見出し画像

弥勒山にて

昨夜の場末の飲み屋の余韻を残したまま早朝からみろくの森へ入った。
いつもの池の周辺ではなく、行ったことのない山側の森。
里山を想像していたのだけど、いきなりの登山道だった。
登山道は西斜面で朝日は射さず明るさも控えめである。
夏の山は何かしらの音がするものだと思っていたのだが、不思議に静まりかえっていた。
蝉もなかず鳥もなかない。人もいない。
ときおり静かな風がふくのみである。
夏の山でも静寂はあるんだな。
異様な静寂が気分を滅入らせる。
昨夜のカウンターで一見の女性客とわざとらしくはしゃぎすぎたバツの悪さを思い出しさらに気分が落ち込む。
いつものように森であればひらめき心が浮かれる光景がない。
蜘蛛の巣もなければ切り株もない。
虫もまったくいないし、花もちらりともない。
そもそもきらめく光がなく、べっとりとした薄明かりに覆われている。
こんな時はありもしない妄想がふいに浮かんだりする。
このまま山を登ると、 山頂でだれかが首を吊ろうとしているのではないか?
突然そんな場面が現れたらどうすべきだろう?
止めるべきか?
なぜ止める?
生きるのがそんなに辛いなら、いっそ、死んでもいいのではないか?
ふとそんな考えが浮かび、消える。
すでにぶら下がっていたら110番かな119番かな?
縄を外して下ろすことはできるのか?
なんだか気持ち悪いなぁ、昨日は飲みすぎたからかな?
黙々と山道を登っていた。
大谷山山頂まであと50mの標識がでたころ光が刺しはじめた。
はじめて登山服をきた老人とすれ違った。
老人は生きていて声を出した。
「おはようございます」
挨拶を交わした。
最初に会ったのが首吊り人でなかったことにホッとした。
そして弥勒山と標識の矢印がさす道に入った。
明るさが増すたびに、すれ違う人も増える。
ただあいかわらず止まって観てしまうような光景には出会わなかった。
人々も森の光景には興味がないように黙々と山頂を目指しているようだ。
弥勒山山頂へむかうための最後の急坂にさしかかった。
そのとき急に蝿の羽音がした。
それも1匹ではなく、2匹3匹と。
蝿の行方をみてみると。
死体が転がっていた。
小さなネズミのようである。
カヤネズミかな、と思った。
登山人はだれも気がつかないほどの土色になった小さな死体。
小さな小さな野垂れ死に。
蝿はたかり死出虫がたかっている。
死出虫が死体の下に潜り込み激しく動き死体が微動させる。
ボクはしゃがみ込みじっと見つめていると一人の登山人に声をかけられた。
なにかいました?
笑顔でといかける善良そうな登山人に、「何かが死んでいます」と答える。
善良そうな登山人は、汚いものを見るような目でボクを一瞥して黙ったまま死体をみることもなく登っていってしまった。
誰も関心をしめさないまま死出虫に食われ消えていく死体の気持ちを想像しながら、途切れていた首吊りの妄想を思い出してしまった。
ボクは一度目を閉じ、死体に別れをつげ、弥勒山の山頂まで登る。
突然森は開けた。
展望台が設置されていた。
明るすぎる青空。眩しいほどの朝日が射す。
山頂には10人ほどの登山人たちがいる。
思い思いの格好でくつろぎ、話をしている。
どこそこの山はどうだった。という具合に。
展望台からはボクの住む街が一望できた。
ボクは爽やかな朝の風をうけながら街を見下ろす。
でもボクにとってはそんな全景、街の景色は心は輝かなかった。
街の景色を見下ろしながら、さっきの小さな死体が気になっている。
あの誰も気づかない小さな死体は踏まれることはないだろうか?
踏まれてしまったら、死出虫も死ぬんだろうか?
でもそれもまた仕方ないことか。
急いで急坂を下るとあいかわらず死体と蝿と死出虫はそこにいた。
ボクは見つめていたい気持ちを断ち切り山を降りていった。
小さな女の子が一生懸命登ってきている。
ボクは小さな声で「頑張れ〜」と話しかけた。
女の子はすこしはにかみながら、軽やかに登っていった。

よろしければサポートお願いします