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【読書感想文というには感情論が過ぎる】吉本ばなな はーばーらいと

※ネタバレあり

・久々にnoteに感想を残したいと思うような作品に出会いました。吉本ばななさんの「はーばーらいと」。

・地方の港町で育ったつばさとひばりとその周りの人々の物語です。最初こそ型にハマった青春恋愛ストーリーの様に物語が展開しますが、その甘酸っぱさは長くは続きません。ひばりは離れて暮らす両親を改心して連れ戻すという決意を胸に、中学の卒業式を最後に姿を消します。

・両親は一体どこで暮らしているのか?
答えはのどかな村です。全てが村の中で完結し、与えられ、悩みもない、満ち満ちた村。

とは名ばかりの、みかん様という存在を崇め奉る怪しい宗教施設の本拠地。

・伝承の様にたまに聞く話ですね。本当にその様な場所があるかどうかは別として、ひばりはその中から出られなくなります。そりゃそうだ。まだ高校生の身。自由は効く様で聞かない。唯一の頼りである血の繋がった両親がそこにいるのだから。

・でもひばりは違和感を捨てきれず、19歳の時に決死の思いでつばさにSOSの書簡を出します。そこから、つばさ(とつばさの母)がその村を複数回訪れ、然るべき手続きを取りひばりを助け出します。

めでたしめでたし。

・事象を並べるとこの様な話です。実際150ページほどでさらっと読めます。
とんでもない殺人事件が起きるでもなく、村から引き戻される様なこともありませんでした。
少なくとも最後のページを読み終わるまでは。

・でもすごく重かったです。なんか妙にありそうな感じ。吉本ばななさんも後書きで触れていましたが、宗教とその2世問題は近年大きな話題になりました。関わりたく無いと蓋をしていたものがあの大きな襲撃事件により中を見ざるを得なくなったのです。

・信仰の自由。耳障りのいい言葉だなあと、つくづく思います。自由と言われて権利を主張されると立ち入りづらくなる。その中では外野からは想像できないような異常な日常が営まれていた。

・でも、本当のことを言うとまだ少し遠い世界の話でした。いや、学生時代の知り合い程度の関係であれば家族ぐるみで熱心な人も見かけたのですが。
小学校の生活の時間、前の席に座る彼女が熱心に教えを伝えてきたなあと、曖昧ですがそんな姿が想起されます。
今作の作りは人間の感受性にダイレクトに訴えかける形式の構成です。それがいけない、辛すぎる。

・ひばりのつばさに対する想いは、とても重くて切実。最後の卒業式では、お願いだからつばさとの日常を忘れたくない、私の幸せであった時を忘れたくないと泣きながらブレザーの布ごとボタンを引きちぎります。いや、そんな事ある!?

・つばさは父を不慮の事故で亡くしています。しかも人助けによるものでその相手は生きている(港町に居づらくなり東京に家族で引っ越したらしいですが)。私だったらその相手を一生恨みます。許さないです。事象がなんであれ。
でも、つばさの家族は支え合いながら、過去のことは水に流さないけれど新しく家族の形を再構築する努力を続け、鍵っ子のひばりを暖かく迎え入れます。

・ひばりにとって、つばさ、つばさの家族とは何なのでしょう。暖かい、私に優しい、第二の家族、好きな人?憧れ?羨望?私もその中に入りたい?
怪しい宗教にのめり込んでいく実の両親との距離が日に日に離れていく中でその存在はいかほどや。
結局、両親は出ていってしまった。
でも、無理矢理にでもひばりを連れて行かなかったのは、やはり本能的に感じる幾ばくかの怪しさと、つばさとつばさの家族の存在があるからかなと。

・最後までつばさとひばりははっきりしません。まだ19歳です。この先何があるかはわからない。恋愛も勿論自由です。お互いにそう思いながらも、この強い切れない繋がりをなんとなく守っていくのでしょう。

・この本から私が感じたのは、信仰と諦めです。
帯の感じからもうちょい恋愛ものかと期待したよ〜!でもその混じりっけが凄く刺さりました。要素を不自然に取り除かない自然さ。

・信仰は、人のよすがなのかなと思いました。
程度がどうであれ。あまりうまく言語化はできませんが。いや、当たり前のことなんですが、その信仰にどこまで自由を捧げるかって人生の割と大事な要素なんだなと。
ひばりの親は、まだ話を聞いているうちは良かったのかもしれません。でも、自身が経営するバーで怪しい冊子を客に配り出すあたりから風向きが変わり、ついには我が子を置いてまで村に行ってしまう。
信仰が行動を制御し、上回る瞬間です。
ここまでベットしたら後戻りするのは厳しいかもしれません。きっとそのよすがはとても心地がいいから。

・諦めは、ひばりが親が親であると思うことを諦めるという内容が主だって書かれているのですが、他にもこの本にはさりげない諦めがたくさん登場します。
つばさはバイト仲間との淡い曖昧な関係を諦めます。ひばりを助け出すと決めたから。
つばさとその家族は父親がセンセーショナルな亡くなり方をしてしまったために、普通の生活を送ることも諦めています。新しい形を作ろうとしているからつよいけど。
当のひばりも村の中で暮らしていくにつれ少しずつ諦めの感情を持っていきます。流行りの音楽を聴き、可愛い服を着て牛肉を美味しく食べる。それらについてはつばさが初めて面会する頃には諦めています。

・つばさの家族は諦めなかった。ひばりの家族は諦めてしまった。保ち続けることを。ただそれだけなのかもしれません。
でも、諦めが無闇な信仰に繋がっていくのであれば、それはとてもスムーズで無理のない自然の摂理のような展開です。さらさらと小さな音を立てて穏やかに辿り着く行き先です。

・だから、しょうがないのかもしれないと思います。なんて身も蓋もない…。
予防線を張るつもりはないのですが、宗教で助かっているのであれば、それを悪いなんて言えないです。私が決めつけていい話じゃないんです。
ひばりとつばさは昔からの歳月を掛けた繋がりがあるから成り立ちました。
でも、現実はどうでしょう。助け出す方にメリットはあるのでしょうか。メリデメだけならまだいい。最悪引き込まれます。何か危害を加えられるかもしれない。社会が小さい集合体の固まりだとしたら、なんて不都合で嫌な関係値なんでしょう。

・しかし、ひばりはついに自由を手に入れます。
何も苦労せずに両親から守られて育ったら感じない種類の自由なのは間違い無いです。
フィクションの中ではあるものの、ひばりが助け出されて良かったと、一読者としては感じます。

・暗くなってしまったけど、とても読みやすくて過度にエンタメ感のない素敵な本でした。

・最後にTOKIOの宙船を聴きながらお別れしましょう(時間のある方は宙船の歌詞調べてみてね)。
また次回!

P.S.  この記事に使った写真は2023/07/21の夜に六本木ミッドタウンの横で撮った写真です。
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