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ゴジラ-1.0が熱すぎる件(ネタバレあり)

同じ映画をわざわざ2回も見に行くなんてことはめったにない。それこそボヘミアン・ラプソディー以来だ。それほど今回のゴジラは熱かった。

以下ネタバレを含みますので読みたくない方はそっと閉じてください

また、私は正直ゴジラ関連についてまったく詳しくないため、以下の記述にはいろいろ誤解や不正確なところが含まれると思われますのでご了承ください。






思えば子供の頃、買ってもらったゴジラのソフビは好きでよく遊んでいたなぁ。手足や首がもげるタイプだったからしょっちゅう手足を逆につけたりして謎の動物にしたり。でも映画のゴジラをちゃんと見た記憶はなくて、好きと言ってもまぁ普通の日本の子供ならみんなそう言う、というレベルだった。

その後高校に行ってガチの特撮好きのY本くんに出会って「こいつはホンモノのゴジラ好きや」と感嘆したものだ。彼の家でモノクロの昔のゴジラを見せてもらい「このシーンのここがすごい」「伊福部昭は最強」といった話で薫陶を受けたものだ。

しかし自分はそれに染まるでもなく「へーすごいなぁ、おもろいなぁ」と言うくらいで自分からさらにハマって行くことはしなかった。

大人になってからはしばらくゴジラとは縁のない生活が続いた。それなりにいろいろ続編だのなんだのが出て居たらしいが全く関知せず。ところがある日会社に入ってきた新人のF山くんがまたガチのゴジラファンだということが判明。

ちょうどその頃、シン・ゴジラが公開されて話題になっていたこともあり、彼は「いかにシン・ゴジラが素晴らしいか」をとうとうと語るのだった。そんなに言うなら、たまには見に行くか。

シン・ゴジラは確かに面白かった。でも当時(あれももう10年前か)の日本のVFX技術の限界を見せつけられたような気もして、ちょっと残念な感覚が漂ったのと、よくある「映画の中ってなぜか政府にめちゃくちゃカッコいいやつがいるよね」という地味な違和感があった。

そして今回のゴジラ-1.0。予告編がネットでちらほら流れてくるようになって「おっ、なんか今回は毛色が違うな」という気がした。舞台設定が戦後日本だという。太平洋戦争でボコボコにやられ「無」になった日本にゴジラが現れ「マイナス」にするという。そんなんでどうやって戦うんだ。

今までのゴジラ映画では(よく知らないけど)最後に「そんなもんできるわけないやん」みたいな究極の超兵器が出てきてやっつける、というのが定番だった(らしい)。まさか戦後の日本が実は核兵器隠し持ってました、とかだとゴジラ誕生の設定からして無理があるし、どうするつもりなんだ。全く読めなかった。

そこへ来て公開直後から大絶賛の嵐みたいな報道を見ると「これは、、、見に行かんといかんな」となる。その週は行けなかったが翌週どうにか映画館へ足をはこぶことができた。

衝撃だった。

冒頭の大戸島に突如襲いかかったゴジラの映像に震撼した。怖い!めちゃくちゃ怖い!こんなに映画のゴジラが怖いと思ったのは初めてだ。

大戸島の守備隊は、恐怖で身がすくんで零戦の20ミリ機関砲を撃てなかった(特攻から逃げてきた)敷島(この名前は「日本」を表す古来の名称由来なのだそうだ)と、整備兵の橘を残して全滅してしまう。この両名の関係性が最後まで重要な伏線として仕込まれる。

あれこれ書き出すとキリがないから大幅に省略して、ゴジラ出現海域に重巡「高雄」が向かう場面。これが最高に熱かった。ラストの海神作戦のくだりも熱いのだが、実はこの映画のクライマックスは「高雄」にあったと言っても過言ではない。

正直、自分も旧日本海軍の軍艦はまぁまぁ知ってはいるものの、それはせいぜい戦艦と空母と他有名ないくつかの艦船くらいで、高雄のことは「聞いたことくらいはある」程度だった。

敷島たちが乗る木造船(金属探知型の機雷を掃海するため)の新生丸がゴジラ出現が予測される海域に派遣され、フィリピンから急行する高雄が到着するまでの時間稼ぎをするという展開だ。

そんな木造船でなにができるのか?と思った刹那、乗組員が叫ぶ「こんな船で何ができるんですか!」。敷島たちはその木造船で機雷の掃海をしており、武器は「現地調達」しろ、ということなのだった。この辺の話の筋の繋げ方もじつに巧妙だ。他にも後半の海神作戦説明の際も同様に「思った瞬間、登場人物がそれを言う」という場面があった。

一個目は見事ゴジラ付近で爆発するが、かえってゴジラを刺激してしまいますます獰猛に船を追いかけてくる。二個目の機雷を放つが、点火ケーブルが断線していて爆破できない!・・・そこへ掃海作業の際に敷島が機銃掃射で機雷を爆破していたことが伏線となり、ゴジラの口中に漂った機雷に見事命中、大きなダメージを与えることに成功した。

しかしゴジラはその驚異的な再生能力でもって瞬時にダメージを修復し、さらに荒ぶって船を目掛け突進してくる!まさに絶体絶命!もう、ダメだ!!

