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パタンナーへの道

仰々しいタイトルですが、洋服が好きで、作ることが好きな人なら誰でも就くことの出来る職種です。子供の頃は家の間取り図を方眼紙に描いて遊んでいて、将来は家の設計士を夢見ていました。しかし、進路を決める時期になると家族から「女の子がする仕事じゃない」と意味不明なことを言われ悩んだ挙句、同じような製図が出来る服飾の世界へ進みました。母が和裁洋裁をしていたのでその影響もあったと思います。

服飾パタンナーを日本語で言うと型紙を作る人。ファッションデザイナーが描いたスタイル画を元に、その洋服を作るのに必要な布を裁断するための各パーツを製図するのが「パタンナー」になります。

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明治維新後に広まった西洋式の衣服、略して「洋服」の時代は、裁断師と呼ばれていたようです。理由は、型紙を作るだけでなく布を裁断するまでが仕事だったから。因みに、フランスではこの呼び方が一般的でモデリストと言います。

一応技術職になりますので、専門的な知識、技術の習得は必須です。学校で3年から4年勉強しますが、型紙のことだけを学ぶのではなく服飾全般について学びます。布(素材、生地)に関して、スタイル画の描き方、人体クロッキー、縫製、色彩学、服飾史などなど、ありとあらゆる科目です。主に、婦人服に関して学び、紳士、子供服関連は就職後に技術を習得することが多いです。私はパタンナーを生業としたかったので、スタイル画の授業が好きになれず、提出課題が山積みになったことを覚えていますね。後々、デザイナー業に進出した時は、しっかりやっておけば良かったと後悔しましたよ。

縫い糸

私が新卒で就職した企業は夏期講習が開催さていたので、就活として参加をしました。期間は4~5日だったと思うのですが、座学だけでなく各事業部へ赴き、質疑応答式の講習を受けました。やんわりとした講習ではなく、受講生と指導者が意見をぶつけてましたね。今考えると生意気な若造たちでしたよ、ホント。(含む自分)

座学の講習内容は非常に工学的で、洋服を作るってこんなに難しいの?と思った記憶があります。課題も、工作が多くありました。球技でのボール以外での球体の図案、曲線の動きや人体構造に関連したものを紙で作らされました。

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球体のデザインは何も浮かばず、ミカンの皮をむいた形状を考えて作りましたよ。この夏期講習は心身共に疲れました。その証拠に、最終日には受講生が1/3までになっていて、あれ~あの子居ない⁈ 隣の子来ない⁈ 見たいな感じでした。

その後、就職試験(実技、筆記、面接)を受け、内定をもらい、パタンナーへの扉が開きました。

入社後各事業部各ブランドに配属になり、研修期間を経て実務に入りました。企業方針により多少違いはありますが、最初は先輩の助手をしながら流れを覚えていきます。私が配属されたブランドは12 , 3人の先輩パタンナーが在籍していたので、日替わりで助手をした覚えがあります。トレーシングペーパー(薄紙)に先輩が製図したものをコピーして、定規とカッターナイフを使っての切り離し、仮布に写してミシン縫い、指示書などの資料のまとめをしていました。今は、CADシステムなのでコピーカットの作業はありませんね。

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こうして仕事は何を?と聞かれたら、服飾のパタンナーをしていますと答えられるようになりました。今でも製図は楽しいし、街ゆく人を見ては「この服はこうなって、うん?こうか⁈」と分析してしまう職業病に侵されています。

ここ数年、パタンナーの定義が良く分からなくなってきています。コンピューターにとって代わられ、ロボットが活躍する時代がくるとは思いますが、それまでは続けたいですね。それまでこっちが持てばですがw

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