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人権を疑う。

ユバル・ノラ・ハラリ ‘ #21世紀における21の提言 (英語版の日本語要約) ’

第14の提言 #世俗化  P209~212

(結論)

「人間には生まれながらに、 #生きる権利 と、 #自由である権利 がある。」という考えは、真実ではないと著者は述べています。

(本題)

#人間の権利  が存在する唯一の場所は、人間が見出し語った‘ #作り話  ’の中である。

#これらの作り話  ’は、宗教的な強要や封建的政府に抗う際に、作り上げられた‘ #ドグマ  ’として語られた。

「人間には生まれながらに、 #生きる権利  と、 #自由である権利  がある。」という考えは、真実ではないが、‘ #この物語  ’を信じることによって、権威的旧体制を倒し、被害からマイノリティーを守り、貧困と暴力という最悪の結果から数十億人を救うことができた。

したがって、‘ #それ  ’は、歴史の中で、たぶん他のどんな教義よりも、人間の幸福と繁栄に役立った。

しかしながら、‘ #それ  ’は依然として、‘ #ドグマ  ’であり続けている。

人権に関する国連宣言は、「全ての人が #言論の自由  と、 #表現の自由  を持っている。」と言っている。

もしも、

私たちが‘ #このこと  ’は政治的‘ #ドグマ  ’(全ての人が #言論の自由  という権利を“持つべきだ”。)と、捉えると、‘ #このこと  ’は、完全に理解できる。

しかし、

私たちが“全ての人類が、生まれながらに言論の自由という権利を備えている。”と捉え、“ゆえに検閲行為は#自然権 を侵す。”と考えると、人間性についての真実を見失う。

‘人間が奪うことのできない #自然権  を持っている。’と捉える限り、

‘あなたは、本当は誰であるのか?’知ることができず、

また、‘社会と、個人の心を形成する歴史的な力’を理解できない。

このような無知は、ヒットラーやスターリンとの闘いに、いそしんでいた20世紀にはそれほど問題にならなかった。しかし、これは21世紀には命取りになるに違いない。

なぜなら、バイオテクノロジーと人工知能が人間性の意味を変えようよしているからである。

もしも、

#生存権  が、私たちにあるならば、私たちは死を克服するためにバイオテクノロジーを使うべきであろうか?

もしも、

#自由である権利  が、私たちにあるならば、私たちは、隠れた願望を判読し満たしてくれる #アルゴリズム  に権限を与えるべきであろうか?

もしも、

全ての人間が #平等な人権  を謳歌するならば、 #スーパーヒューマン  は超越した権利を謳歌するのであろうか?

世俗化された人々が、‘ #ドグマのような  ’‘ #人権  ’を信じている限り、そのような疑問に答えを出すのは難しい。

#人権  という‘ #ドグマ  ’は、前世紀に、尋問、旧体制、ナチスや、KKK(白人至上主義団体)に抗うための #武器  として形作られたものである。

それは、 #スーパーヒューマン  や #サイボーグ  を扱うには力不足である。

#人権運動  は、宗教的圧力や人間の傲慢に抗うための、論争と防御という魅力的な #武器  を発達させた。

しかし、 #この武器  は、 #過剰消費  や #技術的ユートピア  といった問題に対して、全く私たちを守ってくれはしない。

(補足:「自然権」とは、人間が、自然状態(政府ができる以前の状態、法律が制定される以前の状態)の段階より、保持している生命・自由・財産・健康に関する不可譲の権利。)

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