濁流のなかのホームレスはなぜ救助を拒否したか?

2007年9月・・・
台風9号はすっかり消え去ったけど、ワタシのなかでフラッシュバックする映像がある。
テレビで生中継された、濁流の多摩川の中洲に取り残されたホームレスの姿である。
そのホームレスはヘリコプターでの救助を頑なに拒否していた。
「普通」は救助を求める状況なのに、迷うことなく拒否していたのだ。
濁流にながされ死ぬかもしれないのに拒否した。
実際に周りにいた濁流に呑まれた3人は命を落としたのだろう。
そんな危険にもかかわらず救出を拒否していたのだ。
テレビでは理由はいろいろ言っていた。
家財道具が大切だったから、
一旦離れるとその場所をとられるから、
ネコがいたから、
いずれの理由も普通じゃ考えられない。
「普通の社会」の常識ではなかった。

でも、本当の理由はこんなことだろうか?

救出を拒否していたホームレスが罵倒される。
世間からは、「普通」の感情が吐き捨てられる。
「バッカじゃないのぉ~」、
「死にたきゃ、死ねよ」、
「役立たずは死ねばいい」、
「税金がもったいないからヘリ飛ばすなよ」、
「『ゴミ』が一掃されてちょうどいいんじゃないの」。
これが「普通の社会」からの声である。

ふと記憶の断片が甦った。

ずっと昔、ある夜の出来事である。
ホームレス支援をしていたときのこと。
もうどうにも生命がヤバそうなオッサンに出くわした。
地下道に倒れ、立ち上がることもできない。
顔に近づき話しかけても返事はなく、目も虚ろだった。
放置すれば死ぬだろうと、素人目にも感じた。
119をコールし救急搬送を依頼した。
すぐに救急車が到着した。いざ救急搬送しようとすると、
「ほっといてほしい」
オッサンはか細い声で拒否したのだ。
この日の救急隊員は珍しくホームレスであっても優しく対応する人だった。
「病院へ行こう」と、心からの説得をする。
救急隊員は、いつまでも誠意をもって切実にオッサンに話しかけた。
でも、この青カンは道に倒れたまま頑なに拒否したのだ。
救急隊員の横でワタシも呼び掛けた。
支援という立場をのりこえ心より呼びかけたのだが、拒否された。
でもワタシにはオッサンが何故拒否するかうっすらと解っていた。
これは、この社会の拒否なのだ。
この社会にいるワタシの拒否なのだ、と……。
あんた達とはもうかかわりたくない、ほっといてくれよ、と言っているのだ。
ワタシには「もういいから、そっちの社会に連れ戻さないでくれよ」と聞こえた。

そのオッサンは既に一度、「普通の社会」の濁流にのまれて死んでいた。
必死にあがき、社会の切れ端にしがみつこうとしたが、その手をも踏まれた。
そのまま流され、社会の底のドブ板の下の濁った流れに呑まれて死んだんだ。
同じように手を踏みにじられ、濁流に呑まれ死んだオッサンは多い。
そんな風に一度は殺されたオッサンらが集まってコミュニティを作っていた。
濁流の果の箱がけの村である。
その村のオッサンらはこのうえもなく貧乏だった。
「普通の社会」では考えられないような貧乏だった。
仕事もたまにしかなく、時間はあったが、
みなが喰うに困る生活だった。
でも、助け合って生きていた。
ぎりぎりのところで、物だけでなく、多くを分け合って生きていた。

いつかワタシはそんなオッサンらの村をみていた。
その村をいいなぁと思い見つめていた。
「普通の社会」で捨てられた物で食いつなぎ、
生きている村があってもいいじゃないか、と思った。
最悪の環境のなかでも助け合う村があってもいいと思った。
ただワタシには「普通の社会」で自殺してその村で暮らすことはできなかった。
それでもその村は、ワタシにとっても存在意義があったのだ。
でもワタシが捨てきれないでいる「普通の社会」はその村の存在を許さなかった。
ワタシのいる「普通の社会」は、村を疎み、破壊していった。
村の存在を許さず、否定した。
ワタシはそんな「普通の社会」が厭になった。
でも、そこから出て行く勇気は未だにない。

多摩川のことは、報道が言っていた理由、
家財道具が理由でなく、場所取りが理由でなく、ネコが理由でなく、
多摩川のホームレスは「普通の社会」との関わりを拒否した気がしている。
「普通の社会」が自分たちの村に介入してくることを拒んだ気がしている。
村を疎み、破壊を企てる「普通」を拒否したのだ。
え、救助だって、冗談じゃない。
一旦殺された「普通」に引きづり戻されても、また殺される。
もういいよ、ほっといてくれ。

「バッカじゃないのぉ~」、
「死にたきゃ、死ねよ」、
「役立たずは死ねばいい」、
「税金がもったいないからヘリ飛ばすなよ」、
「『ゴミ』が一掃されてちょうどいいんじゃないの」。

なんとでも言えよ。
もうお前らのいる「普通」には愛想つかしたんだから……、
あの濁流のなかのオッサンたちをみながら、
そう、言っているように聞こえた。

これは「普通」を捨てられないワタシの妄想なのだろうか?
オッサンらにも解らないかもしれない。


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毒多

エッセイ

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