉄分の酸化が急速に進み茶褐色の地表となったためです。

ホーガンと呼ばれる伝統的な家

ナバホ族と日本の関係

このナバホ族は日本との関係もあります。

第二次世界大戦では、ナバホ族が暗号兵として米軍に採用され、約400名がサイパン島、グアム島、硫黄島、沖縄戦に従軍した。

文字が存在せず、ナバホ族以外の人には習得が極めて困難な特殊な言葉を駆使し、傍受される可能性が高い無線交信に従事した彼らは「コードトーカー(Code talker)」と呼ばれ、情報戦で日本軍を圧倒し米軍の勝利に大きく貢献しました。

また、ナバホ居留地ではウランの採掘がおこなわれてきました。第二次大戦以来、ウランが連邦政府によって採掘されて残滓が放置されたことで、ナバホ族はウランの危険性を知らずに家(ホーガン)の材料にするなどして汚染が広がり、人的な放射能被害が深刻となりました。日本の広島・長崎と同様に彼らも放射能の被害者となりました。

また、茶褐色の地表に含まれる鉄や石炭などの利権を狙って電力会社や鉱山会社が一気に進出したことで、大気汚染、水質汚染等の問題もあるようです(保留地に生きるディネ(ナバホ族)の現在-開発と環境問題を中心に-天野圭子より)。

中国のラオス進出と同様の現象が、アメリカ人とインディアンの関係で近年でも起きていることがわかります。経済的な弱者はいつの時代も搾取の対象になり得るものです(中国のラオス進出に関しては以下を参照下さい)。

ラオスの場合もそうですが、開発の一番大きな問題としては、急激な開発による汚染物質の排出と人体への影響と、急速な資本流入による経済格差の拡大である気がします。

インディアン同様に、ラオスの少数民族も古き良き伝統が失われてしまい、コミュニティが分断されてしまう危険性があるのだと思うと、やり切れない気持ちになります。私たちが一個人として出来るのは、観光客として出向く際に、一か所で大量消費するのではなく、うまく分散してお金を使うということかと思います。

アリゾナ州・ユタ州にきてラオスを思い出すなんて、不思議な気持ちになります。次回はいよいよこの旅のメイン、コロラドスプリングスの空軍士官学校の特集になります。

それでは、以下は、グランドキャニオンからアンテロープキャニオンまでのドライブウェイの景色(時系列)になります。

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