重巡高雄(Wikipediaより)

そこへ放たれたのが高雄の主砲だった。間に合ったのだ。新生丸乗組員が「たかおーーー!!」と絶叫する。こんなに格好のいい旧日本軍の重巡があっただろうか(いや、ない)。

しかし、激昂したゴジラはついに高雄に襲いかかり、艦橋を木っ端微塵に打ち砕かれた艦は傾き、沈没寸前となる。覆い被さるゴジラに対し、傾きながらも主砲が旋回している。うおーっまだ主砲斉射をあきらめていない!!

超至近距離からの主砲がゴジラに命中。さしものゴジラも大打撃を喰らって海中に没した。「勝った・・・」そう思ったのも束の間、海中から青い熱線(?)が照射され、一瞬で高雄は消滅してしまう。「えっ・・・そんな・・・」

たぶん(九死に一生を得た)新生丸の敷島たちと、映画舘で観ていた我々は同じ心境だったに違いない。それほどこのシーンは衝撃的かつリアルだった。

この展開の盛り上げ方、伏線の回収、そして衝撃的な結末。全てがすごかった。これまで日本のアクション映画でこんな気持ちにさせられたことはない。最近は特に「あれ?このプロットどこかで見たな」と思ってしまうものが多くて若干食傷気味のそこらへんのハリウッド映画よりよっぽどすごい。

しかしそんなゴジラを最終的に退治するためには、なんらかの画期的な兵器が必要だった。それが、なんと日本海軍が終戦間際に試作完成にこぎつけた伝説の局地戦闘機「震電」なのだから、もう大戦機マニアは大歓喜であろう。私如きの「ちょっと好き」レベルでもこの展開には文字通り震えた。

太刀洗平和記念館に展示されている「撮影に使用した」実物大模型

震電とは、普通機体の先端にあるプロペラが機体後部にある特異な形状をした戦闘機で、B29撃墜をその任務として開発されたもの。とにかく旧日本軍機の中でも飛び抜けた格好の良さであり、6枚ペラとも相まって強烈にロマンを掻き立てられる機体だ。

残念ながらこの戦闘機はほんの数機の試作機しか作れず、わずかな時間試験飛行を行っただけで終戦を迎えている。そもそもこのような先尾翼機は機体の制御が難しく、仮に実戦配備されてもちゃんと使えなかったのではないか、とさえ言われている。しかしそんなことはどうでもよくて、こんな独創的かつカッコいい飛行機を当時の日本が作り得た、その事実だけでもうお腹いっぱいなのだ。

だから「もし震電が大活躍していたら」というのは、ちょっと飛行機が好きな人なら一度は夢想したことがあるテーマであり、実際その手の架空戦記モノは枚挙に暇がない。

ここでの細かいプロットも実に入念に練られていて、それこそ書き出したらキリがないのでいちいち書かないが、なんと言っても最終的に敷島が爆弾満載の震電でゴジラに特攻する・・・としか思えないように誘導するストーリーと仕込みの積み上げが実に巧妙だ。

しかもこれを撮ったのは、あの「永遠の0」を撮った山崎監督なんだから、ああ、これはもう、敷島は自らを犠牲にしてゴジラに突っ込んで爆死、大団円を迎えるのか・・・と。思うでしょそりゃ。

でも、図らずも(いや、図ったな)劇中で野田博士が「思えばこの国は命を粗末にしすぎていました」と語ったことがまた伏線となって、敷島はドイツ製の乗員射出装置で見事突っ込む寸前に脱出していたのだった。

最初に見た時は「完全に突っ込んだ」ようにしか見えなかったが、二回目によく見たら確かに突っ込む寸前で操縦席から射出されているところが一瞬(たぶん意図的に一瞬)捉えられていた。なるほど・・・そうきたか・・・

そうしてついに頭を吹き飛ばされたゴジラは崩壊して海中に沈んでいくのだが、例の不気味な伊福部昭テーマとともに「続編もあるでよ」状態で映画は終わる。

そんなこんなで、IMAXでもなんでもない普通の映画館で観たのに、終了後に腰が抜けたようになってしまった。途中のシーンでも何度か泣いてしまったし、本当にものすごい映画だ。邦画のアクション映画では間違いなくNo.1、映画史に語り継がれるべき大作だと言えるだろう。

もちろん、細かいアラや無理筋なプロットは言い出せばいくらでもある。でもそんなこと言い出したら、そもそもゴジラみたいなもん出てくるわけないじゃん、ということになってしまうんだから、素直に楽しめばいいと思う。

ここに書ききれてない見せ場は他にも山ほどある。まだ観に行ってなくて、ネタバレ上等でここまで読んだ方。これはアマプラやテレビ公開を待つより、ぜひ映画館の大迫力スクリーンで体感されることをおすすめする。

以上。

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