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4限目:ODAと東南アジア(国際協力編)

御無沙汰しています。桐島です。
さて、今日はODAと東南アジアという話題です。「神鷲(ガルーダ)商人」を読んで、戦後賠償とODAがいかに密接に結びついているのか、ということに興味を持ちました。

そこで、今回は、ODAを取り上げます。
まず、まずは「神鷲(ガルーダ)商人」を再度紹介します。
個人的に表紙の写真が好きなので、再掲します。

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代表的な建設プロジェクトの流れは以下の図の通りです。日本からインドネシアに支払われる賠償金は、ひも付きという形で、日本企業が受注する具体的なプロジェクトに結びついていました。

現地のインドネシアからの日本に「●●が欲しい」という要請をするという形(要請主義)を取っていたため、商社が具体的な案件を発掘して、日本の政治家を介して、インドネシアのスカルノ大統領に繋いで、ゴーサインを大統領から貰えば、日本の賠償金がその案件に払われる、という流れです。

図の通り、商社から政治家に御礼金(キックバック)が支払われて、具体的な案件は、建設会社(大成建設、大林組)に発注するという形でした。

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こういったものの累積として、日本は以下のプロジェクトを実施して、803億円の賠償金を支払いました。ひも付きのため、結局、日本政府→日本企業に全額支払われました。そして、インドネシアには具体的なプラント、機械類などが残りました。

上の図のホテルインドネシアやサリナデパートは、ホテル建設(74億円)、デパート建設(37億円)に該当します。

スライド5

さて、インドネシアの他には、以下のような国に対して、賠償がされました。ほとんどの国の案件は、ひも付きなので、実際は
Not「賠償金が支払われた」,but「賠償プロジェクトが実施された」
が正しいのです。戦争被害者には、一円も支払われていないのです。

フィリピンが1902億円、ビルマ(ミャンマー)が720億円、インドネシアが803億円、南ベトナムが140億円になっています。

プロジェクトによって日本企業の進出の契機になり、現在、日本企業が進出している主な国=戦後賠償プロジェクトをした国、だと分かります。

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なぜ、戦時中に経済的な被害を与えた日本が、戦後になって東南アジアにプロジェクトを実施することで、経済進出することが出来たのでしょうか?

東南アジアは、過去に支配された国のプロジェクトを嫌がらなかったのでしょうか?

アメリカは、日本の経済進出をなぜ許したのでしょうか?

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これら質問に対する回答は、上図になります。
正解は、「時代が味方した」ということです。
●1949年の中華人民共和国の成立(共産主義の脅威)
●1950年の朝鮮戦争の勃発
により、共産主義の赤いカーテンが中国から東南アジアに引かれ始めます。これを脅威に感じたアメリカが、日本の東南アジア現地進出や、工業製品の輸出を許したのです。
日本を共産主義に対する、Frontier(最前線)、Show Window(資本主義の魅力のひけらかし)にするという作戦でした。

前振りが長くなりましたが、以上が戦後賠償に関しての簡単な振り返りです。

それでは、これからが、ODAに関してです。

日本の東南アジアとの二国間ODAの開始は、戦後9年後の1954年10月にコロンボ・プランへの加入がきっかけでした。
※コロンボ・プラン=東南アジアの経済開発を援助し、生活水準を向上させる目的の共同計画

日本は、貧乏だったので、ODA=①技術協力(技術あげる)+②無償資金協力(お金あげる)+③有償資金協力(お金貸す)、の3本柱のうち、技術協力を開始しました。技術協力で分かりやすいのは、青年海外協力隊です。

以下の図は、日本の金融機関、援助機関の歴史的変遷です。
1954年4月に社団法人アジア協会(外務省と通産省の許可法人)が設立されています。

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●右の緑のアジア協会→JICAに続く流れは、JICAの①技術協力の流れ
●左の紫の海外経済協力基金(OECF)→JBIC→JICAに続く流れは、JICAの②無償資金協力、③有償資金協力の流れ ※JBIC→JICAの流れは次の図参照

になります。

図の変遷を見ると分かりますが、1999年10月まで、JICAの業務は主に①技術協力でしたが、その後に紫のOECFの流れを引き継いで、②、③も実施するようになりました。

そして、OECFはそもそも、岸信介首相が1957年に、東南アジア向けの開発を推進するために設立した「東南アジア開発協力基金」が財源になっていました。

JICAの②無償資金協力、③有償資金協力の生みの親は「東南アジア開発協力基金」ですので、JICAと東南アジアには切っても切り離せない関係があります♪

こんな所に、ODAと東南アジアの関係があります。
戦後賠償→ODAの流れは、東南アジアとの関係が大きかったのです。

スライド9

さて、国際協力=JICAや青年海外協力隊と思っている人が多いと思います。
●国際協力の資金面から協力するのが、国際協力銀行(JBIC)。
●技術面から協力するのが、国際協力機構(JICA)


さて、国際協力と言っても、協力の切り口次第で、各種機関が関係します。

さて、感の良い読者のみなさまであれば、疑問に思うはずです。
国際協力機構(JICA)のODAの③有償資金協力と、国際協力銀行(JBIC)の資金協力って、何が違うのでしょうか?

これは、次回5限目で解説したいと思います。

See you soon.

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